2014年7月31日木曜日

天草へ③。長崎へ帰ります。フェリーは快適。

★天草のホテルで朝を迎える。ゆっくりと過ごす。10時に、谷田部さん夫妻が出迎えにきた。車で、フェリー乗り場の港へ向かう。20分ほどだった。港でお別れだが、幸男さんが、フェリーに一緒に乗って、おみやげの荷物を口之津港まで運ぶという。「いいよ、大丈夫だよ」と辞退しても、「いや、いや」と、一緒にフェリーへ乗り込んだ。兄弟のように仲がいいなあ。写真に撮ったよ。フェリーの写真も撮った。矢田部さんの気持ちが嬉しかった。フェリーで口之津まで送って、また、そのフェリーで天草へ引き返す。心のこもった、もてなしだよ。フェリーは、天草、口之津、同じ時間に出発する。海の上で出会うのです。口之津港へ着くと、藤下邦彦先生が、ちゃんと出迎えていた。★これはヒミツですが、藤下先生へのお礼もあり、諫早で、福田屋のうなぎを食べた。うなぎ専門、ウナギしか、出さないお店です。土用のウの日が去ったとこもあり、店は満席だった。ここは江戸時代からのウナギの老舗です。ゲンキが出てくる。あさ、また始めるぞ。

2014年7月30日水曜日

天草へ②.温泉にも入る。ごちそうも戴く。

★天草での活動は、谷田部さんの夫妻に会うことでした。奥さんのやよみさんに会う。お話を聞きました。奥さんは天草の出身です。「いい温泉があります」と、天草・下田温泉へ案内された。温度が熱い湯です。★下の写真は、天草(大江・崎津)教会の神父さんと、谷田部幸男、やよみさん夫妻です。天草は、黒毛和牛というんですね。思い出が残りました。★天草は、迫害や、四郎の乱などによって、キリスト教は微妙な感情がある。やよみさんは言った。「仏教と、カトリックの違いに、うまく、かみあわない。どこが違うのか。迷いもあった」。教会に通って、神父さんの教えをうけて、2年前に洗礼に導かれた。お恵みをいただいた。「それが、今年の6月、上五島に巡礼して、カトリックの精神がわかってきた」と、喜んでいた。ご主人の幸男さんは言う。「聖者の道を歩むのは、むずかしい。お祈りするにしても、あとは保ちつづけていくこと、むずかしい。凡人の通る道にも・・・」と言って、言葉が途絶えた。「凡人の通る道にも・・・、あさ、その後に、どんな言葉が通じるのか?」と、反復した。わからない。つぶやいた。「洗礼をうけて、夫婦愛が倍加したのは、確かです」

2014年7月29日火曜日

天草へ①。1人旅。新しい体験は、あるか。

天草へ出かけます。2泊3日の旅です。聖コルベ館に、藤下邦彦先生(元・教頭)が出迎えて、車で、1時間30分、島原半島の口之津港まで送ってくれます。ここで別れて単身、フェリーに乗る。海を渡ること、約30分。天草島の鬼池(おに・いけ)港へ着く。矢田部さん夫妻(天草の信徒)が出迎えてくれるでしょう。さあ、天草での行動はどうなるか。新しい体験もあるでしょう。★天草の海は穏やかであった。爽やかな海風に吹かれると、気分も和やかになる。天草島に着いた。矢田部幸男さんが、1人で迎えた。奥さんは用件があって、福岡へ。ああ、残念だね。それでも、2人で昼食をとって、市内に入り、ホテルを決めた。プラサ・ホテル・アネックスです。1泊、6.400円。2泊します。幸男さんの車で、自宅へ。幸男さんの人生・物語を聞いた。話しを聞くのが、目的だった。幸男さんは、昭和3年5月生まれ。ボクは、3年3月生まれ。2ヶ月早いが、学年は1つ上です。まあ、同じ年代の仲間ということです。これまでも度々出会ってお世話になっている。★幸男さんと、天草の教会を訪ねる。聖体訪問をして、祈った。主任の神父さんに挨拶した。

2014年7月28日月曜日

トマよ、背伸びするな。自然体で、いい。恵みあり。

★昨日は、日曜日。午後からの心の動きを記します。★昼食の後、ある会報から1つの記事が目についた。立派な論説が述べられていた。それに比べると、オレの記事は何だ?海水浴の記事など書いて、それで、いいのか。しきりに反省の念が起こった次第です。★しばらく自室で休息をとって、3時過ぎに聖コルベ館へ出た。3人の女性が資料室にいた。声をかけて、ビデオを見せて、話をした。茂木びわゼリーも、サービスした。見学というより、出会いの感じがする。それは、それで、意義があるでないか、そう思った。★4時になると、宅急便が来て、屋久島のフルーツ1箱と、雑誌『少年ジャンプ』を届けた。空けてみると、次のようなコメントが入っていた。「5月に聖コルベ館を訪ねた者です。ブログをいつも読んでいます。騎士誌8月号で、『北原怜子さん』(アリの街のマリア)のこと、読みました。『微笑みを忘れないように』と、そう言われているようでした。偶然なことに、愛読している『少年ジャンプ』(2014年7月21日号)の『こちら亀有派出所』にも、アリの街と、北原怜子さんが紹介(17ページ)されていました。うれしかったので、雑誌を送ります。直美」。分厚いマンガ雑誌が届いた。こんな本に北原さんが紹介されているなんて、と感心した。★午後5時半、夕べの聖務日課の祈りのときに、思った。「トマは小さなカラダだよ。背伸びしなくて、いいのだよ。生かしてもらっているから、何かの意味はあるだろう。思った通りに、生きなさい」★今朝、屋久島の直美さんへ電話して、お礼を述べた。「日記にも載せてもらった」。見ると、5月8日の日記だった。直美さんは、復活祭に洗礼を受けた。好きな言葉は、「神は愛なり」。ひじょうに好きです。愛を持てば、すてきな人になれる。しかし愛の実践は難しい。直美さんは、2月のルルド祭に参加した。2月から日記を読んでいる。騎士誌は5年前から愛読者。少年ジャンプは20年来の愛読者です。直美さんの写真を載せます。いい顔しているよ。

