2019年6月30日日曜日

部屋が広くなって、新しい椅子を購入した。お客さんイラッシャイ

広い部屋へ転室した。この状態ならお客さんが来ても、余裕がある。気兼ねせずに自室へ案内できる。そこで必要なのは、お客さん用の椅子でしょう。月1度の「ショッピングの日」がある。写真の職員「青木さん」が、バスの運転でもあり、トマの部屋の担当にもなっている。「青木さん、椅子を1個、軽くて、安価なのを買いますから」。町の『ユウトク店』で、車の付いた黒い椅子を購入しました。
★椅子を組み立ててくれたのも青木さん。「おお、ジョウトウじゃないか。最初に、この椅子に座るのは誰か、な?」。興味深々。最初に座ったのは、高原修道士でした。絵には、ならんね。次に来たのが、濱田神父さんでした。30分ほど近況を聞いて帰る。写真を撮るのを忘れた。
★次に来たのが、白浜さんです。写真を撮りました。白浜さんに頼んでいた腕時計の電池交換と、腕時計の輪になる『べっ甲』の磨きを頼んでいたのを持参した。時折、頼んで磨いていた長崎・新大工町のべっ甲店。私のことを覚えてくれていた。べっ甲が美しさを取り戻す。値打ちモンだよ。
★次いで午前中に、大学の先生のご夫妻が来られた。新しい椅子に座ってもらった。新・椅子は気持ちを落ち着かせる。これから如何なる人が座るのか。ドラマが有るだろう。前途多様です。「新しい椅子が入ったよ。待っている、さあ、イラッシャイ」

2019年6月29日土曜日

久しぶり誕生会。ありがとう、これしか、ない。老いには負けない

ホームの改装工事が終わった。皆さんが一緒に、食事ができるようになった。月の終わりの土曜日だが、6月の「誕生会」が行なわれた。今月にお祝いするのは、男性が1人、女性が1人。少ないね。
★誕生会といえば、職員さんの出し物だ。「え?なに?それだけ。衣装は付けないの」。聖フランシスコ園の赤シャツを着ているだけ。でも似合っているね。フランシスコ会のマークもある。かっこう、いいな。「なに踊るの?」「のんのこ節。それも新しい節よ」「へーえ、そんなの、あるんだ」。(やっぱり衣装を着けた方が、いいかなァ)
★園長神父さんの挨拶があった。拍手の中に「ハッピバスディ・ツーユー」の歌と共に、おみやげ、小さな灯、お花が贈られた。次いで、出番の踊りだよ。のんのこ踊りは、皿踊りです。両手のサラを、チャカ、チャカ、ならしながら踊ります。諫早周辺で、誰もが踊れる一曲です。
★でも、楽しいじゃないですか。よいホームとは、介護する職員さんと、入居者が家族のように一体となることです。信頼だね。「まだ生きているの」「すみませんね」
★見守る山内園長神父さん。「ホームに来て、13年だよ」。誇りに思っている。ご苦労も多いでしょうが、ホームのカナメだからね。しっかり頼みますよ。写真を撮りました。
★トビラの向こうでは、懸命に、料理・ごちそうを作る炊事場の職員さんの姿があった。お刺身に、エビに、枝豆、やわらかい牛肉、赤飯もあるし、クリーム・パンなども添えていた。
★ホームとは言え、老いても、しなびても、まだ、まだ人生は有る。いろいろ老いの苦労が有って、本人のシンは大きくなって、育っていくのさ。「ごめんなさいね」「ありがとうね」。言えるのは、これだけ。1度や、2度だけでなく、何回も何度も、「ありがとう」を言おう。これしか、老いの人生には、ない。
★きょうは教会では「聖ペトロ・聖パウロ使徒」の祭日で、ペトロ瀧憲志神父さんの修道名のお祝い日だった。ミサでは瀧神父さんが司式した。ミサの意向は「ホームで働いてくださっている職員さんたちのため」に祈ります、と告げた。ペトロ瀧神父さんのためにもお祈りください。

2019年6月28日金曜日

胸にある「こころ」の絵。茨の冠で巻かれた「み心」。愛と祈り

イエスのみ心の祭日。写真は、長崎・聖コルベ記念館のコルベ神父の居室にある「イエスのみ心」と、けがれなき聖母マリア像。野々村哲さんが写した。
★17世紀、シスター・マルガリタ・アラコクは、イエスのご出現を受けて「茨の冠に囲まれたご自分の心」を示され、愛の償いのため祈るよう頼まれた。そこから、み心への信心が広まった。
★長崎の信徒の家庭には、どの家にも、この「イエスのみ心」と「マリアのみ心」の2枚の額が掛けられていた。幼い頃の私は、この聖絵を見ると、何やら恐ろしさと、西洋人のイエスの髪に違和感を覚えていた。日本人の自分には、なじめない気持ちがあった。
★それを払拭(ふっしょく)したのは、後年、イスラエルを旅行した時である。ガリラヤ湖の周辺を回った時に、その景色を見ながら、つくs得ない吹いてくる風に当りながら思ったのは、遠く離れた外海地方のキリシタンたちが、なぜ、草履(ぞうり)を履きながら、チョンまげを結びながら、胸の中では、イエスのみ心に奪われ、命をかけて信仰を素直に受け入れたのだろう、という実感だった。そこは到底、人知では語りつくせない。計り知れない不思議さを、常識を超えて自分も受け入れる心境になった。
★手元に1枚の写真がある。私の記憶では、イスラエルを旅行した時に、ガリラヤ湖畔のレストランで、「これが、この湖で採れた『ペトロの魚』です」と言われて食べた。使徒聖ペトロは漁師だった。この湖で、こんなサカナを漁していたのだろうか。想像は出来る。それにしても、写真の左上の「ぽんず・しょうゆ」のビンが気になる。旅行者の持参なのか。湖畔のレストランで、サカナを食べたのは、はっきりと覚えている。聖ペトロは「イエスのみ心」を最もよく理解する使徒だった。それでも彼は3度、イエスを裏切った。だが、改心して最も愛される使徒となった。人生で必要なのは、改心して、前に進むことだ。
★ホームの湯江教会では、6月はイエスのみ心の月なので、毎朝、祈ってきた。「すべての悪、特に罪よりお守りください。あなたの母である聖母マリアをますます愛させてください。イエスのみ心よ、天のみ国が来ますように」(途中、略)

