長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年3月31日日曜日
主の復活の朝です。ニンゲンにチカラと希望がわく朝です
2013年3月30日土曜日
ボケない、5つの方策。声を出して、祈るのが最適です
ボケないで、脳を活性化させる方法が、5つ、あると、テレビが言った。まず①よく、噛むこと。噛むことによって、脳の中が刺激される。噛むといえば、自分の歯は、天然で、入れ歯じゃないよ。これが自慢です。しっかり、噛むように、心がけよう。これは割りと難しい。早食いだからね。次は②本や新聞を、声を出して、読むこと。これは朝夕、聖務日課を、大きな声を出して、しっかり称えているから大丈夫でしょう。全くこれが功を奏している。それに、毎日のロザリオ。声を出して唱える。これも、ボケ防止には、よいでしょう。自然に、うまく、やっているわけです。次が③歌、カラオケを大声で歌うこと。カラオケといえば、今は、やっていないね。一時期は、よく流行った。カラオケの器械もちゃんと持っている。器械を出して、唄ってみるか、そう思います。抵抗もある。レパトリが少なく、あまり上手でないからね。声をリズムに乗せられない難点がある。④翌日の予定を立てること。翌日の予定というか、パソコン日記を毎日、書いているから、これがタメになる。ボケ防止になっているでしょう。原稿も書くし、幸いになっている。⑤最後は、料理をする、がある。これは出来ないね。炊事場に立てないのです。修道院という公の場所だからね。勝手に炊事場に入ることは、以前は許されなかった。今は入ることは出来るが、腕が無い。料理は出来ない、習慣がついている。料理の変わりに、水墨画だね。色紙を描いている。これに没頭すれば、料理の代役になるでしょう。それに最もいいのが、聖コルベ館に見学に来る人との、出逢いです。話しが出来て、楽しい。これが唯一の、ボケ防止の、脳の活性化ではないでしょうか。とにかく、出来ることを、希望をもって実行しよう。
2013年3月29日金曜日
入浴の日が楽しみです。感染症に罹るなよ。キレイにしよう
2013年3月28日木曜日
サクラの開花。今年は10日ほど早い。ルルドに桜一杯
2013年3月27日水曜日
長崎のキッテ。ルーマニアの2家族へ。韓国から。幸一君
長崎で出しているキッテです。大浦天主堂あり、浦上天主堂あり、めがね橋、グラバー邸もある。平和祈念像や、アカいお寺、じゃ踊り、ランタン祭り、長崎ミナトの明かり、などなど、いいですねえ。ルーマニアの2つの家族に、色紙で得たおカネ、200ユーロ、200ユーロ、2組を送りました。きっと喜んでくれるでしょう。送金のとき、中央郵便局で買ったのが、この長崎のキッテです。★韓国のテーグの李大司教さまから、3度目のご招待のお手紙が届いた。5月4日に、永井隆博士の如己(にょこ)の会があるので、来てくれませんか。ありがたい、お誘いです。行きたいのは、山々ですが、さて、行けるかなあ。悩んでおります。★田川幸一君のお母さんから、お礼の手紙がきました。「長崎までの乗り物、自分のチカラを試したい、冒険をしてみたい、電車やバスの長旅になった。修道生活や、他の聖職者の方との触れ合いも、楽しかった。心地よいものを受け止めた。(志願院に)顔見知りの人やギターをしている人がいて、自分と同じような事をしている神学生の高校生が長崎にいた、と言っている。土曜、日曜と、長崎の教会では、やっぱり、みんなよく祈っていて、いいなあと改めて感じた。ペンギン館やハウステンボスは一緒に行っていただき、とってもお元気で楽しかった。すし屋で大トロを食べて、あの味と感触は説明できないわあ、と自慢していた。大きな自信と安らぎとお恵みを受けて、成長の糧になったと思います」★幸一よ、大学出たら、神学生になって、神父さんになって、オレの跡を継ぎなさい。期待しているぞ。
2013年3月26日火曜日
長崎港に着いた観光船から、1人の外国人が聖コルベ館へ
2013年3月25日月曜日
大山教会のサクラのマリアさま。今年も、来ましたよ
2013年3月24日日曜日
将棋の名人、加藤一二三さんは、聖コルベを慕う人です