2014年7月27日日曜日

砂で作ったライモンド。なつかしいな。早く帰れよ。

★海水浴の浜辺にて。「トマさん、トマさん、ライモンドがいるよ。砂で、ネコちゃん、つくっている。行って、写真、撮ってよ」。桟敷に居座っていると、神父さんが誘いにきた。「イヤだよ、行かないよ。写真だけ、撮ってきてよ」。頼んで撮ったのが、この1枚です。ライモンドを思い出すよ。ゲンキにしているかな。早く戻って来いよ。待っているぞ。みんなで。なんだか今年の海水浴は、思い出に残る行事になった。

2014年7月26日土曜日

海水浴。カッコウだけ見せた。潮風は、いいなァ。


★海水浴へ行った。車で、30分。長崎だよ、ね。ほら、もう、こんな海が開けている。海岸には、恵まれている。泳ぐ人も、遊ぶ人も、少ないよ。毎年、夏になると、海水浴への予定がくまれる。今年は、若い修練者が3人もいるので、ハリキッテ、行こう、と盛り上がった。毎年、実行しているからね。海辺での希望は、もう、泳げないから、海につかって、写真を1枚撮ろう。それが願いだった。しかし今日の波は、2mから、1.5m。やはり少し波がある。波打ち際でも、揺れている。年寄りは、波にもまれると、押し流されるよ。だから、遠慮した。陸(おか」)で、1枚撮って、満足したわけです。★参加者は、7人。修練者たちも、喜んで泳いでいた。その中の1人は、初めて海で泳ぎました、と感激する。これまではプールだけで泳いでいた。海って、いいですね。そりゃ、ちがうよ。弁当を食べて、午後は早めに帰ってきた。「きょうの日、与えられたこと、感謝します

2014年7月25日金曜日

広島城のお堀。見事なり。クリニックへ。診察とクスリ。

日本にお城は数々あれど、このお城は、広島城です。6月、広島へ旅したときに写した。案内の岩本さんが、お堀を一巡、眺めのいいところで、車をとめて、「さあ、ここが、いいですよ」。写していると、巡回の交通員がきて、「車を動かしてください」「ハイ、ハイ、ただいま」。そのときパチリ。近くの公園に、大きな銅像が立っていた。池田勇人(もと総理)。「ああ、名前は知っているよ」「庶民は麦飯を食え」と言った宰相です。上からの目線で言ったのでなくて、日本は復興期、麦飯、食っても、がんばろう。その気持ちだった。この後、中産階級の意識の時代に入った。歴史の流れを感じるね。いいように、理解したい。★午前中、町のクリニックへ、診察と、お盆が近いので、クスリをもらいに行きました。

2014年7月24日木曜日

ゲンキにしております。自分をみつめる日記。

★写真は、鳥取の砂丘で食べたマンゴ・セーキです。おいしかったよ。楽しい思い出は、今も残っております。★朝から、理髪に行きました。買い物をして、耳鼻科へ寄りました。午後から、介護の入浴があります。★毎日、作文を書くつもりで、日記を書いております。新聞のコラムに、国語教育学の先生が、「ネット社会で、学校の作文教育はどうあるべきか。作文を書こう。書くという行為は、頭の中にある考えや、イメージに言葉を与える作業です」と記していた。自分自身をみつめる意義もある。書くとき、自分を客観的にみつめ直すのです。そういう、つもりで、自分のために日記を書いております。記録にもなります。時には振り返るときもあります。そう、そう、ボケ防止にもなるでしょう。書くことは、考えること、ためになります。ただ、あまり深刻に考えずに、書きたいと思います。書くのは楽しみでもあります。

2014年7月23日水曜日

「愛あれば」。いつも色紙に書く出所がわかった。

★九州の山の中に、ダンナさんはハンセン氏病が癒えた人、奥さんは健康な人。男の子2人の家族があった。お互いに、「詩と文学」を通して知り合い、結婚した。子供が生まれたので、ここに住み、養豚を行なっていた。今でも、詩を詠んでいる。豚ちゃんにも、フランスの詩人の名前、「アルチュール」や「ランボ」などをつけて、養っている。夫妻を訪ねたとき、生活は、冷たい視線と、貧しさと、苦しみの連続だった。ご主人は朝4時半から起きて、働いている。「長靴の底に、釘が入っているのが気がつかず、傷になり、ばい菌が入って大変でした」。畳にきちんと座った奥さん、上品さと、ニコニコ顔が印象に残った。奥さんの言葉は、「神さまは、いつも、良いように、お取り計らいくださいます」。ご主人の言葉が、「愛のあるところに、苦しみなし。たとえ苦しみありとも、のち喜びとなるべし」だった。これは療養所に来られたカンドー神父さんが、別れしなに、車のそばで右手をあげて語られた言葉だそうだ。「苦しいとき、いつも力づけ、前進する姿勢を保つことができた」と語っていた。いま、あの家族はどうなったであろうか。いつも色紙に「愛のあるところ・・・」と書いているが、出所は、ここにあった。★天皇・皇后両陛下が、全国に14箇所あるハンセン氏病の療養所を、長年かけて全部まわられた、とニュースで見た。天皇さま、皇后さまの温かいお姿とお心に感動して、この話を思い出した次第です。「人生とは、1つの長い文章のようなもので、最後の文字を記したとき、はじめて全体の意味がわかるだろう」