2019年6月27日木曜日

入江さんはお元気です。毎朝ミサへ。時には日光浴。この姿

ホームの玄関の前で、陽の光をあびて、ジッと動かない男性がいた。自室の窓から、見つけた。「ああ、入江さんだ」。何を思い、見詰めているのか。車道の広い空間。花畑。時は過ぎる。入江さんは歩行器で、今朝も6時のミサで祈っていた。早朝なのに、毎朝、教会は欠かさない。
★入江さんが入居したのは、2015年4月だった。90歳。あの頃の入浴は、入江さんとトマは一緒だった。入江さんがトマの背中を洗ってくれた。教会のミサの聖布にアイロンをかけた。時には漁船を借り切って、ホームの職員や修道院の神父さんと、天草灘に釣りに出るほどの元気もあった。食事はいつもトマと一緒だった。「小崎を頼りに、入居を決めたよ」と信頼してくれる。『トマさんのことば』にも、入江さんを載せた。あれから4年が経過している。老人には歳月の1年、1年が変化をもたらす。
★入江さんは8月1日が誕生日なので、もう直ぐ94歳になる。入江さんの根性というか、生きるチカラというか、熱意のある信仰心にも、圧倒される。食事は、「サクラの間」で食べているから、最近は話す機会がない。寂しい限りです。お元気で居られるのが何よりです。
★入江さんは青年の頃、聖母の騎士で学んだこともあった。神学校から軍隊にも行った。満州だった。入江さんは、ポーランド人の神父さんや修道士さんの名前をあげて、トマに問いかけていた。青年の頃の思い出は、消えない。そこに入江さんへの親しみも湧いてくる。
★いま、トマは91歳だが、94歳になった時、入江さんのように行動できるか、全く自信がない。信念が有る人には、負けるよ。自室の窓から、ジッと、入江さんを眺めていた。
★この世で一番大事なことは、愛とイノチです。もう1つ、あるんだな。信じること。神を信じることによって、本当の愛とイノチは、完成される。

2019年6月26日水曜日

73日ぶりに、一緒に食事が出来る。新・エレベーターの完成

湯江教会の祭壇の生け花です。きょうは「礼拝の日」でした。いっしょに祈るのは嬉しい事です。普段はミサで祈れない人も、車椅子で教会へ。久しぶりに共に祈れる日でした。
★ホームの改装工事も、エレベーター拡張工事も73日ぶりに終わって、いっしょに食事が出来るようになった。これでホームも落ち着きました。食堂で、いっしょに食べれるのは、楽しいです。新しい気持ちで、ホームの生活が始まる。
★エレベーターの写真です。事務長さんの話では、10人は乗れるそうです。歩行器や、車椅子の人も何台も利用できるようになった。1階、2階、3階とありますから、エレベーターが頼りです。日常、最も使用する場所です。1個のエレベーターが生活にどれほど便利か、その尊さが分かります。ありがとう。
★食堂は同じですが、場所が変わりました。瀧神父さん、西山神父さん、食卓が別です。皆、それぞれに老いを背負いながら、懸命に生きております。最近は命にかかわる事件・事故がテレビで多く報道されるので、悲しいです。ホームでは、100歳の女性が歩行器でスイ、スイ、歩いて教会へも行く、食堂へも来る。「エライ、モンだ」。思いますよ。

2019年6月25日火曜日

フランスから、女性の新聞記者が質問に来た。平和は夢なのか

フランスから、訪ねてくれる新聞記者がいる。まだ捨てたモンじゃないね。楽しい、希望の日になった。パリのフランス人女性、記者のクレール・ルズグルタンさん。背が高い、早口で問いかける人だった。フランス語は耳慣れしない。
★「La Croix=ラ・クロワ」新聞。パリのモンルージュに新聞社がある。1883年の創業とか。カトリック系の日刊紙で、広く愛読されている。フランス語の通訳は、外国語大学の名誉教授、戸口先生。やっぱり、ご苦労されていたよ。「生かされて」とか、「仕方がない」「人間の業(ごう)」「人の痛み」など、訳が難しいんだね。
★ご縁は、フランス・トゥールーズのジャムさんの紹介だった。やっぱり「つながり」がある。ホームに来たジャムさん。彼が熱意で出版した「フランス語・トマさんのことば」も記者は持参した。「5ユーロ(約600円)で、売店で買った」と言った。ジャムさんから前もって「フランス人の記者が来る」と連絡があったので、参考になればと、「18日間の原爆記」を送っていた。それもフランス語の冊子にして持って来た。だから体験の内容は、大体理解していた。録音機は使わず、懸命にノートに筆記した。
★先ず最初に私が聞いた。「新聞社は、どうして、この企画を立てたのか」。答えは「11月に、教皇さまが日本に来られる。(『焼野原に立つ少年』の写真にもサインをされた)。平和を願っておられる教皇さま。トマ修道士の体験も聞きたい。体験は冊子に重複するので、質問します」
★こんな質問があった。①あなたは原爆後に、身体にどのような症状が出ましたか。②あなたは、『人の痛みを理解することが、平和を打ち立てる唯一の方法』というが、ご自身、どういう実行で生きて来たのか。③核兵器を、どう思いますか。④原子力発電は賛成ですか。(私は問うた。フランスに、原子力発電は無いのか。すると答えは、沢山あります)⑤福島の原発事故をどう思いますか。(難しい質問だね)⑥教皇さまの来日で、何を望みますか。
★疲れる質問がつづいた。勘弁してくれよ。午前9時30分にホームに来て、11時30分までつづいた。トマから出た言葉に、チェルノブイリの見学、ベラルーシの訪問、ポーランド10回巡礼、アウシュヴィッツ10回訪問、ガヨビニチェクさんとの出会い、アシジの聖フランシスコの大修道院、コルベ神父さまの足跡まで話は伸びた。記者さんが訪ねてくれたは有り難い。自分としては有意義な質問だったと、感謝しています。
★原爆から、ホームまでの現実を、時代の変遷の中で、どう捕らえるか。問いは簡単だが、答えは複雑、莫大で、整理しての発言は簡単ではない。もう10年は生きないが、願うのは青く清らかな地球、「紛争や戦争、核兵器が全く無くなる。人類は皆、同じように、平等で、自由で、日ごとの糧に恵まれる。聞こえて来るのはアシジの聖フランシスコの叫びだ。『兄弟よ、姉妹よ、神の愛よ』。それだけ、ああ、それは、夢なのか」

