2020年12月31日木曜日

2020年、最後の日に何を思う?支えられた恵み、生き延びた喜び嬉し

令和2年、最後の日になりました。
日記を毎日、読んでくださった皆さん、有り難う。
今年は、本当に、大変な年になりました。新型コロナの発生と、感染拡大で、連日、不安な日を過ごしました。
まあ、こうして元気で、立っておられるのも、大きなチカラが支えて下さっているのを感じます。
今日、精いっぱい、生きよう。その積み重ねが、今に至る。
コロナの影響で、ホームの面会も禁じられて、訪問者が少なかったのが寂しいでした。
日記の読者の皆さんから、マスク、精製水、お菓子など沢山のご支援を頂きました。全く知らない人から届く宅急便やお便りは、大きな励みになります。日記も、600人前後の人たちが、国内、海外で、読んでくださっています。トマが入院すると、数字が上がるんですね。
★今年の3つのよろこびは、なんだろう。
やっぱり、第一は、NHKの全国放送『こころの時代』に出たことです。3回も放送された。午前5時。次は午後2時15分。その後、長崎地方だけ午後7時30分からの、朝、昼、夜の時間帯でした。影響力も凄かった。喜んでいます。
★戦争中、ナチの強制収容所で、コルベ神父から命を助けられた男性に、1983年、ポーランドで初めて会って、証言を録音しました。証言を日本語に完訳するのが、トマの念願でした。今年は、この願いが完成したのは、将来を見据えての大きな喜びでした。貴重な資料になる。
★次は、皮ふガンです。丁度、背中の、手が届く所に出来た。早めに切除したのが喜びとなる。
★電話で、ある女性が言った。「トマさんは、修道士で、良かったよ。司祭(神父)になっていたら、今までのような仕事は出来なかった。修道士だったから、ポーランドへ10回も行けたし、日本二十六聖人の映画もやったし、オラショの旅もした。修道士だから、親しみがあるのよ」。嬉しい事を言うじゃないですか。トマの言うこと、あまり本気にするなよ。君(あなた)の肩と、トマの肩は、高さが一緒だよ。
★あしたは、初日の出が見れるかな。よいお年を迎えてください。祈ります。
★「愛は、なぜを、問わない」(聖ヨハネ・パウロ二世教皇のことば)

2020年12月30日水曜日

先月、面会の継承女性が、入り込んできた。手をつかんでくれ。その願い

長崎平和推進協会、継承課に勤める女性職員さんが、ホームに面会に来たのは、先月の半ば頃だった。女性は、アメリカの大学で学んで、その後、一時期、アフリカや、紛争地区で、奉仕体験の経歴がある。
今年、東京で、洗礼を受けた。長崎に呼ばれて、平和推進協会で働いている。
自分の体験から、小崎さんの体験に重なる理解を感じると言う。「小崎さんの原爆体験の継承者になりたいです」と、ふところに飛び込んでくる意欲を見せた。
★12月に入って、突然、スマホとその付属品、それに解説の手順を送ってくれた。スマホも、普通、ホームの職員が手にするスマホより、デカい。トマが使っているのは、ガラケイだよ。生活の中で、電話で受け答えが出来れば、それで十分。スマホは全く使っていなかった。それだけ老いぼれということです。
送られてきたスマホで、継承の女性と相対じして、会話ができるようになった。便利だね。
★ある日、継承女性から、スマホに会話が入った。「近い日、外海へ行きます。小崎さんのお母さんのお墓参りをします」「えー、墓参り、してくれるの?」「ハイ、しますよ」「外海に行ったら、ぜひ山崎政行さんのお宅を訪ねなさい」。昨日、山崎さんのお宅から、スマホが入った。
山崎さんと、顔を見ながら、会話が出来る。最近の状況など聞いた。山崎宅は、外海キリシタン映像の資料館だ。山崎さんの行動に歴史がある。継承の女性も満足の様子だった。
間を於いて、今度は墓地からスマホが入った。墓の様子が映る。「眺めが、いい場所に、お墓がありますね」。スマホは、海の方向、こんもりした山(城=じょう)を捕らえた。黒崎集落も映る。継承の女性に感謝した。
★2021年は、この継承女性職員さんと、何かが起こりそうな予感がする。17歳というヤンチャな年齢の少年が、何を見たのか、何を感じたのか、現在、戦争を知らない世代が多くなった今、その体験は貴重な価値となる。ヒバクシャは嫌遠された時代もあった。それが今は、追っかけられる。その被爆者も歳を重ねて、次々と消えて行く。
★戦争は、2度と起こしたくない。核兵器は、絶対に使用してはならぬ。原爆体験の恐ろしさ、実態と被害を、誰が、これから伝えて行くのか。大きな課題が残っている。戦争、起こすな。核兵器、使うな。その叫びを、つなぎたい。手を伸ばしているよ。その手をつかんでくれ。願いは、それ。