2014年7月22日火曜日

3年前のスケッチ。老年の3年は変化が大きい。

★ふと、メモ帳の、スケッチを見つけた。2011年6月25日と日にちが付いている。3年前だ。場所は、島原半島の雲仙、森のなかの湖畔です。オバマ温泉の定宿『富士屋』さんに泊まったとき、ここを訪れては、静寂を楽しんでいた。1人で軽を運転して、あの頃は、処々方々、まわっていた。「ゲンキだった、な。あの頃は・・・」と、懐かしさも、湧いてくる。「水面がこちらへ寄ってくる」とメモしている。心も平静、幸せだったと思う。あれから、わずかに3年しか経っていないのに、運転は辞めたし、腕も幾分、やせてきた。「3年で、ずいぶんと変わったな」が心情です。原因は次の年、2012年、6回も入院した病でした。幸いに小康を得て、2013年と、今年は、なんとか乗り越えてきた。3年は短いが、老年の3年は変化が大きい。体力も、気力も、上向きに、まだまだ、がんばって行こう。

2014年7月21日月曜日

海の日。ナマのニンゲンを語るのは、むずかしい。


★海の日といえば、思い出すのが、沖縄の海です。今年の正月に休みをとって行きました。きれいな海ですよ、ね。ついつい、こんなポーズをとってしまいました。心が躍るような、いい気分でした。★日記を読んでくださる女性から、次のような言葉を受けた。「小崎サンの、生(なま)の人間として、86歳を生きる、とは、どんなことなのか、お話を聞きしたいと思っております」。ありがたい問いかけです。自分でも、時々、清算するために、どのように生きてきたのか、振り返ることがあります。欲に負けても、やっぱり聖なるものに憧れる心は残っている。それが何よりの救いです。★月曜日で、午後から介護の入浴日だった。「小崎サン、何か心配ごとでも、あるのですか?」と聞かれた。心配してくれる。そこで答えた。「秋に、小さな集まりで、お話を頼まれているのです」。今、何が話せるのか、考えている。そのとき、ナマの人間として・・・と問われた。考えていることが、当たったんですね。整理したいと思っているんです。「ああ、そうですか」と介護の男性は納得してくれた。人生をつらぬく、何が、大きな柱だったのか。時折、思いますよ。

2014年7月20日日曜日

納涼祭。楽しい語らい。生かされて、よろこび。

★今年も、納涼祭りに参加できました。修道院の庭で行なわれた、ささやかな納涼祭です。少人数でしたが、チョウチンのあかりも灯って、気分も、わくわく。小学生や、若者にまじって、庭で、ゆっくり座るのも、いいですね。「生かされてきた、よろこび」を感じます。聖コルベの像が見守ってくれていた。この場所で、聖コルベたちも生活したことを思います。聖コルベの遺志は継ぎたいと思う。誰もが「幸せになりたい」と願っているでしょう。★日曜日の入館者。2人の幼児をつれた若い夫妻。「妹が、コルベの洗礼名を受けました」。コルベ神父に「つながり」がある。この家族が「幸せに」と祈った。県外から、高速バスで来た女性もいた。「ルルド、辺りの景色がきれいですね。宗教は神道です。初めて長崎へ。浦上を回りました」「自分の人生の、柱にしている言葉は何ですか?」「初心、忘れず、です」。本を3冊、長崎オラショの旅、長崎のコルベ神父、十七歳の夏、を買って去った。

2014年7月19日土曜日

牛テール料理おいしい。母を思い、食べました。

★45歳で、原爆死の母。うちの母の得意な料理は、テール・スープでした。もちろん牛肉の天ぷらもあります。テールというのは、牛の尻ッポの場所です。ここが、ひじょうに、おいしい。昨夜は、毎年、誕生日をお祝いしてくれる人が、誕生日でした。それで、お誘いして、外食しました。母を思い出しながら食べたのが、牛テール・ブレゼ(写真のごとく)牛の尻ッポ、骨付き1個と、3個のテール肉の料理でした。店の話では、この料理を作るのに、日にちがかかるそうです。ロシア料理店ですね。特別な料理だけあって、とても、おいしいのです。★母は、娘時代から、ちょっと、ハイカラでした。親戚が朝鮮(当時)の釜山(ふざん)で、肉屋さんを営んでいた。若い歳の親戚だった。子供が生まれたから、子守の加勢に来ないか。母は、さっそく、海を渡って、朝鮮(当時)釜山(ふざん)へ出かけた。海外にも目を向ける女性になっていた。そのとき、牛肉の料理も覚えたのだろう。母は、結婚してから、朝鮮で、自らの精肉店を営むことになる。苦労した母ですよ。牛テールや、テール・スープが懐かしい。母を思い出しながら食べました。