いつぞや、将棋の加藤一二三さんを知っている男性が、聖コルベ館にやってきた。「洗礼の代父になって、いただいた」と加藤さんのことを言う。加藤さんなら、聖コルベが聖人になったとき、いっしょにバチカンへ巡礼したので、よく知っている。拙著「ドキュメント・キリスト信者」にも、加藤さんの信仰を取り上げた。聖コルベを慕っておられる。それから、しばらくして、また別の男性がやって来て、言った。「仕事の関係で、加藤さんにお世話になっている、四谷のイグナチオ教会でも、加藤さんは活躍されている」。それを聞いて、即刻、色紙を預けて、「もし、よかったら、加藤さんに差し上げてください」と、1枚の手描きの色紙を渡した。すると、その男性から手紙と、写真と、加藤さんの本が送られてきた。「加藤さんは、喜んで、受けてくださった」。写真は、将棋会館の会議室で、嬉しそうにして、おられる。加藤さんは、本に書いている。「コルベ神父さまの生き方を尊敬しています。チェスが大変強かったそうで、そういう意味で、棋士としても、とてもシンパシーを感じています」「よかったですね」
2013年3月23日土曜日
田川幸一君の軍艦島行き。ヘルパーさんが、話のきっかけ
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2013年3月22日金曜日
ゲンキな、助っ人。入浴、掃除のヘルパーさん。助かる
2013年3月21日木曜日
ある日の、3時間の心の動き。思いは総て消えていく
2013年3月20日水曜日
ゲンキな中学生たちに囲まれて、こちらもゲンキになる
2013年3月19日火曜日
聖ヨゼフの祭日。願いを必ず取り次いでくださる。祈ろう
教会では、聖ヨゼフの祭日をお祝いしました。聖家族といえば、養父、聖ヨゼフと、聖母マリア、幼子イエスのイメージがあります。聖ヨゼフは守り手です。マリアさまを守り、イエスを養い、育て、大きな役割を果たしました。しかし隠れた聖人でした。隠れて、善い行ないをする人を、神さまは、ごらんになっておられる。それが強みです。「ヒトは、目で、見る。神さまは、心で、見る」。これは私たちの生活でも大切なところでしょう。隠れた所を、じっと支える貴重な人材も居ます。それでも、意義はあります。見ている方が居られるからです。聖ヨゼフは良き臨終の保護者とも言われます。聖ヨゼフに日ごろから祈っていると、幸いな死に方が与えられる。導かれる。強められ、慰められる、そう信じられてきました。実際、よき死の恵みを与えられたカシアノ修道士や、親友の小神学生の例を知っています。ある聖女は「聖ヨゼフにお取次ぎのお願いして、聞き入れられなかったことはない」とまで言い切っています。聖ヨゼフのお姿を、時々見詰め、お願いの取次ぎを祈りましょう。きっと希望が湧いてくるでしょう。
2013年3月18日月曜日
ハウステンボスから夜行のバスで、大阪へ戻った。2泊3日の旅
2013年3月17日日曜日
幸一2世は、心の優しい高校生だった。「ナガサキが、好き」
2013年3月16日土曜日
大阪の田川幸一君が、来る。「大きくなったな」。大歓迎だ

2013年3月15日金曜日
出会いは喜びに変わった。広島の夫妻が吹いた音色。樹音
2013年3月14日木曜日
朝から、横浜の母親さんたち来る。新・教皇さまが決まった日
2013年3月13日水曜日
ブログや、騎士誌を楽しみに。ハッと心が覚める時がある
3月の、のどかな日、大浦天主堂の庭で写した。「あら、かわいいネコだよ」と、修学旅行の女子学生。「ナガサキのネコも、おんなじだね」「そりゃ、そうだ」「のんびり、しているわ」「陽ざしが、温かい」「ヘイワだね」。今年は、まだ、朝方、寒さが残る。★「毎日、ブログを拝見しています」と、みふみさんから手紙がきた。ブログは生きる証です。なかでも最近、2つの言葉に心を打たれた。①1月25日の「この道しかなかった。これでよかったのです。この道で幸せになりなさい」。みふみさんは、脳の出血になって、「あの時、もし・・」と倒れる前の人生を思い返す、と書いてあった。これも神さまからの授かりもの、しっかり生きていこう、と。②は、2月9日の、亡くなった修道士さんが、過去を話さず、自らの務めを果たされたお姿です。(葬儀のとき、お医者さんの実兄が来られて、びっくりした。生涯、家族のことは何も語らなかった)。「そのお姿に、『長崎のコルベ神父』の著書の、カシアノ修道士さま、マチア修道士さま、ゲラルド修道士さまのお姿が重なった、と記してあった。「宝石のように、貴いお姿です」と。何が、人を感動させるか。神さまの御心を引くか。表面だけでは、分かりませんね。みふみさん、あなたのお手紙で、心が癒されました。春の陽のように、胸が温かくなりました。ネコじゃないけど、幸せな気持ちになりました。