2020年12月29日火曜日

ホームの「餅つき」ペッタンコの音なし。モチを食べて生きる、ほほ笑み

ホームの食堂での「餅つき」。
調理場で、ふかしたコメを、ごらんの小さな器具に入れる。フタをして、くる、くる、回す。昭和ひとケタ生まれは、見ていて悲しくなるよ。「餅つき」の、ペッタンコの音は、どこへ行った?
昭和、平成、令和と生きて、ソロバンから、スマホに変わって、自分の気持ちさえも変わって行くのかなァ。
この風景には、夢がないよ。
「正月が来るぞ」の希望が湧かないよ。
★「モチを丸めに来て下さい」とアナウンスがあった。6、7人が集まった。老人ホームでは、職員さんは、各人に、モチを食べさせるのを、心配する。栄養士さんが前もって、「モチ、食べれますか」と聞いて回る。
★安心して、モチを食べれる入居者は、限られた人数。その人たちは、幸いだね。ホームの食卓は3組に分かれている。1組は介護が必要。2組は半分介護。3組が普通。モチが食べれるのは3組です。餅つき後、正月は近くに来る。
★昼食と、夕食に、「アンコ入りのモチ」が、1個づつ出ました。1個、食べれば、この笑顔になる。ニンゲンって、単純なモンよ。「幸せや、なあ。長生きして、よかったよ」。モチを食べれば、利口になるさ。
★今年1年、出会った人の顔が浮かんでくる。贈り物や、手紙をくれた人も思い出す。日記を読んでくれる人たちも、有り難い。支えられて、ここまで来た。こうなったら「生きる事」に執着するね。あと2か月経ったら、93歳だよ。
★「長生きは、恵み」が、ズシン、ズシンと、肩に伸し掛かってくる。生まれて、育って、働いて、病気がちだったのに、この歳まで生かされた。今年は、トマにとっては良い年だった。そして1個のモチに有りついた。このモチは、単なるモチじゃない。恵みを戴いているわけです。「ありがとう」「うれしいよ」「生かされているよ」。皆さんに向かって、そう感謝したい。モチを、かめば、人生を、かむ思いがする。

2020年12月28日月曜日

新・管区長・谷崎神父さんと語る。寂しい気持ち、「日記」で恵みとなる

ホームの玄関に作られた「馬小屋」。
なんか、今年は、ちょっと、寂しい感じ。入居者も、年々、歳を重ねて、身動きが大変になって来ています。
このホームの経営母体は、トマたちの修道会です。正式には「コンベンツアル聖フランシスコ修道会」といいます。歴代の園長も、現・園長も、修道会の司祭(神父)が勤めており、事務長などは修道士が勤務した時もあった。修道会の修道者たちも、何人も入居して、介護のお世話になり、見送った。
★この秋、修道会・日本管区の「管区長」が交代しました。湯江修道院とホームの入居・修道者を訪問に来られる。
お名前は、ルカ・谷崎新一郎神父さん(49歳)です。
湯江修道院に司祭2人・修道士2人が居り、ホームに司祭3人、トマ修道士がいる。1人づつ、1対1で、ゆっくりと話しました。管区長神父さんは、聞くだけです。
トマも話しました。まる6年が過ぎて、7年目を迎える。入居当時は、修道会から切り離された気持ちで、寂しかった。落ち込んだ。
★だが、いま、振り返ってみると、毎日、「登明日記」を書いているお陰で、毎年、出会いや、交流や、語り部のチャンス、新聞に出たり、テレビに「91歳、日記を書いて10年」が出たり、今年は、NHKのテレビ・全国放送の「こころの時代」に出演するなど、年ごとにお恵みがあって、気持ち的にも落ち着いて暮らしています、と報告をしました。
★ごらんの通り、谷崎新一郎管区長さんは、若さ溢れる明るいお顔で、聞いてくれた。管区長さんの語り口は、ゆっくり、優しく、微笑みが、こちらへ伝わる。その雰囲気から、修道会につながれている安心感と、兄弟性を感じました。任期は、4年間です。来年の1月に、管区会議が行なわれて、任地や、任務が、決まるでしょう。ホームに居る私たちは、変わらないでしょう。自分に課せられた課題は、「どのように枯れて行くのか」「神に近づいて行くのか」。人生、最後の時間となる。
★日本管区の修道院は、東京に4か所。愛知に2か所。兵庫に1か所。長崎に4か所。奄美大島に1か所。沖縄に3か所あります。それぞれの場所で、60人の修道者が、教会、幼稚園、小・中・高校、養護施設、養老施設などで宣教活動を行なっています。
★修道会の本部は、ローマですが、有名な修道院に、アシジの聖フランシスコ修道院がある。ここには聖フランシスコの遺体を守っている。ポーランドの二エポカラヌフ修道院も有名でしょう。長崎の聖母の騎士修道院も親しみがある。
★新・管区長さんに出会って、ゲンキがでました。引退したが、小さく呼吸しているボクが居る。かすむ目で、世をみつめ、遠くなった耳で、天の声を聞こうとしているボクが居る。生かされているのが、喜びです。