2014年7月18日金曜日

なに考えていた?海をみつめ、自分を見つめる。

★ギリギリに、追い詰められるのは、好きじゃ、ない。集まる時間も、少し早めに行く。お勤めの祈りでも、ゆとりを持たせて、早めに聖堂に行く。待たせるのは、好まない。気が短いというのか、ね。土俵、間際まで、攻められる。イヤだね。余白は、残しておく。のめりこむ程に、熱中はしない。自分で、ある程度、自分を抑える、それは、あると思っている。自律心、というのかな。鳥取から、スナップ写真が送られてきた。鳥取の海を、遊覧船でまわった時の写真です。かっこう良く写っているね。満足した表情だね。あの時、何を考えていた?海を見つめて、自分も見つめて、残るジンセイ、少なくなった、なんって、ね。フ、フ、フ・・・

2014年7月17日木曜日

昨夜、出島に出る。長崎の夜はムラサキでなかった。

★昨夜、小雨のなか、食事のため、港へ出ました。大波止の海辺です。五島行きの船が出る所です。背後に、薄くボートが見える。あかりが、チラ、ホラ。「長崎の夜は、ムラサキ」と歌にもあるが、ムラサキ色じゃなかった。食事は、中華料理でした。「赤い・ランタン」という店です。赤いちょうちんが、沢山ぶらさがっていた。小さなお祝いだった。10人が揃っていた。「ごちそうを沢山、食べて、まあ、なんとか、この通り、元気にしております」。★毎日、ブログ(日記)を書くのが楽しみです。多くの人が読んでくれて、ありがとう。読んでくれるのは、励ましてあげよう、その思いからですか?。病気だからか?。長崎の便りを知りたいため、からか?時々、「癒されている」と、コメントが入って、こちらが慰められております。日記はつづけたいと思います。心がけているのは、ホンネを語ることです。いまさら、飾っても仕方がないでしょう。落ち込む日もありますが、「あと1年は、なんとしても、がんばりたい。目標があるから」★聖コルベ館に来る見学者に、話しかけて、そこから人生を学ぶ。誰もが苦労されている。乗り越えてきた。勉強になります。特に、人生と宗教の接点が知りたいです。

2014年7月16日水曜日

銀のマリア像を渡す。森内家に信仰の作品いっぱい。

★京都のお医者さんから「小指ほどの大きさの銀のマリア像」が贈られてきた。「このご像を、森内さんへお渡しください」。お医者さんのお願いに応じて、この祭壇のところで、森内浩二郎さんへお渡ししました。この祭壇は、信徒発見の「クララ・てる」さんの結婚先、長崎・浦上のカトリック、森内家(実家)にあります。浩二郎さんは、5代目になる。来年、2015年、信徒発見150周年を迎える。大きな節目です。★浩二郎さんの父、秀雄さんとは親しく交流があった。なつかしい部屋で、秀雄さんを偲んだ。★昨日、病院へ行ったとき、病院のニュース報に、「ディグニティ・セラピー」という言葉があった。「ディグニティ」とは、尊厳の意味です。人としての尊厳を維持することを目的とする精神療法的アプローチの1つです。ディグニティ・セラピーは、カナダのマニトバ大学精神科教授チョチノフ博士によって考案された。「これまでの人生を振り返り、自分にとって最も大切なことを明らかにしたり、周りの人びとに一番憶えておいてほしいものについて、話す機会を提供するものだそうです。この記事を読んだとき、心を動かされた。①人生において、一番憶えていることは何か。②最も大切だと考えていることは何か。③人生において果たした役割は何か。④家族に、知っていてほしいこと、憶えてほしいことは何か。などなど。9項目がある。★4代目、森内秀雄さんは、8mmフィルム、ビデオ撮影が趣味だったので、多くの自作の作品を残した。浦上の信仰を記録した貴重な作品が多くある。いま手付かずだが、150周年を期して、正式に保存されるのを望んでいる。

2014年7月15日火曜日

予約の診察日。キリョクで、がんばれ。調子よし。

★いま、思うことは、ただ一言、「キリョク・ダーッ」「気力ダーッ」。これが大事だな、と喝(カツ)を入れております。老いをかさねて、体調に微妙な変化が感じられると、心が揺れ動くんですね。「シンが弱いからかな」。からだが精神に影響を与える。★2つある臓器が1つしか、ないから、調子がでないと、気持ちはそこに集まるんです。60数年、沈黙のうちに、動いてくれましたよ。生きていることは、この臓器が、正常に動いていることです。「このまま、行ってくれよ」が願いです。★予約の診察日でした。「細胞診は、1、です」とお医者さん。「そちらの方は安心です、でも・・・」と、別の面の異変を申し伝えました。「血液検査をしましょう」。気分とは別に、やっぱり正常の数値でした。「守られているんだな」。安心して病院を出ました。「あんまり、気に、し過ぎるんだよ」「自分でも分かっています。でも弱いんだな」。だから今は、「キリョク」が必要なんです。「声を出そう、気力を出そう。ウ,ハッ、ハ、ハ、と笑ってみろよ」。老いし者の宝は、気力なり。★夜は、共同の休憩があり、10人あまりが集まり、語らい、大いに笑った。