2019年6月24日月曜日

「ヨハネ」と「ペトロ」の2人の修道名を一緒にお祝いしました

西山神父さんを介護する高原修道士さん。きょうは「洗礼者聖ヨハネの誕生の祭日」で、高原修道士さんの修道名のお祝い日です。ミサのときに祈りました。
★「ヨハネ」とは「神の哀れみ、慈しみ」という意味だそうです。きのうの夕食は、湯江修道院とホームの修道者で、お祝いの食事を楽しみました。6月29日(土曜日)には「聖ペトロ・聖パウロ使徒」の祭日をお祝いします。この日は、瀧神父さんの修道名の「ペトロ」になっていますので、「ヨハネ」と「ペトロ」と一緒に祝いました。湯江修道院4人、ホームの入居・修道者は3人、合わせて7人です。
★濱田院長神父さんの挨拶があった。食事と、昔の思い出話に華を咲かせました。高原修道士さんは、我々ホームの修道者にとっては、有意義な存在です。彼は「介護福祉士」の免許もある。病院への送り迎え、介護、入院中の手助け、見舞いなど大変お世話になっている。これからも続けて欲しい務めです。周りの修道者は、じょじょに高齢になっていく。
★高原修道士さんが一番若い。60歳です。ことし、還暦です。濱田院長神父さんは、司祭になって60年、ダイヤモンドをお祝いしました。司祭になった時に、高原さんは生まれたんです。高原修道士さん、これから、ですよ。がんばってください。期待しています。頼りにしています。面倒見いいが、いい。

2019年6月23日日曜日

傾聴ボランチアの女性が来る。有り難う、感謝の気持ちは忘れない

今年になって、4回目です。今のセチ辛い世の中、誰が、自分の時間を使って、自腹で、旅費を出して、列車に乗り、バスに乗り、徒歩で、ホームまで来て、ボランチア(お礼は一切受け取らない)で、他人の話を聞く人が居るでしょうか。それが居るんですね。もう、3年目です。3度、4度の奉仕じゃないですよ。つづいて、飽きもせず、来てくれる人が居るんです。聴く人は(ああ、この人、ホンネを話しているか)分かるでしょう。「話し合い」とは違います。ただ聴くだけ。最後の言葉を繰り返すだけ。マジメに向き合いますが、どこまで、心底、打ち明けられるか。
★何を話すか。やはり出来事から入る。①まず環境が変わった。部屋が変わった。気分も変わる。広い部屋、便利なトイレ、朝陽や、緑の山々の風景、有り難いことです。
★次に予定を語る。②来月初めに、中学校で、語り部を務めます。ただ気になる体調がある。声が出ない。足が弱い。いま声を出すよう、歩くように気がけている。おそらく最後の語り部になるでしょう。原爆死した母の50回忌から、原爆資料館の平和推進協会に入って始めた。12年勤めて、血尿で止めた。体力の限界、歳には勝てない。
★更に、③いまの生活。単調、責任もない、何事も起こらない生活。それでも心に残る出来事もある。④これから、どのように枯れていくのか。不安もある。周りで起こる死を見ているからね。老いや、死や、安楽死など、新聞記事が目に付く。
★生きることの意味があるのか。老人ばかりに接している。介護を受けて、世話をして貰って、それでも「有り難う」の一言も言わない老い人も居る。感謝の気持ちは忘れたくない。ボランチア女性は1時間ほど居て、帰った。
★いま突然、戸をノックした。「ハイ」。男性職員が(見回りで)「大丈夫ですか」「オーゥ」と、とっさに応答した。(シマッタ、有り難う、言わなかったな)

2019年6月22日土曜日

高来町には轟の瀧があり、名水があり、「水まんじゅう」もある

自室を出ると、1.6mの廊下になっている。その窓から見た左手「諫早平野」と、近隣の家々です。写っていないが右手にお寺がある。この辺、高来町といいます。山手には、轟の瀧という、ちょっと、周辺では名の知れた清水の流れがあります。高来町は、「名水」処で、注目されている。
★高来町の名物に「水まんじゅう」がある。「名前は聞くけど、食べたことがないね」と会話では笑いが誘われる。「ホントだね。1度、食べてみたいね。地元だからね」
★ホームを下った国道沿いに、その店はあった。「水まんじゅう」旗の幟(のぼり)が、はためいている。ああ、ここなのか。買ってみよう。その「水まんじゅう」が、これでした。手ごろで、安価で、夏むきの和菓子です。6個づめ。箱に入って、802円でした。感じの良い和菓子です。
★轟渓流からくる清らかな水流がある。「深く澄み切った名水から作った濃厚な味わいのスイーツ」と宣伝している。地元に愛されて数十年、戦前からの歴史があるんですね。くず粉で作り、外側の半透明の部分は、水分が多くて、中には硬めのアンを使うことで、生地の水分がアンに移る。おいしさを包み込む。老人ホーム向きだよね。手軽で、冷やしておけば、ホームの女性たちに人気があった。喜ばれたよ。地元にも、こんな美味な和菓子があるとは、ホコリでした。カワの部分は柔らかいし、アンコもおいしい。上品です。
★夏になると、ホームから、近所にある「轟の瀧」に涼みに出かける。冷やし「ソーメン流し」など食べて、清流に触れ、森の木々も癒しになる。いい体感だね。生きている喜びを感じるよ。高来には、地下80mから汲み上げた無料の水のみ場があると聞いたが、まだ飲んでいない。地元の良さを知るのも大事だね。
★男性介護の職員が言った。「実家の田植えも終わったよ」。この辺の農家のお米はおいしい。恵まれた土地だよ。