2020年12月27日日曜日

小さな出会いでも、ふくらんで、今に「つながる」。新たなチカラを生む

ホームの湯江教会の祭壇に飾られた生け花です。降誕祭も過ぎて、今日は「聖家族」を祝いました。イエス、マリア、ヨゼフの聖なる家族です。
今日は、1枚の写真を見つけました。その思い出を語りましょう。聖コルベ館に勤めていた時、ちょうど10年前の秋でした。北海道から、1人旅の女性が、聖母の騎士へ巡礼に来た。ルルドへ登ると、どこからともなくネコちゃんが、先導して案内した。ネコちゃんの名前は「ライモンド」だね。
ルルドで祈ると、ライモンド君は女性のヒザの上に座って、ジーッとしていた。
聖コルベ館に戻って来た女性。ちょうど天気は良し、夕方でもある。長崎の海に落ちる夕陽が美しいはず。「神の島へ行きなさい」。ガイドに、自著の「長崎オラショの旅、買いなさい」と勧めた。
北海道の都市の名前は聞いたが、女性の名前は聞かなかった。送り出した後、風景はどう
だったのか、少々気になった。
★数日後の日曜日。聞いた都市の教会へ電話した。「誰か、ミサ後に、長崎へ行ったという女性は、居りませんか?」「ええ、居りましたよ」「夕陽は、どうだったか、知りたいのです。良かったら女性に連絡を」と頼んだ。電話が、かかる。「今、ロザリオの最中です。後で、ね」
★その日の、夕食の後、女性から電話が、かかる。「それは、それはのカンゲキでした。ドンク岩のマリア像(4m)の足元に、30分は居りました。向こうの島に夕陽が沈んで、太陽の光が、海にキラキラ手前に伸びて、ちょうどマリアさまの所に達するのです。その感動、ああ、長崎まで来て良かった。小崎さんのサインも頂いた。『試練は喜びに変わる』希望を持って、歩んで行きます。ありがとう、と感謝の言葉を受け取った。
★それから2年後の12月、2度目に聖コルベ館へ来た。再会の喜びを果たした。「ランモンドに会った?」と聞くと、「残念、会わなかった。これ、おみやげ」と、ネコ用のスナック菓子を残して別れた。「登明日記」に、時折、コメントを寄せている「マリア・フランチェスカさん」が、その人です。
トマには、家族は居ない。修道者の仲間が、家族であり、出会って、ご縁がつながる人が、家族です。
★聖コルベ館から、10年のご縁。長いですよね。ホームに入っても支えてくださる。見守ってくださる。北海道から長崎まで、遠いですよね。だが、心の「つながり」には、距離はない。人は、出会って、痕跡を残して、ふくらんで、生きるチカラが湧き出てくる。残念ながら、ライモンド君の行方は不明のままです。

2020年12月26日土曜日

ホームの降誕祭のミサは、多くの車椅子の人と共に祈った。平和と善意を

昨日のホームのクリスマス・ミサ。
山内園長神父さんが司式。瀧神父さん、大野神父さんで捧げられ、祈った。
普段のミサは、車椅子の信徒は、1人だけだが、降誕祭は、車椅子の人も、20人余りが一緒にお祝いの祈りを捧げた。西山神父さんも居られた。
★今年までも無事で、降誕祭を迎えられたのは恵みです。「ああ、生きているな」の実感が湧いてくる。大切なのは「祈り、愛、清さ」です。生活と、人生と、信仰がある。
★「天には、神に、栄光。地には、善意ある人に、平和」。空には、すばらしい、ガンチクのある言葉が飾られている。ホームの湯江教会の「馬小屋」は、毎年の作りと変わらない。幼子イエスが、少し小さいかな。
宿が無かったヨゼフさま、マリアさま。「馬小屋」でお生まれになった幼子。かわいそう、思いますよ。
誰が、どの家族が、馬小屋が誕生地になる人が居るでしょうか。
幼子は、誕生から苦しみ、寒さに泣いていた。最後は、十字架の上で、マリアさまに看取れて、息絶える。ふしぎなイエスの生涯と思いませんか。
世の中は総て「目には、目を。歯には、歯を」で回っている。イエスの教えは、愛。
神を愛しなさい。隣人を愛しなさい。敵が飢えているなら食べさせ、乾いているなら飲ませなさい。徹頭徹尾、愛でした。救いは、愛。
★昨日の祝賀会で、サンタさんになった森さんの、いい顔、ほがらかな表情の写真があるので、載せました。
この顔は、老いても幼子の顔と一緒だよ。
聖なる幼子も、両手を開いて、ヨゼフさま、マリアさまを見ていただろうな。
「幼子の心にならねば、天の国には入れない」
やっぱり降誕祭は喜びだね。
余韻が残る今日は、良い日でした。
ホームの食事も温かい。
★人生は、自分の可能性探しである。人のお役に立てることはないか。失敗しても、失望しない。もともと弱いんだ。自分のチカラに頼ることなく、かがんで、手を合わせて、聖なる幼子の安らかに眠る愛に、目を注ごう。信仰者の生きる道が、馬小屋への道にある。

2020年12月25日金曜日

降誕祭。生きる喜びが、バクハツした。ミサで祈り、昼食で盛り上がる

クリスマス、おめでとう。
ホームでは、午前10時から、降誕祭のミサがあった。
ミサの前に、3人で写真を撮った。右から、森さん、77歳。トマ修道士。左が浜崎さん、76歳。2人はホームに来て、初めてのクリスマス。喜んでいるよ。
森さん、骨折で、入院した時もあった。2人の他に、もう1人、83歳がいる。浜崎さんは、彼を良く介護している。ミサで、みんなの幸せを祈った。
★昼食のとき、ホームにも、サンタさんがやってきた。見ると、「え、え? オドロイタよ」。サンタさんは、森さんだ。トナカイは、浜崎さんだ。お姉さんか、おばさんか、知らないけれど、美女の天使に付きそわれて、マンゾク、幸せな表情。プレゼントを配りました。森さん、浜崎さん、世の汚れを知らない純情男子だよ。修道士でも、アタマが下がるよ。「山の生活と、こっち、どっちが、いい?」。2人は同音、「こっちだよ」。降誕祭は、幸せを運ぶんだね。