2014年7月14日月曜日

修道士への慰めのメール。今朝の祈り。幸せを。

★修道士について書いたところ、1人の女性からメールが届いた。なぐさめ、はげますメールだった。ありがたいと思う。「修道士さんたち、皆さん、いい顔しています。修道士さんは、安らぎをくれます。修道士さんは、そよ風をくれます。修道士さんは、ヨゼフさまを思わせます。日々、ひたむきに、祈り、働く。すばらしい人の姿があり、主がそのを訪れますように・・・わたしは思えます」★今朝の祈り。「新しい朝を迎えました。生かされている、大きな喜びです。父なる神さまに感謝いたします。今日の1日、どのように暮らすか。起こる出来事、すべて、神のはからいとして受けとめ、賛美をおささげします。いやなこと、痛むこと、あるかも知れません。それらも皆、神のみわざとして、ささげます。共に生活している隣人と協力して、みこころにかなった共同体つくりが出来ますように。聖コルベ館を訪れる、すべての人が、幸せになりますように」

2014年7月13日日曜日

修道士たちと語った、鳥取のあの日。心がなごんだ。

★鳥取へ小さな旅をして、もう2週間が経ちました。早いですね。思い出すのは、鳥取の修道士たちと語り合った、しばらくの時間です。同じ仲間の修道士だから、安心感というか、同等感というか、心がなごむんですね。安らぐ気持ちがあった。よく、「神父さんと、修道士さんと、どう違うんですか」と問われる。これを説明するのに、元気が出ない。ブラザーという呼び方は、あまり好かないのです。戦前は、長崎では、司祭は「神父さま」、シスターは「童貞さま」、修道士は「行者さん」と呼ばれていた。修道士は、数も少ない。戦後も、「平修士」と呼ばれたり、修道院の会議にも参加の資格がなく、修道士は黙々と働く姿のイメージがある。院内の内輪の仕事は、例えば受付、炊事、清掃、畑の作業、買い物などは、すべて修道士がおこなった。修道会では、修道士も教師を勤めたり、出版の技師、施設の指導員などで働くこともある。今は、多方面にわたって、仕事の内容も広がっている。世界に出て、すばらしい働きをする修道士も居て、本当に敬服する。鳥取の会は、修道士会だから、修道士だけの祈り、働く会だった。もちろん、修道士で最後まで勤めるのは、神の導きと、恵みによる。「入会したいと、沢山の人が来ましたよ。ある人は、しばらく居て、もっと厳格なところへ行きたい、それで、ある会へ移った。そこでも、もっと厳格な会に行きたいと、変わって、変わって、そこも、ダメ。最後は結婚したそうよ」「ああ、ホントに、いちばん、きびしい会に入ったよ」。爆笑したよ。

2014年7月12日土曜日

アタマの髪の毛、気になる青年のマジメさ、敬服した。


★午前中、この髪型の若者が、1人で見学にきた。注目するのは、アタマです。「浦上で、資料館の女性に勧められて来た」「コルベ神父を知っている?」「知らない」という。そこで最初に、コルベ神父のビデオ「身代わりの愛(8分間」)を見せた。黒い長イスに誘い、冷たいカン・ジュースを飲ませて、話を交わした。「新潟から、友だちが長崎にいるので、来ました」。もう10日ほどになる。ユースに泊まっている。長崎では、下駄つくりの店を訪ねたと聞いて、ふしぎに思った。手で作る作業、木彫を彫るなど、興味があるという。長崎といえば教会。ステンド・グラスを見るのも、好きです。声の優しい、まじめそうな青年だった。★アタマの髪の毛について、聞く。「高校の頃から始めて、10年には、なる。悪いことじゃないから、気にしない」。髪型を変える気持ちになれば、すぐ、7、3に分けられるそうだ。★その彼が言った。「神さまは、居ると思う。哲学者は言う。居ないと。でも、どこの国の人も、祈る習慣がある。教会の天井を見ても、上を向いて、祈りをささげる。奇跡を信じるわけではないが、ふしぎに助けられた経験があるじゃないですか」。正直に考えを、ぶつけてきた。★そこで問うた。「いま、心に浮かぶ言葉は何ですか」「ウーム」と考えて、「テキトウ」と言ったから、ちょっと驚いた。高田ジュンジの「テキトウ男?」「いや、そうじゃない、バランスです」と言い直した。劣る、抜きん出る、じゃなくて、中間って言うか。「中庸だね。格言に、徳は中庸にあり、というのが、あった」。彼は又、言った。「円(マル)が、好きです。マルの中心からだと、マルの周辺の長さは同じですから」「知らないこと、もっと知りたい」。青春だな、そんな匂いがした。★高校から保健の大学を出て、看護師、保健師の資格を持っている。3年間、働いた。1つの道でなく、「知らないこと、知りたい」。彼のバランス感覚が、そこにあった。一本道を行くのではない。仕事から離れて、新たな道を模索している。「すばらしいじゃ、ないですか。青年の話を聞いていて、感動した」。可能性を探して、自由に生きてみる。根は正直。神は信じる。手でつくるものに興味あり。資格、仕事は持っている。この若者に惹かれた。「日記に載せたいけど、いいね?」。ポーズをとって写真に納まった。「下駄が、いいね。初めただよ、下駄を履いてきた者は・・・」。降参しました。