2019年6月21日金曜日

修道会の仲間の集まりは楽しい。祈り、報告し、会食する

昨夕の集会です。会合には、湯江から6人が参加した。司祭が3人、濱田院長さん、山内園長さん、瀧神父さん、他に3人の修道士、橋口さん、高原さん、トマです。車がホームを出発すると、会場まで40分はかかる。早速、「ロザリオを唱えよう」と、橋口修道士さんの先唱で、祈りが唱えられた。この雰囲気が「長崎らしい」んですね。
★会場には、20人近くが集まった。修道生活を共にしてきた兄弟たちですから、語らいも、ホンネで話して、楽しいです。4地区に分かれて、宣教している。報告も聞ける。①長崎・聖母の騎士、②東長崎、③湯江、④小長井です。教会があり、幼稚園があり、高校もある。養護施設、老人ホーム、騎士社、聖コルベ館、コルベ志願院などの経営です。それぞれに苦労も多々あります。
★ホームに居て、孤独の生活をしており、一番、求め和むのは、この会合です。一緒に、心を合わせて「夕べの祈り」を唱えて、最後には「サルべ・レジナ」を歌います。それが胸をワクワクさせます。その後に各地の報告がある。この時は、自由に発言が出来ます。ホームに居れば、発言には細心の注意が必要です。1つの言葉が、大きな波紋に広がる経験もあります。
★発言のなかで、「聖母マリアの信心」があった。長崎教区では、教区の司祭が率先して、篤信のマリア信心を祈っている。信徒のなかにも、根づよいマリアへの信心がある。これは「信徒発見」に由来する、という意見でした。長崎、五島、平戸には、潜伏キリシタンの時代から、マリアへの篤信の信心があった。それが根づいている。長崎教区の何処の教会でも、聖母マリアのご像には美しい花が飾られている。
★次の会合は8月です。会食を終わって、ホームに帰ったのは、夜8時でした。帰りの車中は、皆、黙々としていた。車窓から夕暮れの風景や建物を眺める。やたらと、食事処の看板や旗が目についた。ホームに帰れば、ホットした。ここには安らぎがある。

2019年6月20日木曜日

忙しい日です。お客さん女性がくる。修道会の集会もある

長崎市から、千草さんと蓉子さんが、ホームに来た。一緒に、昼食へ出かける。お決まりの「ひらす刺身」と「あさり貝の味噌汁」です。
★手草さんの話を聞けば、興味がある。千草さんの母親の、母。祖母にあたる女性。その姉の子供が、野口嘉右衛門神父さんだ、と言うのです。野口神父さんは北海道トラピストの司祭で、終戦直後、廃墟になった浦上天主堂の残骸の中から、「被爆マリア」を見つけて有名になった神父さんです。今日の出会いで、ご縁が分かりました。また「信徒発見」の浦上信徒とも、ご縁があるそうです。
★いつも「食事処・おおはし」のお店も載せておきましょう。おいしい定食があります。度々、日記にも載せています。今日は、これから修道会の集まりがあります。出かけますので、時間がありません。午前中から、2人の女性が来て、買い物をしたり、地元の名物お菓子、「水まんじゅう」など買って3人で、ホームの自室で食べました。
★今から参加する修道会の2か月に1度の集まりも楽しみです。修道者たちとの祈り、報告、会食は、ゲンキを与えてくれる。さあ、行こう。喜んで。

2019年6月19日水曜日

映画「空母いぶき」を見る。好まない戦争。一旦緩急は無いのか

きのうは、長崎市へ出た。帰りが遅くなったのは、実は「映画・空母いぶき」を見に行ったからだった。久しぶりの映画だった。診療が終わると、ココオークに急行する。映画館に入ると、ちょうど始まったところだった。
★日本の防衛はどうなるのか。興味があった。戦争が終わった時は17歳。戦争に負けることは「奴隷」になる覚悟だった。終戦の年に旧制の中学校に復帰した。日本の戦争は、侵略戦争だった。資源がない。物資がない。他国に奪いに行こう、と教えられた。近隣諸国を侵略して、土地を荒らし、市民の命を奪い、混乱をもたらした。日本は、戦争の反省、懺悔をすることなく、手のひらを返すように「民主主義」の教育を受けた。
★戦争が終わった時、17歳の少年ですら、2度と戦争はイヤだ、兵隊はイラナイ。武器は捨てる、と真から思った。心に固く誓った。それが5年経って、朝鮮戦争が起こった時、警察予備隊が発足する。やがて「自衛隊」となった。アメリカの傘の下に頼って、平和は維持してきたが、現代は事態が大きく変わっている。無防備のままで、いいのか。
★映画を見ながら、今の戦争が、17歳の時代の感覚と、如何に進歩しているか、ミサイルを撃破するミサイル、潜水艦の魚雷を爆破するミサイル、その速度に人間が付いて行けない恐怖を感じた。これから10年後、20年後、如何に進歩するのか、分からない。「戦争は、有っては、ならない。核兵器の廃絶を強く望む」。被爆者の願いである。
★映画のセリフで、1つの言葉が心に残った。「自衛隊が命かけるのが『戦闘』で、国民が命うばわれるのが『戦争』だ」(正確なセリフでないかも知れないが、このような意味だったと受け取った)