★昼食のとき、賑わったのが、職員さんの「寸劇」です。12人も居るよ。嫁探しの青年が出てきて、金持ちの女性と、働き者の女性が出て、「どちらを選ぶか」という選択を迫られる。3人の子供に、ビンボウ神も出て、右端に、着飾りの女性も加わって、見ている私たちも、なにが、なんだか、ワカランようになる。まあ、最後は、めでたし、めでたし。根気よく、こつ、こつ、進むのが、いいって言うことよ。クリスマスだから盛り上がるね。
★今年の降誕祭まで「生かされた、感謝だね」。それだけは、根から思うよ。徐々に、知力、体力も落ちて行く。自分でも、分かるよ。それに耐えていく。受け入れていく。これが難しい。でも、生かされている限りは、がんばろう。トマ修道士を支えて下さる日記の読者から、カードや、贈り物を頂いた。眼に見えない所で、祈り、見守る人たちが居る。それが明日への元気につながる。
★昼食には、お祝いのゴチソウも出た。こんなに恵まれて、いいのかな。

2020年12月24日木曜日

聖母の騎士のクリスマス・パン。マチア修道士の味を継承する。美味しい

聖母の騎士のクリスマス・パン。
松下修道士さんが届けてくれた。毎年、降誕祭に食するお祝いのパン。
歴史があるんですね。
長崎の聖母の騎士にポーランド人の修道者が大勢いた頃、マチア修道士さんが「パン焼きの係り」で、クリスマスには、特別のパンを焼いて、皆さんを喜ばせていた。いつの頃からか、もう長年、その味を継承して、特注で作ってもらっているのです。これを食べると、ああ降誕祭が来た、と思う。
★この特注のパンを作るパン屋さんが、異色な職人さんだと聞いた。毎年、ヨーロッパへ行って、各国のパン屋さんと、自転車で交流している。腕、感覚に、パンの技術を磨いている。だから味は抜群においしい。
パンの上に、砂糖。手で触ると、アブラがつく。ふわ、ふわで、やわらかく、干しブドウが散りばめている。
★イブの日。屋外は雨が降っている。夕食の時間は早め。その後、ホームの湯江教会で、降誕祭のミサが行なわれる。
★ああ、今年は、やっと、この日が来たか、の感じです。コロナ、コロナで、心配の日々を過ごしました。職を失った人、困窮している家族、独居老人など考えると、静かなホームに居て、幸せに暮らしていいのか、心が痛みます。今年の降誕祭は、ツライ気持ちです。平和と幸せがあるように、祈ります。

2020年12月23日水曜日

youtubeで小崎登明を検索。コルベ神父や、日本26聖人の動画が見れる

『長崎みかん』が送られてきた。
今年は、みかんが、よく実っているようです。食卓でも、みかんが、出ている。
頂いた『みかん』箱を、自室の入口に置いていたら、出入りする人が、少しづつ取って、ほとんど無くなった。
贈り主にお礼の手紙を書いたら、きのう、電話があって、「youtubeで、小崎さんを動画で見ました。『日本二十六聖人』の映画も見ました」と喜んでいた。
トマは、まだ見たことがない。youtubeの事は、全く知らない。事務室の職員さんに頼んで、教えてもらった。ここは電波も弱いし、老人のアタマも弱いし、ダメだね。日記だけを書くのが、精いっぱいだよ。
★「youtube」で、「小崎登明」を検索する。すると、出て来るじゃないですか。
➀聖コルベ館での、トマ修道士の原爆の話。
②長崎へやってきた聖母の騎士たち(マチア修道士)の話。
③長崎におけるコルベ神父。(中島万利神父の証言やセルギウス修道士の証言など貴重な声が収録されている)
④身代わりの愛のビデオ(聖コルベ館で見せている)。
④映画「日本二十六聖人(我、世に、勝てり)」。
⑤ポーランド映画の「ニつの冠」。
トマの若い頃の解説が入っている。うわずった、ヘンな声だと思うよ。だが、見る事が出来て、安心した。結構、役に立っているな、と喜んだ。その検索の方法を習う為に、今日の午前中は、過ごしてしまった。
★神奈川県のカトリック系の女子高校から、手紙が届いた。毎年、11月に、長崎へ「校外学習(修学旅行)」に来る。30年近く、この女子高校生たち(200人前後)には、心して語りべを努めて来た。今年は、コロナの感染拡大で、来れない。生徒たちは、テレビに出演された「弱さを希望に」を視聴しました。来年は、聖コルベ記念館で、お会いできますことを願っています、とあった。「希望は持ちたい」思いです。 

2020年12月22日火曜日

クリスマスに思い出す。温泉宿で修道者の集い。9年前だよ。良かったな

老人は、過去の思い出の中に生きる。クリスマスになると、思い出す。
トマは、毎月、原爆・療養のため、車で1時間の温泉宿に2泊し、憩っていた。長崎地区の修道会の仲間が「オレたちも連れて行ってよ」との願いから、1泊2日の温泉泊を楽しんだ。「小崎さんが、うちに来るようになって、7年になる。今日は皆さんに来てもらって嬉しいです」と宿の人。「教会の祈り」から始まり、夕食の乾杯は、トマが仕切った。
★夕食では、修道士の1人が、隠した所から、自作の竹製のジョッキーを取り出し、満足そうに飲んだ。この写真のシーンが、それです。この場面、未だに忘れない。みんなを湧かせたよ。普段は飲まない修道士。飲むのは週に1度。夜の共同休憩の時だけ。「だが、今夜は何杯飲んだか」と竹のジョッキーは、つぶやいただろう。飲む彼は、いつも、ほほ笑み。飲んでも、ほほ笑み。仕事は熱心で、優しい修道士、皆に好かれる。
★次に出るのは、カラオケだね。トマは『古城』を歌った。好きな歌だからね。最後は、全員、ステージに上がって『長崎の鐘』を合唱した時は、そりゃ気分は盛り上がったよ。
★翌朝は、打って変わって、ゲンシュクな祈りの朝となる。畳の大広間で、教会の祈りと、ミサ。家族的な宿で、ミサが捧げられたのは初めてだろう。宿に祝福もある。その後、また現世の、宣教の場に戻ったわけです。
★宿は、島原半島の小浜(オバマ)温泉『富士屋さん』、ああ、そりゃ、いい宿ですよ。ホームに入ってからも、2度、3度、お世話になりました。宿の皆さん、お元気だろうか。

2020年12月21日月曜日

飾りや音楽で浮かれるな。心を清くして降誕祭を迎える。大切なモノ何?

