2020年4月14日火曜日

人は、目で見る。神は、こころで、見ておられる。明るい希望を

復活祭は、さびしかった。
★せめて、復活祭の大きな「ローソク」を撮ろうと、今朝、写しました。祭壇前に、生け花も飾られています。
★2世紀(190年頃没)の司教の説教を読みました。「主は小羊として、ほふられ、神として、復活されました」と書いてあった。「神として復活した」と読んだ時、復活の意味がわかり、留飲が下がりました。
★復活後、使徒たちに現われた時、トマは居なかった。トマは「信じない。この手で、主のキズをさわらないと信じない」と強く反発した。そこへ主が出現し、おどろいたトマが言った言葉。「わたしの主よ、わたしの神よ」。主は、神として復活され、私たちと共に生きれおられる。
★ホームの窓から見た今朝の多良の山脈(やまなみ)です。サクラの花も散りました。
★いつだったか、テレビの記者がトマに問うた。「小崎さんにとって、信仰とは、なんですか?」。トマは即座に答えた。「母から、もらった、(タマシイの)遺産だね」。これは今でも、時々思い出して、あの答えは、名答だったな、と満足しています。
★この世に、「人間だけ」が存在するなら、余りにも暗すぎるじゃないですか。殺し合い、殴り合い、格差もあり、飢えた人も多くいる。自然災害には、勝てない。中には、家族の愛情や、社会の美談もありますよ。だが、地球は余りにも、殺伐としていると思いませんか。
★その中で、「人は、目で、見る。神は、こころで、見る」。そういう御方が居られるのは、人間の希望じゃないですか。隠れた所も、愛も、小さな良い行ないも、見ておられる御方がいる。ただ、手を合わせて、アタマを少し垂れるなら、「パアーッ」と、明るくなる。そいう世の中で、呼吸したいですね。
★「信仰すれば、必ず、ふしぎな人生が、開ける。『神の人だ』になる。コルベ神父の生涯が、そうだった。人を救うためには、己れを、捨てる。その実例や。それだけや」

1 件のコメント:

  1. 今は御堂の中に入れませんので、祭壇の写真を見せていただいて
    嬉しく思います。
    心にふんわり温かいものが点った思いです。

    トマさんの日記を 今日の私は、
    「私の働きは、私のものではなく、神がされること」
    と受け止めました。

    私の行いが、ほんの少しでも世の光となりますように
    心して務めます。

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