2014年7月11日金曜日

小指・銀のマリア像。京都のお医者さんが贈る。

★昨日、ニュースで、「長崎教会群とキリスト教関連」を世界遺産に推薦すると、文化審議会で決めた。また来年2015年は信徒発見150周年に当たる。★そこで信徒発見の秘話が注目される。発見の子孫にあたる森内さんが語る。「大浦天主堂で、クララ・テルばあさんは、プチジャン神父から『ごほうび』と言って、小指ほどの小さな銀のマリア像をいただいた」。この小さな銀のマリア像は大切にされて、信者仲間が病気や苦難があると、マリア像のお出ましを願って、祈っていた。ところが原爆の直前に、行方不明となった、という。「あの、マリアさまが・・・」と惜しまれた。★3年ほど前に、京都からお医者さんが長崎へ来られて、小崎修道士が案内したことがある。お医者さんを、森内さんに引き合わせ、マリア像の話をお知らせした。★今年の6月になって、お医者さんから手紙が届いた。「紛失した銀のマリア像が心に残っていて、どのようなマリア像か想像している。教会付属の売店で、探してみたが、メダイやペンダントはあっても、直立した像は中々見つからない。フランスへ旅行する人に頼んだところ、やっと、ある店で発見した。(それが写真のマリア像です・縦4cm。横1.2cmの大きさ)。「この聖母子像は現代風のもので、プチジャン神父から渡されたものとは違うと思いますが、何かの縁のつながりはあると思います。小崎サンを通じて、森内さんにお渡しいただけないでしょうか。お宅の祭壇の隅にでも置かせてもらえばと思います」とお願いがあった。★さっそく、森内さんへ連絡する。実家の祭壇に、父・秀雄さんが、思い出として求めたマリア像があるそうです。来週、森内さんと出会って、確認することになった。お医者さんのマリア像はお渡しします。

2014年7月10日木曜日

台風、来るか?年中無休だが、台風はお休みだよ。

★今朝の長崎市内です。台風8号がくる。心配していました。2日前は、ツバメが2羽、乱舞していました。ヒナから飛び立ったツバメでしょうか。台風の前でしたからね。早く、1人前になれよ。★台風は、沖縄を抜けて、東へ向きを変えて、五島列島に接近していた。聖コルベ館は年中無休だが、台風のときだけは、休みだね。昨日の夕方、閉館時には、玄関を、木の柱を交が枝にして、がっちり止めた。台風は長崎を避けたらしく、夜中に少々雨が降ったのみだった。今朝は、止め木をはずした。★東京から夫妻が見学にきた。4代目のカトリックだという。「え?東京に、そんな信者がいるの?」。ちょっと驚いた。フランス人の宣教師が活躍している。シスターの古い学校もある。先祖がカトリックを受け入れた。夫妻と話を交わしていると、塚本昇二神父さんの「田舎司祭の日記」が話題に出て、塚本家の信仰の話が書いてある、と言った。塚本昇二神父さんの名前は覚えている。トマ修道士は思った。むかし、働いた神父さんのことは、忘れがちになっている。惜しいと思う。著した本など含めて、どこかの場所に、小さな資料館を残して、むかしの宣教者のご苦労を偲ぶのも大切と、思った次第でした。「田舎司祭の日記」を読んでみたいと思う。

2014年7月9日水曜日

信徒発見のクララ・てる、姉ゆりの先祖は鳥取だった。

★鳥取の旅で見つけたオモシロ風景です。スルメ・イカを、くるくる回して、1夜干しにしているのです。ここは海岸を海から観光する船が出る港でした。船から上がってみると、もう干しイカの台は、取り外していた。★鳥取・最後の夜食は、皆さんと話が盛り上がった。そのとき、キリシタンの話をした。迫害で、全く司祭が居なくなって、信徒発見のプチジャン神父に出会うまで、222年間あった。大浦天主堂が建ったとき、浦上のキリシタン、姉イザべりナ・ゆり、妹クララ・てる、が大浦天主堂へ行って、プチジャン神父に出会った。有名な信徒発見で、お互いが、大いに喜んだ。その話を鳥取の皆さんにしました。日記にも載せた。★さて、昨日です、クララ・てる、の5代目・森内浩二郎さんから電話があった。「小崎サンの日記を見ていたら、てる・ばあさんの話が載っていた。鳥取へ行かれたんですね。実は、てる・ばあさんと、ゆり、は姉妹ですが、先祖は、鳥取なんですよ。父(秀雄さん・4代目)が亡くなる時、聞きました。うちらの先祖は、鳥取から来ただろう。鳥取の武士だった。教えを守るために、向こうから逃げて浦上へ来た。証拠は、戦前に、片岡弥吉先生が、研究本のなかに書いてある。溝口の家の者です。浦上の本原郷・平『ひら』です。姉ゆりは杉本の嫁に、てるは森内の嫁になる。★「そう、だったんですか。惜しかったな。ゆり、てる、が、あの話のときに鳥取出身と分かれば、皆さんは喜んだでしょうね」。惜しまれる話だった。

2014年7月8日火曜日

日ごとの出来事。嬉しいこと、楽しいこと、あったか?

