4月19日(日)の日記に、この絵を載せました。
★この絵について、「かぶらってぃ」さんから、「お許しがいただければ、手帳に入れて、持ち歩きたいです」と、コメントを戴きました。ありがたいお願いです。光栄です。素朴な絵ですが、お守りの代わりに、利用してくださると、うれしいです。きっと、いいことが、ありますよ。
★当時、修練所の黒板の脇に、板に描いた大きな油絵があった。その油絵の姿が、これです。
★修練長のミロハナ神父は、この絵を毎日、指さして、「この姿に、なれ。この姿を、覚えよ」と、繰り返し説教した。イエスと共に歩く。主イエスと共に歩くとは、自分の十字架を背負って、文句を言わないで、イエスの十字架(愛)の姿に寄り添う。いや、自分が寄り添うのでなくて、イエスが共に寄り添ってくださる。だから「勇気を、持て」。信仰ですよね。これが修練の日々の授業だった。
★毎日、眺めていた、この絵。イエスの十字架に寄り添う、自分の十字架。描かれているのは若者の姿ではないが、手術に向かう時の気持ちは、全く、この絵の通りの心境でした。
★どんな困難の時にも、常に、イエスが寄り添ってくださる。最初に体験したのが、この時でした。それから、今の歳になるまで、どれほど、この心情を思い出したでしょうか。イエスと共に生きる、苦しむ、喜ぶ、泣き、悲しむ。これが人生です。そこから生きる希望と、前に進む所に、ヒカリが湧いてくるのです。
★「死にたいと、思ったことは、ありませんか」「ありませんね」。原爆を生き抜き、病気を生き抜き、孤独を生き抜いてきましたから。「死にたい?いや、どこまでも生きたいですよ」
★世の中には「死にたい」と思い詰める人たちがいる。いろんな事情があるでしょう。でも、なんとか、自死をやめて欲しいと願う。生きる道を求めてほしい。
★人間が生きることで、肝心なのは、何かを自分が成して、「ありがとう」と感謝されたとき、やっと「人間」をとりもどす。「人は、ありがとう、と、かんしゃ、されたときに、よみがえる」
トマさん、感激です。希望です。ありがとうございます。
返信削除さっそくに印刷し、手帳に留めます。
個人的な願いをコメントに書き込みましたことで、ご負担をお掛けしました。
日記にまとめてくださいまして、感謝です。
困難にあって、神に全てを知っていただこうとせず、
イエスの姿を身近に感じずに過ごしていたことはなかったか。
すなわち、困難を困難として認めていなかったのではないか。
乗り越えられると努力することと、勇気をはき違えていなかったか。
自分の十字架を軽んじ、心底に傲慢があったのではないか。
信仰への贖罪のうちに、試されております。
ありがとうございます。
あなたと、見えないところで、ご縁、つながり、が出来ました。世の中って、ふしぎですね。トマも、大きな、チカラ、いただいた。ジンクーエン。
返信削除トマさん とてもうまく印刷できました。ジンクーエン♪
返信削除十字架を背負う願い を忘れぬように、手帳の最初の頁に留めました。
トマさんが描かれた原稿用紙の地色と 手元の手帳の 紙の色がぴったりで、
最初からあつらえたようになりました。
西の空が紅に染まる18時です。
見えないところでも、祈りは繋がる。
ありがたい実感を得ております。
たびたびのご返信をありがとうございます。