朝は、冷える。4時半に起き、5時過ぎにはホームの湯江教会に入る。
濱田神父さんと、高原修道士が祈っている。早い。降誕祭を迎えて、告解(こっかい=ゆるしの秘跡)を受けた。
長崎の信徒たちは、復活祭の前と、聖母被昇天祭の前と、降誕祭の前に、告解をする習慣がある。
修道者は、月に1度、告解する。
修道者が、生涯、この身分を貫けるのは、聖体と、告解と、共同生活のお陰と思っている。
人間は、神から出て、神に帰る存在だ。
基本に、その気持ちがある。いま、神に召されたら、神の御前に立てる自分であろうか。そう、自分に問いかける。汚れは、ないか。ゴミは、ないか。神に向かう心はあるか。
素直に、有りのままに、司祭に正直に告白する。
祭壇前の小さなローソクにも、4本に灯がともった。降誕祭は間近い。お祝いムードも大切だが、こころの整理も大切だ。ただ、浮かれていては、いけない。清らかな心で、幼子イエスをお迎えしたい。ホームの女性が、「告解に行きます」の声を聞いた。
クリスマス・カードが何枚か届いたが、その中で、「いい絵だな」と、ジーッと見つめたカードがあった。
馬小屋のクリスマスを始めたのは、アシジの聖フランシスコ。白い文字のラテン語が記されている。小神学生のとき、ラテン語を習ったので懐かしかった。「今日、キリストは、お生まれになった。今日、救い主は、現れた」
全世界が、この日を喜び、お祝いする。「なんでだろう、なんでらろう」。真の意味を本当にしたい。
 ★「こころに、キズのない人間は、人の気持ちに、寄り添えない」

2020年12月20日日曜日

修道士セルギウスさんの命日。しっかりとアクシュ。コルベの愛を下さい

過ぎ去りましたが、12月16日は、修道士セルギウスさんの命日でした。逝かれて10年になります。103歳でした。
ベッドのセルギウスさんの手を、しっかり握るのはトマの手です。腕は、痩せていたが、握力は強く、温もりがあった。
あの日、早朝、病院からの電話。トマと他の2人が駆け付けた。
平静に目をつぶり、計器だけが、脈拍を刻む。胸を撫でると、脈が高くなる。しばらくして白衣の人が、悲しい時を告げた。
★トマは、温かい胸を撫ぜつつ、叫んだ。「セルギウスさん、日本へ来て、よく頑張ったね。コルベ神父さまの所へ行きなさい」。叫びは、号泣に変わっていた。自分でも、びっくりする程、何十年ぶりの涙だった。午前6時45分。
★彼が90歳を過ぎた頃、トマは彼の『回想録』を録音した。「どうして、そんなに長く日本に居るのかと、よく聞かれるが、理由は、2つある」
★最初、日本へ着いた日の出来事。シベリア鉄道から、船で下関へ。着いた所が、汽車を間違えて、熊本だった。慌てて、長崎行へ乗り換える際、財布もパスポートも無くした。汽車の窓から、娘さんが身を乗り出して、渡してくれた。「最初の印象、日本人は、いい人。日本人の好意を強く感じたわけです」
もう1つは、コルベ神父が帰国する時、別れる際に、聖母に騎士の大門の所で、「自分は目上の命令で帰りますが、あなたは死ぬまで日本で働いて下さい。後を頼みますよ」と願われたからだった。
★セルギウスさんとは、長年、一緒に暮らした。食卓も同じテーブルだった。94歳まで、ルルドの係りを勤める。その後、病院での療養が始まった。101歳のとき、病院・ベッドで、まだ会話が出来た。トマが見舞いに行った時の会話です。耳元で「ジンドブリ(こんにちわ)」「ジンドブリ」と反応した。「ジンクーエン」「ジンクーエン、バルゾ(大いに)」と手ごたえがあった。トマが「マキシミリアン・コルベ」「わたし、セルギウス・ぺシェク」「コルベ神父さま、どんな人?」「聖人、優しい人、いっしょに8年間」「あなたは?」「ツミ・ビト」「あなたも聖人になって下さい」。するとセルギウスさんは「大将、聖人。生徒も、聖人、ならんば(ならなければ)と、ハッキリした言葉で返してくれた。
★セルギウスさんが日本に来た時、24歳。もう1人の修道士と2人で来た。その仲間の修道士が老いた時、ポーランド・二エポカラヌフ修道院へ帰国した。セルギウスさんは、その事を悲しく思っていた。トマは、ポーランドで、その修道士に出会った。彼は100歳で召された。人生、誰にでも、素晴らしいドラマがある。
★長崎といえば、オランダ人、イギリス人が思い浮かぶが、ポーランド人も素晴らしい人たちが居た、それを知って欲しいのです。「あなたに出会って、本当に、よかったよ。人生、幸せになったよ。そう言える人に出会うのが、一番の恵みです」 