★修道院へ送ってきた「まんご」。メキシコ産と書いてあった。大きなマンゴ。思わず、「でかーい」と叫んだ。学園を学んだ、ゆかりの人が、もう歳は70になっているのに、覚えていて、送ってくれた。ありがたいと感謝します。2、3日したら、食べられるでしょう。先日、学園で学んだ人たちが、東京で集まりがあった。25人ほどが集まったそうです。信仰で育った少年の頃が、懐かしいんでしょうね。尊行さん、ありがとう。★毎朝、5時に起きています。9時には、聖コルベ館に出て、午前中は居ります。午後は、しばらく自室で憩いますが、怠けてはいけません。3時から、また聖コルベ館へ出ます。いらっしゃい。親切な応対は、こころに残る。小さな失言、無愛想でも、大きなキズになって、その人に残る。理解に苦しむ、女性の声の電話が鳴った。これには忍耐が必要です。

2014年7月7日月曜日

自分には何もない。常にお恵みで、と意識すること。

★聖コルベ館の玄関、小さな器に咲いた「ダリア」です。入館者が、目をとめてくれるか。通り過ぎても、ダリアは嬉しそうに咲いているだろう。★信仰生活とは、なんだろう。自分が持っている、ではなくて、持てるもの、すべてはお恵みと感謝する、その心が信仰心だと、今朝は思った。★ひさしぶりに町へ出た。歯医者さんへ行って、口のなかを清潔に処置してもらった。自分の歯が揃っている。自慢でも、ある。次に、耳鼻科へ行った。長年、左の耳を患っている。内耳を清潔に処置してもらった。「よろしくお願いします」「ありがとうございました」と、かけ声を忘れない。次に、浜屋へ行き、長袖のシャツを1枚購入した。水色か、灰色か、即決で決めた。「おまえは、シュウ・・・シ」。常に背後に付いて回る意識だ。午後から、介護の入浴がある。夏になったので、週3回になった。ありがたい。こころ安らぐ入浴です。

2014年7月6日日曜日

ライモンドよ、いずこに居る?早く、姿を見せよ。

★3、4日前、長崎には、50年ぶりに大雨が降りました。テレビの全国ニュースにも映りました。今朝も、雨が、シトシトと降っています。日曜日、自室から、傘をさして聖コルベ館へ。玄関に、ネコが雨にぬれて、ジーッとして動かない。「あれ?ライモ・・・」。いや、色がちがう。カラダいっぱい、うすい茶色だ。痩せこけ、毛はぬれ、おびえるように走り去った。★聖コルベ館内の電気をつけ、片付けものをして、パソコンに向かう。コメントが入っていた。Junkoさんから「ずうっと気になっていた、ネコのライモンド君は、帰ってきましたか?」。ライモンドを思い出し、「そうだ、写真が食堂の手洗いの、カガミの横に貼っていたな。あの写真を日記に載せよう」。雨のなか、傘をさして、食堂へ行った。写真をはずして、載せたのが、この写真です。かわいいライモンドよ、いま、どこに居る。心配しているのだぞ。早く、帰っておいでよ。時々、皆さんの話題にも、なる。ライモンドは、なごやかな思い出を残してくれた。サカナ、好物のライモンド。忘れては、いない。誰が書いたか知れないが、「再会を、楽しみに」とあった。無事を、祈っている。

2014年7月5日土曜日

愛は、なぜ、を問わない。先生の一句にショウゲキ。

★大学の先生(教授)が来て、有益な話を、1時間20分、聞きました。ドイツへ留学して、勉強された先生です。ポーランド・クラクフのフランシスコ会修道院へ祈りに行った。トマ修道士も知っている。聖堂に、聖コルベの立派な、大きな絵が掲げられていた。信者ではないので、後方で、静かに黙していると、1人のポーランドご婦人が近づいてきて、「ニホン人ですか」「ハイ」「いっしょに祈ってください」と頼んだそうです。先生は大変感激したと言いました。★そのとき先生は、こう言った。「愛は、なぜ、を問わない」。この一句を聞いたとき、胸に衝撃が走った。愛は、なぜ、を知らないのです。なぜ、愛するのか。理由は、ない。わけを知っているとか、そうではない。人に与えられた使命です。人なら、愛は当然なんだ。暗黙のうちに、そう受け取った。★この言葉は、教皇ヨハネ・パウロ2世の言葉です、と先生は言った。カトリック青年の年に、ケルンで言われた言葉だそうです。「愛は、なぜ、を問わない」。いい言葉では、ないですか。ゼノ修道士、なぜ、わたしが、こんなことを、しなければ、ならないか。問いません。コルベ神父も、そうです。なぜ、いのち、ささげたか。問いません。そこまで愛を追求する、これが真髄です。★これまでトマ修道士は、聖コルベは、なぜ、いのちを、ささげたか。問いつづけた。イノチを助かった男性に出会って、彼から直接聞いて、「ジンクーエン(ありがとう)」とお礼を言わなかったのに、コルベ神父は優しい目で、大丈夫だよ。安心しなさい。言葉なくして、愛を注いで、連行されて行った。そこで、トマ修道士は、これまで「コルベ神父の愛は、お礼を求めない愛」と、力説した。なぜ、を問う位置づけをしようとした。そうではない、「愛は、なぜ、を問わない」「求めない」・・・・神は、愛なり。神から出る、人も愛なり。★大学の先生、一句をくださって、ありがとう。