2013年3月12日火曜日
騎士誌の4月号を読んでください。いい記事ですよ。おススメ
騎士誌、4月号に、1つの記事を書いた。事の起こりが、昨年の元日に、東京から、母親と娘さんが来た。その後も、母親は、小崎修道士の日記に、時々コメントを入れてくれた。そこで「元日のエリザベット」と呼んでいた。2度ほど、長崎に、訪ねて来たこともある。1年が経って、今年の正月、新年になって、最初に聖コルベ館に来たのは、また、あの娘さんだった。こんなに、うまーく出会うのが、おもしろい、と思う。その時は、お母さん抜きに、1対1で、話を聞くことが出来た。内容は、18歳というのに、余りにも、奇抜な体験をしている。とても修道士が、まともに書ける体験ではなかった。それでも、ジクソー・パズルの絵が、うまーく収まるように、整っていく、フシギさを感じた。それを、うまく、まとめたのが、この記事になった。だから、自分でも満足のいく文章になった。「これだから、書くのが楽しい。記事を書くのが、やめられないのです」。文の最後に、次のように書いた。「よい人生とは、苦しみがないことではなく、苦しみがあったればこそ、神さまに出会えた。発見した。このように苦しみに、意味を見い出した時に、あなたのジンセイは素晴らしいものになる」
2013年3月11日月曜日
生かされているから、意味がある。小さな決断をする日々
ミサの始まる前に、司祭が言いました。「東日本大震災の日です。2年前の出来事です。多くの亡くなった方がた、今なお苦しんでいる人のために祈り、神さまのご計画の実現を願いましょう」。それを聞いて、「神さまのご計画」という言葉が、グ、グッーと、胸に迫ってきました。そうです、わたしにも確かに、神さまのご計画がある、と言えます。生きている限りは、ね。原爆で、廃墟になったとき、よくぞ行きた、と思いますよ。母が亡くなって悲しい。ボウーゼンとする。17歳の決断ですよ。どう、生きるか。生きて、行かなければ、ならぬ。そのとき信仰を見つけたのは、よかったと思います。今朝は、こんな事も考えた。人間のカラダの細胞は、何万、何億と有る。1個の細胞は、小さいかも知れないが、この1つがガンに罹ると、カラダ全体の健康がそこなわれる。小さな1つでも、見逃せない。意味がある。神さまは、沢山のニンゲンが居ても、自分は小さな細胞でも、分かってくださる、目をとめてくださる、ご計画で導いてくださる。そのように信じます、これも小さな生活の信仰でしょう。「さあ、きょうも、明るく、大きな声を出して、深呼吸をして、手足を動かすぞ」。そう誓いました。
2013年3月10日日曜日
原爆・平和の女の子。9年後、見事、長崎大学合格する
昨夜、めでたい知らせの電話があった。北九州の女の子。「合格しました」「おめでとう」。話は、9年前に、さかのぼる。北九州から、小学6年生、150人が長崎へ修学旅行へ来た。原爆資料館で、被爆者の語り部だった小崎が、原爆と、人の痛みを知る大切さを語った。それを聞いて、感動した女の子がいた。それが晶子さんだった。4年たった、ある日、初めて手紙がきた。「小崎サンのお話、忘れない。自分も平和のために働く人になりたい」。晶子さんとの文通はつづいた。晶子さんは、高校生になり、高校を卒業した。「北九州にも大学はあるが、長崎大学で学んで、地元の被爆者と交流し、2度と、原爆がない、平和な世界のために働きたい」。国立大学の入学は、そう簡単ではない。くじけながらも、あきらめず、時々は、聖コルベ館にも来て、意気を燃やした。そして、昨日、昼間に電話。「いま、休んでいる」。夕方に電話。「いま、祈りの時間です」。夜に電話。食事ちゅうだった。「合格です」「え、ああ、よかった」「歯学部に入りました」「発表は、いつ?」「昨日です」「おめでとう。夢がかなったね」。こんなに嬉しい事があろうか。小学生のとき、話を聞いて、忘れられず、平和のために働きたい、長崎で学びたい、女の子が頑張って、夢を実現させた。まだまだ道は遠いが、希望がある。「また聖コルベ館へいらっしゃい」「ハイ、おじゃまします」。どのように道が開けるか。楽しみイッパイの若者である。
