「どうして、そんなに長く、勤める事ができたの?」
「基本的に、おじいさん、おばあさん、好きなのよ」
「20年前のホームの老人と、今の老人たちの感じは、なにか違うこと、ある?」
「そーね」と、考え、しばらく答えが出ない。
「車椅子の人、居た?」
「居ましたよ。静養棟があった。20年前は、元気な人が多い。日曜は、パン食だった。老人たちは、初田園長神父の造った「赤い屋根ハウス」で料理を作っていた。自室で、職員が食べた思い出もあるよ」
「そう、なのよ」
「その『おばさん』のこと、教えてくれる?」
家の近所の「おばさん」との出会い。人生は、1人の出会いで、大きく変わる事って、あるんですね。「ところで、その『おばさん』って、何者?」
初めて、「おばさん」に就いて教えてくれた。函館のおばさんは、近所の知り合いの女性。その「おばさんは、18歳のとき、長崎へ来る。オランダ坂の「ユース(宿)」で、3年間ほど働いた。毎日のように通っていたのが、聖母の騎士だった。中村修道士や、セルギウス修道士を知っている。
函館に戻って、おばさんは、ガソリン・スタンドで働いていた。その近所に、絵里さんの家があって、絵里さんが、3,4歳の頃から、兄3人といっしょに、スタンド周辺で遊んでいた。それが摂理の出会い、知り合いの、おばさんです。
絵里さんが、中高になると、おばさんから、函館トラピスト修道院へ連れて行かれる。トラピストの日本人の神父さんから勧められて、長崎・聖母の騎士へ行くことになる。中村修道士さんに会って、「長崎で働きたい」。ホームの園長・初田神父さんに面会して、就職した。平成9年4月だった。セルギウス修道士さんも知っている。平成27年に結婚して、ホームの湯江教会で式をあげる。皆さんから祝福された。こうして「はな」ちゃんが誕生することになる。
★「おばさん」との出会いが、北海道から長崎へ。ホームの職場に人生を決めた。今度は「はな」ちゃんに、どんな人生が開かれるのだろう。流れ、流れて、つながりがあって、愛と喜びと奉仕のなかで、人のイノチは「はな(花)」ひらく。(初田神父んが造った赤い屋根の家は、今も残る)
絵里さん、お疲れ様です。明るい笑顔ですね。
返信削除聖フランシスコ園では、介護職が23年間もの長い間
変わらずお勤めできるのですね。それだけ質の高い介護が
展開されているのでしょう。素晴らしいお恵みです。
人生に訪れる出会いは、全て神様が用意してくださっているものですね。
大切に紡ぎながら、生きたいと思います。
今の私には、トマさんの日記もその一つです。
ありがとうございます。
神様の用意してくださる出会いが、時に苦悩に満ちている時があります。
どうしても愛と喜びの奉仕を静かな気持ちで続けることが、
厳しすぎると感じてしまいます。
十字架を背負う覚悟も祈りも足りません。