2019年6月18日火曜日

長崎へ。定期の診療へ。ヨゼフ・クリニック。歌を唄いなさい

毎月1度、定期の診察。長崎市のヨゼフ・クリニックへ。高原修道士さんの運転で、ホームを出る。
★高木正剛先生。もう20年来、お世話になっている。高木先生もお歳を召された。気安く、お話が出来る。「トマさん、聖母の騎士のタカラだよ。長生きして、語り部を務めて、頑張らねばね」
★「声が出なくなって、自信がなくなったんです。弁士もやっていたのに、声は良かった」「カラオケ、歌を唄いなさい。そしたら大丈夫」「小神の頃、若い頃、歌はラテン語の歌ばかりですよ。歌謡曲、覚えていない。出てこない」。本当に残念ですよ。知っている歌も、「古城」か「長崎の鐘」だけ。今さら、歌詞を覚えて、リズムに乗せるなんて、デキマセン。ホームでも、月に1度は「カラオケの日」がある。最初は参加していたが、いまは、もう遠慮している。
★高木先生。「きょうは、心電図を撮りましょう」。元もと、不整脈がある。「ブラザー、大丈夫、心臓は良い」
★ホームに帰ったのは、午後2時半だった。長崎の診療が終われば、ホットします。

2019年6月17日月曜日

庭から見れば、この景色。リッパな部屋が完成。トマの部屋は赤印

ホーム聖フランシスコ園を、庭から写した。左に、マリア像。玄関と、左側の建物、食堂や調理室などが写っていない。赤い矢印が、トマの部屋です。2階になるが、庭の地面の下にも居室があるので、トマの部屋の並びは、3階と呼んでいる。広い部屋で、居心地が良く、感謝しています。
★トマの部屋から右側は、改築工事を行なった部分になっている。あと1週間ぐらいで、エレベーター工事も完成するでしょう。6月の末には、誕生会も予定されている。また、もとの共同の生活に戻るでしょう。瀧神父さんや、西山神父さんとも、日々、会えるでしょう。賑やかになります。
★午前中は、理髪屋さん夫妻が奉仕に見えた。散髪しました。理髪屋さんのご主人のお陰で、湯江小学校で、原爆の語り部を務めた。湯江小の先生が、飯盛西小学校に転任になって、昨年は、飯盛西小で、語り部のご縁があった。今年は、高来中学校を予定している。1つの小さな「きっかけ」が、このように発展していくのは楽しみです。
★昼食後、栄養師さんと、看護師さんが、「部屋を見せて」と言葉をかけた。「どうぞ、どうぞ」と案内する。「まあ、広い部屋なのね。ガラス戸も頑丈。網戸もある」と喜んでくれた。立派な住まいで、満足しています。新しい部屋で、パソコン日記を書いております。「どうぞ、面会にも来てください」。部屋のテラスから、別れの手も振れる。

2019年6月16日日曜日

ホームでの生活。新しい部屋に変わった。気分も新たに、よし

トマは、ホームで、どんな部屋に住んでいるのだろう。毎日、日記を書いて、写真を載せているが、自分の部屋の写真だけは、意識して載せなかった。狭い部屋ですよ。屋外に面したガラス戸からも、教会の鐘と、屋根と、十字架しか見えなかった。訪問者も、特別な人しか、部屋には招かない。普通は、玄関近くの応接室で話をする。
★昨年から、ホームの古い部分の改築工事が始まった。長い月日をかけて、ようやく完成した。新しい部屋が幾つか出来た。「トマさん、新しい部屋に入居しても、いいよ」と、ホームの担当の職員さんからお言葉を頂いた。「ありがたい次第です」。喜びました。
★昨日は、午後2時過ぎから、3人の職員さんと、高原修道士さんも手伝って、引っ越しが行なわれた。「トマさん、疲れるから、車椅子に乗ってください」と高原修道士。トマは新しい部屋で待っている。荷物が多いんですね。次つぎに台車で運ばれてくる。棚に、ドン、ドン、つめる。未だ訪ねて来るお客さんも居るから、一応、資料も残している。先ずはベッドから、マットから、タンス、本だなと運んだ。パソコン、プリンター、冬の衣料、ふとん、多すぎますよ。職員さんたちは汗流し、2時間あまりで、全部運んだ。
★部屋は広くて、洗面台、水洗トイレも部屋にある。昨夜は、よく眠れました。朝、ミサの後、広いガラス戸を開ける。その眺めが、この写真です。ホームの玄関です。左に小さく、マリア像と、取り巻く池が見える。ここからも見送りが出来る部屋です。朝は、太陽が部屋の中まで入ってくる。ゆかに、ホコリが目立つので、ほうきで掃除をしました。
★午前中に、長崎市の白浜さんが、ルルドの水を下げて訪れた。「部屋へ行ったら、何もない。どこへ行った?探して、さがして、やっと見つけた」。この部屋で、新たな気持ちで、つづいてホームの生活が始まります。7月5日の金曜日、中学校で、200人の生徒たちに、語り部を務めるのを楽しみに、健康を整えて行こうと思っています。

2019年6月15日土曜日

見て、見てと、絵里さんが人面トマトを持って来た。優しい心遣い

昼食後、自室で、くつろいでいると、突然、絵里さんが入ってきた。花つぼに差した、みどり色の小さなツブ。「なんね?」「トマトよ」「えー、小さなトマトだね。どら、どら」。小さな丸いツブが幾つも付いている。
★「うちの、アパートの2階のベランダに植えているトマトなのよ。風に吹かれて、モゲた。それで、ホームのおばあちゃんのところに持ってきたとよ」「ウン、わかった」
★「おばあちゃんの食欲が出るように、持って来たのに、おばあちゃん、トマトきらい、と言うじゃないの。そしたら、トマト、こわいそうに、こんなカオになってしまったのよ。人面トマトよ。かなしいカオだよ。話のタネになるかなァと、持って来た」「ウン、どれ、どれ。人面トマトだね」。相づちを打った。絵里さんは「はな」ちゃんのお母さんだ。はなちゃんも見たのかなァ。
★介護の絵里さんが、ホームのおばあちゃんの食欲を、健康を、気にするなんて、いい話じゃないですか。ホームは、こんな小さな心遣いで、まるく、あかるく、運営され、まわっている。そう感じた次第でした。