2020年12月19日土曜日

将棋の加藤一二三さん、トマの色紙を喜ぶ写真。コルベ神父を慕う名人

1枚の写真が見つかった。
将棋の加藤一二三さん。聖コルベ館のとき、誰か、加藤さんに会える人が来た。それでトマ自筆の色紙をことづけた。戻って来たのが、この写真。加藤一二三さん、嬉しそう。
「コルベ神父が、呼んでいる。祈りなさい。こころが、安らぐ」
加藤さんは、コルベ神父さまが大好きです。色紙には、コルベ神父の椅子もある。
★娘さんが、カトリックの幼稚園に通うようになり、食事の話題に、お祈りやシスターの話が出る。それで先に、家族が洗礼に導かれた。加藤さんも、教会に興味を持つようになる。『聖母の騎士』誌なども目を通す。特に心を動かされたのが、コルベ神父の『身代わりの愛』でした。コルベ神父が、休憩時間に『西洋将棋』を好まれ、自らもゲームを創案されたのを知って、ますます親密さを覚えたそうです。チェスに興じて笑い顔のコルベ神父の写真もある。 
★1970年、加藤さんは洗礼を受けられた。翌年の、コルベ神父の列福式も、10年於いての列聖式にも、加藤さんは参加された。旅行は、トマも一緒でした。加藤さんは、熱心にお祈りしている。小さな存在であるのを分かったおられる。「戦いの前には、必ずお祈りしますし、心を整えるために、お祈りをしています」。対局中は、聖歌も歌うと言う。ビックリだな。「それは相手の前ではなくて、個室で、ひとりで歌います」
★今日、この写真を見たのも、何かの縁でしょう。クリスマスが近づく。加藤一二三さんが洗礼を受けて、ちょうど50年になる。加藤さんにとっては恵みであり、お祝いでしょう。加藤さんは、こんな事を言われた。「自分の持てる力以上のものが出た時に、勝てるんです。ということは、別の表現で言えば、当然、神のご加護がなければ出来ないことです」
★自分の実力は、この程度だ。その自分の力が、充分に発揮できれば、たいしたものだが、その上の段階が可能な時が、時たま、ある。その時が、最高の境地になる。
★テレビでも、おちゃめな「ひ・ふ・みん・さん」を、時々、拝見する。「白はつに、なっても、実る」と言われた。老いても、喜んで生きる、何かを実らせることが出来る人生を目指しましょう、ということでしょう。

2020年12月18日金曜日

絵手紙、毎月、重ねると、作品も多くなる。楽しみの時間、作るよろこび

絵手紙教室があった。
年賀状の絵を描く。
南天に似た、赤丸の実。
先生が持参したのは、「万両」。
千両、万両、と有るそうだ。
南天は、長崎南画でも描くが、千両、万両、よく知らない。
「検索」すると、南天も、千両も、万両も、お守りにもなる、とある。
めでたい実には、違いない。
何とか、万両が、出来上がった。
ヘタでも、作る喜びが、ある。
★静かに居りたい気持ち、歩くとヒザが気になる痛み、何かが進展しない焦り、思い浮かばないアイデア、それらが混ぜ合って、身体が前に進まない。朝夕は、寒さも厳しくなった。身を守るために、けんめいに、なって、おります。

2020年12月17日木曜日

イタリア輸入のケーキをもらった。あと1週間で降誕祭。弱さを認め祈る

早々と、クリスマス・ケーキを、シスターさんが持って来られた。
筒状の立派な箱の裏に、イタリア語の説明文と、小さくイタリアの国旗。イタリア産のケーキらしい。妙なケーキの形。なんと言ったら、いいのだろう。一瞬、スペインの未完成の、塔が高い教会を連想した。ふわ、ふわで、かみしめるごとに、幸せを感じる。クリスマスって、世界中、喜びなんだね。戦争は止めようよ。肌色が違っても仲良くしようよ。降誕祭は平和の日です。
★ケーキを持って来られたのは、このシスター。もう昔の話。昭和30年代かな。トマは、結核で、養護施設がある山の修道院で、療養していた。施設には、私立の小・中学校があって、大学を出たばかっりの女性が、1年か、2年か、小学生の授業を担当していた。その女性が、このシスターです。
今年の10月に、60年ぶりに訪ねて来た。お互いの顔を見て、「年月には、逆らえんね。歳をとったよ」。でも再会は嬉しかった。この度はケーキまで頂いて、喜びは倍加した。こつ、こつ、歩みつづける人生って、いいね。むかしのご縁が、今につながる。「感染症の終息を願いつつ、主の豊かな祝福を祈ります」と、サイン。シスターは来たが、トマは長崎へ診察へ出かけたので会えなかった。
★あと1週間で、降誕祭を迎える。ある人が言った。「人間には、誰しも、弱さがある。それを認めて、ひざまずく。そこに、神は、居られる。清くなりたい、強くなりたい、あこがれる。それが、なかなか出来ない。弱さを語ると、人と、人との間が、ちぢまる」