2013年3月9日土曜日
苦労の多い、マル1日の体験でした。まだ生きております
2013年3月8日金曜日
腎臓のクダを入れ替える。クダにつながれ、生をつなぐ
痛い、ガマの1日。泌尿器科へ出かけます。入院して、午後から、腎臓のクダ(ステント)を入れ替えます。「これを、しないと、いけませんか」。お医者さんの答え。「入れていた方が、安心です。3ヶ月に、1度、入れ替えましょう」。痛いのを、ガマンだね。下から、器具や、カメラを入れるからね。覚悟の上です。生きることは、痛みだよ。しかめツラは、やめよう。リラックスしていた方が、後が楽になる。きょう、1晩の辛抱だね。生かしてもらって、ありがたいよ。あしたは、帰れるでしょう。「生まれてきて、よかったと、1度は、思いたい。そう言えぬ人生なんて、ツマランたい。生かされている、喜びがある。悪に負けない、勇気もある。お礼を求めない、愛もある。それで、いいのだ。それでも、ニンゲンは、悩むのです。フシギやと、思いますよ」
2013年3月7日木曜日
島原へ行ったら、具雑煮を食べる。悲しい食の物語。おいしい
2013年3月6日水曜日
島原城の展示室に、輝く金の十字架がある。価値ある遺品
2013年3月5日火曜日
島原のお城に出かけました。梅は、もう、オシマイだね
2013年3月4日月曜日
2013年3月3日日曜日
聖ヨゼフの月には、カシアノ修道士は忘れない。隠れた聖者
「3月は、聖ヨゼフの月。聖ヨゼフといえば、聖母の騎士のカシアノ・テティヒ修道士さんですね。もう1度、写真を見せて下さい」との願いがあった。炊事場で働くカシアノさんです。ポーランドで聖母の騎士に入会したときから、炊事場係りだった。コルベ神父さまを慕って、長崎へ来てからも、炊事場係り。亡くなるときも、炊事場のかかりだった。体が不具合だったが、修道者たちの夕べの料理を作って、その後、自室にこもって、ベッドへ横になり、聖ヨゼフに祈って、守られつつ、安らかに、本当に聖ヨゼフの如くに、神に召された。最後まで、炊事場のお勤めを果たして、務めを終わって、亡くなった。このような恵まれた死があるだろうか。カシアノ修道士さんから貰った手紙です。カシアノさんの信心、優しさ、熱心さ、生涯を貫く心、それらを忘れない。修道士カシアノさんの姿は、修道士の模範といえる。隠れた聖人、こんな人も居るんだな。人間には希望が持てる。
2013年3月2日土曜日
誕生日の夜はコウフンして、寝つきがよくない。目覚め、ダメ
昨日は、85歳の誕生日で、幾つもの感動がありました。①朝ミサのとき、「トマさんのため祈りましょう」と言われる。②昼は、知人のお宅で、バースデイ・ケイキで、お祝いがある。③夕食は、院で、キビナゴのサシミ、餃子、お寿司で、お祝いがあった。やれやれと、夜は、早めに自室で休んでいたら、めずらしく夜に電話がある。「大阪の、田川幸一です」「おお、幸一君、久しぶり。何年生?」「高1になります」「高校生か」「今度の春休みに、長崎に来ます」「え、え?長崎に来るの?それは良かった。待っているぞ」。④同姓同名の「田川幸一が来る」って聞いて、興奮は高まった。「どこへ案内しよう、口之津のイルカ・ウオッチングか、ハウステンボスか」と考えていたら、とうとう寝はぐれてしまった。事もあろうに、今朝は、30分も、寝過ごしてしまった。あわてて、支度をして、共同の祈りには、間に合った。★大阪の田川幸一君は、名前が同じの少年です。2006年のある日、お母さんがネットで調べていたら、修道士の名前に行き当たって、喜んだ。早速、家族で、訪ねて来たのが、2006年4月1日でした。右は、そのときの写真です。それ以来、交流が続いている。その年の夏には、大阪のお宅を訪問した。その後、幸一君は、2008年夏に単身で長崎へ来た。年月は早いもんだね。あれから中学生を終わって、高校生になったという。3月は楽しみが出来たぞ。今朝は聖コルベ館へ出ると、電話をかけて、旅のアドバイスをした。幸一と、幸一、また握手できるかな。
2013年3月1日金曜日
3月、3つのお知らせ。困難にも希望を持って祈りましょう

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