2019年6月14日金曜日

昨日のシスターたちのお祝い。祈り、明朗、喜び、満足でした

きのうの、シスター修道女院でのお祝いです。喜びの拍手の中で、修道誓願金祝の5人と、銀祝の1人が入場して来ました。皆さん、嬉しそうです。6人の紹介もあった。神さまのお恵みとはいえ、25年、50年と務めるのは大変な人生です。シスターたちは事業として、障碍者施設、老人ホームなど経営している。個人的には「幾つもの病気を乗り越えて、ここまできた」の話もあった。お祝いの席では、「アヴェ・マリア」を、日本語、韓国語、ポーランド語、ベトナム語、イタリア語で歌った。2人の韓国人、2人のベトナム人、3人のポーランド人のシスターも居る。楽しい合唱だった。
★祝宴の前には、聖堂で、お祈りがあった。聖務日課(昼の祈り)を唱えた。基本的には、お祈りが有って、働きがあって、奉献生活が勤めてられて行く。推進力は「祈り」です。声を合わせて、詩篇を唱える。この清純なシスターたちですが、祝宴の余興・出し物では、びっくりする役者ぶりを発揮するんです。おどろきますよ。楽しいですよ。土台があって、立派な華も咲く。大勢で、久しぶりに祈りました。
★お祝いに与かった神父さん、修道士たちの紹介もあった。説明したのは萩原神父さんです。西山神父さんを真っ先に紹介した。「西山神父さまは、パパさま、ヨハネ・パウロニ世教皇さまに、日本語を教えて、日本へ同行して、お世話をしたパパさまに一番近い神父さまです」。シスターたちの大きな拍手を受けた。西山神父さん、少し恥ずかしそう。
★トマ修道士の説明は「歴史や資料に詳しくて、施設・騎士園50周年記念誌や、コンベンツアル会日本管区の75周年記念誌など作った」と評価してくれた。お祝いの会の最後に、萩原神父さんが次のように締めくくった。「皆さん、出来るだけ大声で『おめでとう』と叫んで、拍手をしたり、机を叩いたり、足を鳴らしたり、してください。さあ、いいですね。では、ハイ」と言うと、全員で、大声をあげ、ドタン、バタンで、おひらきとなった。これは、よかったですね。
★シスターたちの団結と無償の愛が、社会の大きなチカラになっている。

2019年6月13日木曜日

パドアの聖アントニオの祝日。シスター修道女院でお祝いがある

きのう、夕食時に、栄養師さんが食卓へ来て、「祭壇に、大きなユリの花を飾りました。これは修道院の狭い畑で、高原修道士さんと橋口修道士さんが育てたユリです」と教えてくれた。栄養師さんが、祭壇の生け花を担当している。「ああ、あしたは、イタリア・パドアの聖アントニオの祝日だから、ユリを飾ったんだね」と直ぐに分かった。パドアの聖アントニオには、幼子イエスと、ユリの花は付きものです。
★きょうは、イタリア・パドアの聖アントニオを祈りました。12世紀から13世紀に活躍したフランシスコ会の有名な聖人です。沢山の奇跡を起こしたとも伝えられている聖人です。著名な説教者でもあった。パドアの聖アントニオ大聖堂には、聖人の「舌」が安置されている。
★失ったものがあれば、聖アントニオに祈ると、探し当てるウワサもある。「言葉を控えて、行ないに語らせてください。私たちは言葉が多いが、行ないが、それに伴わない」。パドアの聖アントニオの言葉です。「有言実行」というが「無言で実行」でしょう。多くしゃべっても手は動かない。
★山のシスターの修道女院から、お祝いの昼食会に呼ばれました。ホームから、瀧神父さん、西山神父さん、トマ修道士、高原修道士さんが午前11時に出発した。車で、約10分。田原の農地は、もう田植えが終わっていた。小長井修道院から、萩原神父さん、堀本修道士さんが参加した。
★5人のシスターの修道誓願の金祝、1人の銀祝のお祝いでした。大勢のシスターたちの持て成しを受けて、楽しいひと時を過ごしました。若いシスターは元気で、朗らかで、生き生きとしています。歌や、出し物もありました。詳しくは、あした、書きましょう。午後2時に帰って、ロザリオを唱えた。今から、眼科の女医さんが来られて、診察が有ります。

2019年6月12日水曜日

朝から、スズメが「生きよ、チカラ出せ」と、さえずり聞かせる

「おはよう」。今朝のスズメです。巣の下で、ジーッと見つめている。たくましく生きているね。せいイッパイ、羽を動かしているね。いいことだよ。ボクも元気をもらうよ。
★きょうは、朝から、諫早の病院へ行った。最初に「皮膚科」へ。頭髪の中が、かゆい。老いの成なのか。市販の薬をつけていたが、「一度、診てください」。お医者さんは何も言わずに「薬を出します」「ホームは遠いので、しょっちゅう来れない。沢山の薬をください」。受付で、数本の「ローション」をくれた。病名は何ですか、と聞くと「急性湿疹」と薬の袋に書いてくれた。
★次いで、総合病院の泌尿器科へ。病院の1階、受付や会計の待合室に、子供を描いた壁画があった。「きれいや、な」と写した。心の癒しになる。病院は、イヤな場所だからね。尿と血液の検査、腹部のレントゲン撮影。「ステントは、きれいに納まっている。腎機能も変わりはない。ステント入れ替えは何時しましょうか。8月初めか、7月の終わりか」とお医者さん。「8月は、原爆の日などありますから、7月の終わり頃にお願いします」。7月の最後の週、3日間に決めた。
★ステント入れ替えも、生きる手段です。困難はあるが、乗り越える。その心境で生きている。弱音は吐くまい。高原修道士さんが運転と介護をしてくれた。ホームに帰ったのは、3時少し前、「雲仙の間」に、4人の女性が祈りを待っていた。ロザリオの先唱を務めて祈った。そして今、日記を書き終わったところです。後は、ゆっくりします。スズメのチュン、チュン、やっぱり聞こえる。「わかったよ。がんばる、よ」