2020年12月16日水曜日

高原修道士さんの運転で、長崎のクリニックへ診察へ。疲れた一日でした

カラダのことは、お医者さん、任せです。
長年、毎月、診察を受けている長崎市のヨゼフ・クリニック。高木先生に、お世話になる。とはいえ、毎月、長崎市まで通うのは、苦難でもある。
朝、8時に、ホームを出発し、帰ったのは、午後2時でした。「先生、写真、1枚」「もう、いいよ」。振り返ったところをパチリ。
今年も、いろいろ心配かけました。先生も、ずい分、歳をとられたよ。
★長崎へ出たついでに、耳鼻咽喉科にも診察を受ける。左の耳から、アカをつまみ出し、右からは、炎症後の異物が出てくる。声帯も、カメラで診てもらう。「声が、ウマク出ないのは、なぜだろう」。いつも、そう思う。パソコンの画面に、毎回の映像が映る。比べても、変わりはない。素人の目にも分かる。
★聖コルベ館にも寄った。事務室で、山口院長神父さんに会う。高原修道士さんは、ルルドの水をポリ箱に汲み取り、何個も車に積んだ。湯江修道院やホームの皆さんが愛飲する。
★やはり疲れた一日でした。 

2020年12月15日火曜日

テレビに「遠藤周作」が出た。トマの遠藤先生の思い出。対談と案内を

作家・遠藤周作先生と、対談した時の写真です。40年ぐらい前になります。
先日、テレビが報じた。「遠藤周作の未発表の小説=影に対して」が見つかった。それ見て、遠藤先生とのご縁を思い出した。対談は、東京で、「コルベ神父・列聖記念特集号」のためだった。
作家の偉い先生だから、ビク、ビク、胸騒ぎがしたが、遠藤先生は快く応じてくれた。トマも「やるじゃん」といった感じです。
★対談の第一声は、遠藤先生の「よく、まあ、これだけお調べになって・・・『女の一生』二部は、この資料でなかったら、わからないですよ。本当に役立ちました」。その「資料集」(B4版上下二巻)を大事に持参されていた。
「コルベ神父さまは日本におられたし、僕は長崎に関心があって、『沈黙』以来、度々行っていますからね。いつか、小説に書けないものかなと思っていたわけですよ」
★対談を開く前に、遠藤先生を、かつてコルベ神父が長崎に上陸以来、大浦の仮・修道院だった場所を案内していた。ここでゼノ修道士や、ミロハナ神学生(当時)たちが1年間暮らしている。残念にも後日、火災となり、僅かに、壁と、暖炉が残っていた。
地面には雑草が生えている。遠藤先生が、雑草の中から、一輪の草花を見つけて、「コルベさんの花だよ」と言った。作家の視線に、大きな膨らみを感じた。
★トマの過去から、遠藤先生の思いは消えない。先生から、丁重な手紙も頂いた。外海の遠藤周作文学館で、語った恵みもある。先生への長崎案内で、空港に迎えた最初のイメージ、トマ修道士に向かって、スマートな体格の先生が、礼儀正しい恰好で「よろしく、お願いします」と深く礼をされたのには、ビックリした。それから遠藤ファンとなる。
★遠藤周作著『女の一生・第二部』より「コルベ神父は眼をつぶった。眼をつぶると、まぶたにナガサキの風景がうかぶ。雨あがりの大浦の坂路。虹が水溜まりにうつっている。大浦の坂から見おろせる湾。たくさんの船。日本人たちの歩く下駄の音。あれが日本に行った頃、まことにふしぎに思えた。(私がこんなところ『注・餓死室』にいると・・・ナガサキの日本人たちは知っているだろうか)

2020年12月14日月曜日

ホームで暮らして、22年。安らかに旅立った。97歳。あこがれる最後

早朝、ホームで、長い人生を終えた。
75歳で、入居して、22年間、ホームで生活した。テレジアさん、97歳。
午後2時30分から、ホームの信徒たちによって、ロザリオが唱えられ、つづいてお通夜の祈りが捧げられた。
逝かれたテレジアさんには、トマ修道士も思い出がある。トマが入居して6年だから、テレジアさんは91歳の頃だろう。聖書に熱心で、ある会に入り、毎日、読む場所が指定され、それに真剣に取り組んだ。
トマの部屋に来て、聖書を読む喜びを伝えていた。1年で、聖書を読む場所を完了し、それを3年もつづけていた。
テレジアさんの希望で、ホームの墓地に埋葬されるのを選んだ、と聞いた。
22年のホームの生活。テレジアさんを知らない職員も、入居者も、居ない。全員が知っている。ホームのお通夜で、皆さんは熱心な祈りと、別れを告げた。
明日は、午後からお葬式がある。
トマにとっても、別れは、身内のように辛く思えた。
★つい最近まで、職員さんから車椅子を押されて、食事に行くのを見ていた。「元気だな」と思っていた。急に、訃報を聞いて、悲しみに胸がしめつけられる。97歳。安らかな、神への旅立ちだった。あこがれるような最後だった。

