入院中に、お隣のおじいさんが言うのです。「おたくは、帝大出のごと、ありますな」。どこから、こんな発想がでたのか、わかりません。「いいえ、庶民ですよ。小使いですよ」。打ち消すのに、必死。「でも、いい顔、しているね」と、しつこい。「いやですよ。そんなに、ほめて、ほめあげて。フーツのニンゲンですよ」「いや、いや、そうは、思えん」「ほめて、もらっても、何も出ません」「ほんとう、ですよ」。いい、おじいさん、でした。腰が低いんですね。やっぱり、人は目で見る。神は心で見ておられる。★病院から、自室へ戻って、雰囲気に、微妙に感じることがありますね。部屋を照らす光線の具合とか、机との間隔とか、ベッドの高さとか、生活になじんだ高低・明暗です。似合った数値が、安心感を与えるんですね。やっぱり、病室は落ち着きません。自室が、やっぱり、いいですよ。ひとり居ても、こころは、やすらぐ。
そのおじいさん、決してお世辞ではなく、率直な感想だと思いますよ。
返信削除今まで修道士さんがされてきた偉業が、顔や話し方に、おのずと現れていたということでしょう。
それが帝大出に匹敵するほど、学識豊かに感じられたのですね。
それを見逃さなかったおじいさん、鋭いです!
おじいさんにとって、たった一晩でも、病室で、思い出に残る、いい出会いができたわけです。
修道士さんにとっては辛い入院も、やはり意味がある。
小崎さん、ステントの交換、無事に終わって良かったですね。石田謙二
返信削除お写真でしかお目にかかったことが有りませんが、本当にいい顔されていますよ。長年土培った、信仰のおかげでしょうね。
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