2019年6月11日火曜日

原爆の資料を見ていたら、ご縁が出来た。語り部の依頼、頑張ろう

午前中、1つの古い箱を取り出した。「原爆(英文)」と書いてある。英語で書いてある私の「原爆体験記」だった。13の文章が書き直されていた。その中に、1997年、長崎市で開かれた「世界市長会議」で、私が短い時間に体験を日本語で述べて、英訳した文章があった。懐かしい、あの時の会場の様子をよく覚えている。
★「私は廃墟の丘で、何を見、どのような心でさまよったのか」
★「多くの死体を乗り越えるうち、無惨にも、人間が真っ黒になり、一瞬のうちの『炭』になってしまって、しかも両眼は飛び出し、舌を出して、立ったまま、呪ったように死んでいた人が、今も目に焼き付いています」「火の手は家々を包み、自動車は吹っ飛んで、ひっくり返り、土まみれの多くの死体が、転がっています。ふしぎに思うことは、壊滅した丘に、立って歩く人が居ないのです」
★「浦上川には、水を求めて沢山の負傷者が入り、水を飲んだ人たちは皆、死にました。」「原爆は、助けようと思っても、助けることの出来ない爆弾です」「原爆症の下痢症状を赤痢伝染病と間違えて、その人たちを山の穴に隔離した悲しい出来事もあります。彼らは孤独のうちに死にました」
★このように、文章を読み返していると、「事務所から面会人です」と知らせがあった。それは以前、ホームに訪ねてこられた同じ町内の女性でした。中学校で、給食の時間に、良書本の朗読をスピーカーで流して、中学生たちに聞いてもらっている奉仕をしておられる。
★女性が言うのです。「来月、初めに、中学校で『原爆の語り部』を務めてもらえませんか」「ハイ、声が低下していますが、喜んで努めます」と承知しました。女性が帰られた後、ふしぎやなあ、と思いました。きょう、原爆の箱を開いて、懐かしく思っていたところに、原爆語り部の願いが飛び込むなんて、やっぱり、ふしぎな「つながり」があるんだな。こういう「つながり」が、私には人生の面白さがあるんです。「きょうの夕方、中学校から、平和担当の先生が来られると思います」。そう女性は言い残した。
★あしたは、総合病院泌尿器科へ診察に出かけます。

2019年6月10日月曜日

毎日、生かされている恵みに感謝。マリアさま、助けて下さい


湯江教会の祭壇の生け花を見るのは楽しみです。こうして写真に撮って載せると、見る人も喜びと違いを感じるでしょう。ホームの生活は日々が単調で、変化がないので、お花の変化を見ると、美しさは心に刻まれ、新たにします。
★きょうは、NHKのテレビの男性記者が訪ねて来た。あと2年で、定年と言って笑っている。NHKの記者も大変だね。聞けば、新潟を皮切りに、7番目の任地が長崎だった。10年ほど前ですよ。「その時に、小崎さんの原爆の語り部・体験を取材しました」。それ以来、つながっている。長崎は4年ほどで、また3か所変わって、去年、長崎に来た。「長崎が、最後でしょう」とまた笑う。元気に満ちた記者だった。
★この記者さんは、10年前に知り合って、毎年、年賀状を送ってくれた。そして、またも訪ねてきた。その細やかな心情が嬉しいよ。老いたる人間は、色々と昔の出来事の証人だからね。タメになるよ。ボクは言ったよ。「チューブの中身を、しぼって、絞り出すように、持っているもの、体験したものは、使ってほしいよ。老いの気持ちだね」。やっぱり何かに役に立ちたい心境はある。記者さんは「ハッ、ハッ、ハ」と笑っていた。記者だから、各地で、様々な事件や事故や出来事に出会っただろうね。そういう体験が、本人の実になり、財産になる。体験こそが、タカラです。
★きょうは、教会では「教会の母、マリア」の記念日を祈りました。「聖母マリアさま」とは心身、霊的の深い「つながり」がある。マリアさま抜きには、人生は語れない。コルベ神父も「マリアを通してイエスへ」が信念だった。「マリア」を呼吸していた。「マリア」のお名前を呼べば、必ず助けてくださる、そう信じて実生活を生きていた。
★潜伏キリシタンたちも、秘かに自分たちの集まりの中で、サンタ・マリアに祈って、信仰を子孫に伝承していった。「サンタ・マリアのご像は、どこ?」。キリシタンが叫んだ、あの心情を我が身にも呼び起こして、信仰をつづけていきたいと、今朝は祈った。
             