2020年12月13日日曜日

男性職員さんの楽しみは、サカナ釣り。天干しの風景。心通わせ良い施設

ホームの庭に、赤い屋根の小さな「あずまや」がある。ホームでは「ガラスの部屋」と呼んでいる。ずっと以前に、故・初田園長神父さんの時代に建てた。
中には、イロリがあり、煮炊きが出来る設備もある。入居者の憩いの場に使っていた。今は、男子の職員さんが時々集まる。建物に、初冬の陽が当たっている。吊るされた四角いモノ。わかりますか。あれは、サカナを干しているのです。3人の男子職員さんと、濱田神父さんが、サカナ釣りに出た。
★島原と熊本の中間の海で、漁船を雇っての、サカナ釣り。大・小のタイ、アラカブが、5時間ほどで、5,60匹釣れた。広い海で、サカナ釣り。連想するだけで、楽しくなる。漁船の船頭さんは、本職だが、濱田神父さんは、本職並みの釣りの腕前を持っている。
★ホームに男子職員さんは、10人居る。誘われて、釣りに出るのは、半数だけ。後は、酒には酔わないが、船には酔う。釣った魚は、配ったり、それぞれの家庭に持ち帰る。残りを、天干しにして、忘年会か、新年会かで、賑わうのを男子の職員たちは楽しみにしている。
★自室の、パソコン横のガラス戸から、ホームの庭に、こんな家庭的な風景を眺めると、心が、なごむ。
★子供の頃、「さくら干し」といって、ウマイ魚干しがあった。手のヒラの半分ほどの大きさで、黒ずんでいた。10匹ほど連なっていた。ゴマが振り掛けられている。時々思い出す懐かしい味だ。どうして、今は無いのだろう。
★ホームの男子職員も、女性の職員さんも、お世話になっている私たちも、お互いが心を通わせて、「有り難う」「お疲れさま」「大丈夫よ」「がんばってね」など、声を掛け合って、ウマク回って行く、それが、いいホームだと思う。よいホームで暮らしたい。

2020年12月12日土曜日

贈り物の「ねぶた」ジュース。『はなちゃん』にも。思いがけない物語

クリスマスのカードが届いた。東京の、知らない夫妻からだった。手紙が入っていた。「別便で、父のふるさとの青森から、ジュースが届くと思います」。その届いた「ジュース」が、これです。長崎では、見たこともない「ねぶたジュース」なので、トマは喜んだ。
手紙には、こう記されていた。「2年前から、トマさんを知った。それ以来、隠れ追っかけをしており、ご本も全部、読みました。テレビも2回見て、11月には、2人で長崎・聖コルベ記念館を訪れ、ルルドでも、祈りました。テレビで見た、トマさんが座ったであろう座にすわり、お祈りしました。私たちは、クリスマス・イブに、洗礼を受けます。トマさんの本名の『幸一』というお名前が、好きです。『一ばん幸せ』。沢山の人を幸せに、喜びにしてくださる。トマさんに感謝です。いつかお会いしたいです。お身体が守られますように」。そしてカードの裏に、「ジュースが届いたら、『はなちゃん』に、ぜひ、飲ませてあげてください」と記されていた。
★『はなちゃん』のお母さんの絵里さん。ホームの介護や、ヘルパーの出張介護で忙しい。
「用があるから、来て」と自室に呼んだ。ジュースの箱を見ると、突然、「わあー」と叫びをあげる。「これ、はなが、大好きなのよ」と、まず一声。「ダンナの実家(同じ町内にある)に行くと、両親が、どこから、貰うのか、買うのか、これが、あるのよ。この『ねぶた』のジュースが、大好きで、『はな』は、2歳から飲んでいるのよ。うれしいな。『はな』、よろこぶわ」と、絵里さん大満足でした。
10本、受け取った。もと、もと、はなちゃんは、リンゴが好きな女の子です。いま4歳10ケ月になる。
絵里さんの話だと、この『ねぶた』のジュースは100%の濃厚リンゴだそうです。
絵里さんの生まれは函館。小学生のとき、連れられて、青森のねぶた祭りに参加した思い出もある。「ラッセーラ、ラッセーラ」の踊りの、ふしぎな言葉を教えてくれた。
★「ねぶた・ジュース」を送ってくれた東京のご夫妻さん、先ずは、イブに洗礼、おめでとう。あなた方の願いは、通じました。長崎へも行って、ルルドで祈ってくれて、トマも思い出して、本当に嬉しいです。信仰の恵みを戴いたら、真実の愛、奉仕、清さ、感謝に生きて下さい。
★ご夫妻に会った事はないけれど、何か、ふしぎな「つながり」を感じます。ホームに居て、寂しいけれど、ご夫妻のような「隠れた、追いかけ」さんが居られるのは、トマにとって、心強い恵みです。
★長崎では、珍しい「ねぶた・ストレート果汁」。ありがとう。金の缶もあれば、銀の缶も、あった。『はな』も喜ぶ。

2020年12月11日金曜日

自分の死を思い、死者のために祈る。修道士の身分を忘れるな。愛と清さ

キリシタン子孫の男性から、聞いた。
「むかしのキリシタンたちは、寝る前に、次の祈りを唱えていたそうです。
『ゴザは、カン(棺桶のこと)。
 マクラは、クルス(十字架)。
 この身は、死人(死者)。
 着物は、フタにして(棺桶のふた)。
 アニマ(霊魂)は、天主様に捧げます、
 アーメン』
私も、昔ながらの信仰で生きています」
彼は、熱烈な目は、私を見詰めた。
★上は、祭壇の生け花と、下は、ミサでの祈りです。毎朝、修道服を着て、教会で、祈る。心が安らぎ、落ち着くひと時である。修道士であるのを忘れない。
★ある年の黙想会で、指導の司祭が、しみじみ語った言葉。思い出す。
「一人の、老いた神父が言った。
『死ぬのは、こわいよ。
 だが、それを、超えるんだーー信仰で。
 今、本当の、私に、なる』
その言葉を残して、彼は、逝った」
★『死んで、本当の、自分に、なる』。この言葉が、強烈に迫ってくる。確かに、そう言えるだろう。よくぞ、この歳まで生かされた。感謝しか、ない。トマよりも若くて、元気だった仲間の司祭・修道士たちが、早く逝った。神のはからいは、わからない。
★生かされている恵みを喜んで受け取ろう。日々、「祈り、愛、清さ」。キリシタンのように、苦難があっても、常に、死を思い、神の御元へ帰るのを念頭に、呼吸をつづけたい。