2014年7月4日金曜日

トークに自信が持てた、夕べの会食。元気が出た。

★長崎から見れば、鳥取は、やはり風土が違いますね。日本海の風は、北朝鮮の記憶から、冷たい感じがします。鳥取、最後の夜に、お別れに、9人が集まった。主任神父さんも居られた。鳥取の皆さんは、長崎に、また長崎の修道士に興味があるんですね。長崎で、普通に知っている知識や経験談でも、鳥取の皆さんは、とにかく、よく反応して、笑いつつ、声をあげつつ、聞いてくれた。話・甲斐がありました。トークにも、ちょっと自信が持てた感じでした。★どんな話がもてたか、って?新築の大浦天主堂を、初めて訪ねた浦上の姉妹に、プチジャン神父が、「名は、なんと申す?」「ゆり、てる、と申します」「イヤ、イヤ、ほかの名があるはず?」「イザベリナと、クララと、申します」。プチジャン神父はたいそう喜んで、「ホウビにあげます」と、イザベリナ・ゆりには、ロザリオを、クララ・てるには、小指ほどの銀のマリア像をくださった。クララ・てるは、その後、迫害にあって津和野へ流され、苦労をしたが、マリア像を髪の中にかくして、祈りつつ、耐えて、迫害は終わった。役人に、「ホレ、ホレ、このマリアさまが守ってくださった。知らん、やった、ろーが」と見せびらかした。残念、クララ・てるの子孫は、銀のマリア像を紛失して、悲しんでいる。★こんな話、あんな話で、会食は、3時間、盛り上がった。鳥取の皆さん、ありがとう。

2014年7月3日木曜日

旅の途中で、ホテルからパソコン借りて日記を書く。

★鳥取といえば、「因幡(いなば)の白ウサギ」です。皮をはがれた白ウサギを、大国主命(おおくに・ぬし・の・みこと)が癒してあげた。白兎海岸に、像が立っている。★この度の小さな旅では、現地の広島、鳥取から、ホテルのファックスで、文章を、長崎の騎士社へ送った。それを、いちはやく日記に載せてもらった。鳥取の後半では、ホテルのフロントから、パソコンを借りて、(1日、1.000円)、部屋で打って、日記を書いた。ただ、写真を挿入できない。写真は帰った後、入れた。★皆さん、応援してくださった。ありがとう。写真を入れて、旅が仕上がった後の、日記・閲覧は、1日で、280人の方が見てくださった。コメントも入っていた。「旅の不安に、恐れるな」(ファチマに書いてあった)、「お元気で戻れますように」「素敵な滞在を祈ります」など、ありがたいです。★1つの旅で、少しは成長しました。こころが、おおらかになった。まわりの人に対して、「こー、したらいい」「あー、したらいい」。いろいろ意見はあるけれど、他人の庭にまで、入らない。見守って、自分は信念をつらぬいていく。それで、いいでしょう。★鳥取で、数人が集まって、会食のとき、「ウサギの肉は、おいしいか」の話題になりました。戦争中、ウサギの肉を食ったことがある。ニワトリに似た肉で、うすいピンク色の肉で、当時は食料不足で、牛肉もなかったから、おいしく食べた。ヤギも、田舎で、食べました。そんな、こんな、話をすると、盛り上がるんですね。

2014年7月2日水曜日

月の砂漠を、はるばると。ラクダに乗って、ああ、らくだ。

★鳥取といえば、ラッキョの産地です。砂漠の近くの砂畑に、ラッキョの畑があった。長イモの産地でもある。それから砂漠です。「オーィ。手ば、上げて、サバクは、いいぞ」「ラクダ君が、こっち向けば、よかったのに。残念や、な。まさか、ラクダに乗るとは思いませんでした」。★人は、「どの土地、どの家族で、生まれるか」「誰と、出会うか」「どのような苦難に遭(あ)うか」によって、生きていく方向が、グンと違います。環境、出会い、苦難、です。サバクのような場所ですよ。うるおいのあるジンセイに、変えていく。愛のつながり、ですよね。鳥取のみどりさんは、ほんとうに良く面倒をみてくれた。★「あなたの、おかげで、いまの、わたしが、あります。そんな、言葉を、いえる人に、出会いなさい。あなたのジンセイは、幸せになる」

2014年7月1日火曜日

7月始まる。年の半分は終わった。今を感謝。

★旅を終えて、また生活が始まった。祈りを忘れるな。早速、聖堂で、若い修練者たちと、声を合わせて祈りました。こころが落ち着いてくる。「ああ、いい気持ちだなあ」。満足しました。カラダも、そう疲れていないです。自信を取り戻した旅でした。★こうして長崎で祈ると、思い出されるのが、鳥取の愛徳修道士会の皆さんのことです。ベルギー人のお年寄りの修道士が、ひとりで祈っていました。あの彼らを、彼らの祈りの部屋を忘れない。こころは、いっしょです。★今度の旅で、自分を大事にすることを学んだ。やっぱり、「お若いわ、ね」と言われれば、うれしいです。旅に出る前は、自分の体力を試す意味もあった。元気に、なんとか、やりとげたので、満足している。「長崎の修道士です」。自信を持ちましょう。「あなたの、胸、こころ、いっしょです」。耳が遠いベルギー人の修道士がいた。「あなた、84歳、ボク、86歳。いっしょです」。最後まで、修道士であること、忘れない。この道に留まることは、お恵みです。感謝を忘れない。★信仰のチカラは、すばらしい。220年間も、宣教師がいなくても、キリシタンは信仰を守り通した。「7代たったら、パパの船がやってくる。宣教師は、独身である。サンタ・マリアのご像を持ってくる。自由に、キリシタンの祈りと、歌が、声を出して言えるようになる。ゼンチョ(キリスト信者でない人)が道をゆずるようになる」。キリシタンにしてみれば、夢のような、大きな願いでもあった。それが実現した「いま」を大事に生きていこう。