2019年6月9日日曜日

知能検査。ボケの調べ。イヤだね。引いちゃうよ。でも合格です

きのうは、自室に、看護師さんがノックして「知能検査をします」と言われた。ちょうど日記を書き終わった時だった。このボケの検査が、イッチョん、スカン。老いれば、誰でも人や品物の名前を思い出せない。あるでしょう。いきなり言われたら、ガックン、1歩、引きますよ。
★「ちょっと、待ってよ。(ロザリオも有るし)。4時頃、どう?」と答えた。1年に1回のボケの検査です。100から7引きなさい。そんなのは大丈夫。問題は野菜の名前だね。急に言われたら、出てこない。案外、これが難しい。少し、整理が必要だね。老いると知能検査は気になる。
★野菜の名前は、以前は「色」で覚えた。大根は白。人参は赤、トマト、玉ねぎ。緑はホウレンソウ。これではダメだな。今度は変えた。長いもの、丸いもの、大きなもので覚えることにした。すると、ウマイ具合に、スラ、スラ、行ける。
★ロザリオが終わって、3時半に自分から医務室に行った。3人の看護師さんが居た。「あら、来てくれたの?」「そこじゃ、はずかしいよ。別のところで、しよう」。窓辺の小机に座った。「お歳は何歳?」から始まった。「きょうは何年何月何日ですか。何曜日ですか」「ここは、どこですか」「3つ、数字を言います。反対に言ってください」「今度は、4つの数字です。反対に」。難なく、クリアです。「3つの言葉を覚えてください。後で、聞きますからね」「ハイ」。去年は(梅、犬、自動車だった)は心の中。「あれあれ、今年も同じ3つだよ」。変えた方が良かったのに。いらぬ心配、ここで、する。次に、いよいよ「野菜の名前を言ってください」が出た。
★そりゃ、一応、念頭に入れていますからね。スラ、スラ、ドン、ドン、10個以上を言いました。「ああ、もう、いいです」と、さえぎられた。「100から7を引く」。これは10を引いて3を足す。93、86、79、72。「ああ、もう、いいです」
★問題は最後の、5つの品物を見せる。これが難しい。難関だ。「覚えてください」。ギョロッと見る。紙を乗せて隠してしまう。「ハイ、言ってください」。これがボケの核心だ。しっかり覚えていたよ。「目薬、カギ、爪切り、体温計、時計」。私は言ったよ。「去年は、ボールペンがあったのに、無かったね」「合格です」「ハッハッハ」。まだアタマは、しっかりして、おります。日記を書いているお陰かな。

2019年6月8日土曜日

エレベーター工事の完成近い。スズメの観察。9羽が仲良く生存

いま、エレベーター拡張工事です。先日、写した工事の状態です。奥に見えるのが階段で、屋外から巨大なホースで、コンクリートを流し込んでいるようです。音がうるさい。でも、エレベーターが広くなるのは喜ばしいことで、有り難いです。車椅子の入居者が増えているので、今までは2台しか入れなかった。皆さんの期待がかかっている工事で、雑音も、埃も、辛抱して、完成を楽しみにしています。
★さて、それが今日の状態は、このようになりました。見てください。恰好がついたじゃないですか。エレベーターの場所が分かるようになりました。写真の右側のスペースだけ、長くなっているのです。今度のエレベーターには、ベッドも入るというから、車椅子は幾つ入るか、形も出来て、後は内部の工事が控えているのでしょう。工事には費用がかかる。ホームの経営の法人も苦慮しております。
★「スズメ劇場」。朝食が終わった朝ごろが、スズメも活発に動いて、飛び跳ねて、務めを果たしているようです。左のスズメを拡大して、よく見てください。口に長い枝をつまんでいますよ。エライな。感心しますよ。せっせ、せっせと、動いている。何が「生きる精道」に突き上げるのでしょうかね。スズメに負けちゃ、ならんね。この場所に、9羽のスズメが飛び回っているのが確認された。2つの家族かな。
★巣に入る瞬間のスズメを撮りたい。入る、出る、瞬時の出来事で、うまく写されない。やっと、巣に入ろうとするスズメをキャッチした。赤い矢印の中を覗きたいよ。どうなっているのか。スズメのお宿が知りたいよ。こうなったらね。なんで、こんなに、こだわるんだろう。ヒマなのかな。情があるからかな。とにかく楽しく成長してほしいよ。
★いま、戸を「トン、トン」と、ノック。「ハイ」。看護師さんだった。「知能検査をします」「えーェ、するの、いやだな」「ちょっと時間をください」「じゃ、4時頃に来ます」「ハイ」

2019年6月7日金曜日

登明日記は「シブ柿」かも知れません。でも皆さんの励ましがある

昨日の日記に「コメント」が2件ありました。2件とも、「すずめ劇場」と書いてあったのには、苦笑しました。昼食後、廊下から屋外を眺めると、スズメが居る。きょうは、同時に5羽居るのを、はっきり見ました。2羽が巣の中へ入った。デジカメで、5羽を一緒に、また、巣から出る瞬間を撮ろうと頑張ったが、スズメはジッとしていない。サッと、逃げる。だめだな。撮れないよ。立って見つづけると、足が痛い。あきらめた次第です。でも巣は確認した。子どものスズメでしょう、5羽居った。
★写真は、ホームの自室の窓側の片隅、椅子とパソコンです。ここで日記を書いている。きょうは何を書こうか、悩みますよ。毎日、読んで下さるのが嬉しい。
★もう30年ほど前になりますが、椿原・学校の朝礼で、小・中学生に、こんな話をしたのを思い出した。
★田舎のお爺さんが、柿の木に登って、柿を取っていた。小学生たちが「おじさん、その柿、食べられるの?」「いや、しぶ柿だよ」「シブ柿、どうやって食べるの?」「そうだな。煮て食べようかな」。すると小学生たちが「おじさん、落ちないように、気をつけてね」。それを聞いたお爺さんは、感激した。思いやりのある優しい言葉だよね。「ありがとう」とお爺さんは木の上で反省した。「煮て食べよう、なんて、フザケタな。ゴメン、干し柿にして、あの子供たちに食べさせたい」。私たちは、生活のなかで、何気なく発した一言が、いかに人を喜ばせるか、また人を傷つけるか。瞬時の言葉なんだが、大切な判断だよね。
★「スズメ劇場」に興味を寄せて、毎日、「91歳の日記」を見て下さる皆さん、ありがとう。感謝しています。皆さんの熱い思いは、また私に戻ってきて、励まされております。日記を書き始めた理由は「病気・ガン」と言われ、どのように落ち込むか、報告のためでした。幸い、元気が与えられ、10年が経過しました。
★聖コルベ館から、ホームへ。大きな環境の変化があったにもかかわらず、つづけてのご支援は嬉しいです。
★登明日記は、シブ柿かも知れません。でも皆さんは「気をつけてね」と言ってくれるのが分かります。シブ柿も、アマ柿に変えたい。スズメも、すぐソバで、チュン、チュンとタクマシク生きているじゃないですか。生きるとは「孤独と出会い」であり、「愛とイノチ」です。これが人生。苦しくても神の愛を信じつつ、きっと良い事があると希望しつつ、これからも歩みます。