いま、長崎では、サザンカ(山茶花)が、あちこちに咲いています。オバマ温泉へ行く途中で、仲間の修道士のお見舞いに、寄った。いつぞや、ブログにも書いて、お祈りを求めた修道士さんです。2階の病室へ上がり、看護師・詰所のすぐ前の、個室に名前があった。自由に入れるように、扉がない。彼は眠っていた。点滴が、2本。彼は口をあけて、自力で呼吸し、目は閉じて、体は動かない。頬が落ちて、「ああ、痩せたなあ」「がんばっているなあ」の感じ。人は意識がなくなっても、言葉は聞こえると、聞いたことがある。彼の顔に口を近づけて、大きな声で、呼びかけた。「〇〇さん、トマだよ。トマが来たよ。〇〇さん」。すると、彼の両目の、マツゲが、ピクピクと大きく動くではないか。「ああ、やっぱり、わかっている」「〇〇さん、お祈りしているからね。神さま、愛しているよ」。ピクピク、反応する。確かな、証拠だ。声は出ないが、「わかった、わかった」と言うように、マツゲは微妙に動いていた。「こんなことって、あるんだな」。ニンゲン、誰でも、このような道を辿る。厳粛な雰囲気を感じた。お見舞いに寄って、よかったなあ、と彼のために祈って、病室を去った。
長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年1月31日木曜日
2013年1月30日水曜日
3日目。この日に帰る。ゲンキにジンセイを送りたい
オバマ温泉、定宿・富士屋さんの玄関です。いつもお世話になっている入口です。左に、掛け軸。女将さんの心づくしか。右側の奥が、フロント。左は狭いが、売店。おみやげ物は、湯せんぺい。海産物など、「オバマに行ったよ」の証拠の品を買います。温泉で、1人、ゆっくり。ゼイタクですが、これもストレス解消です。人の顔は、いっさい浮かばない。言葉を気にすることもないし、楽です。ただ祈りだけは、忘れない。朝に、夕べに、聖務日祷を唱えている。朝、起きるのは、6時。すぐ入浴するのが楽しみ。日中は、部屋で、メモの整理や、書き物などで時間を過ごす。昼になると、近くを散歩し、昼食を、外食する。部屋に戻って、入浴し、しばらく眠る。夕食には、牛肉のテンプラは必ず出ます。もう食べる量が減りました。夜は、早めに、9時には、もう眠る。3日目の朝になると、午前9時過ぎに、白浜さんが迎えに来ます。自分で運転はしません。昼ごはん前には、聖コルベ館へ戻っている。「温泉に行くと、顔が、つやつやになるね」。肌も、輝く、心も、輝く、元気にジンセイを送りたい。
2013年1月29日火曜日
オバマ温泉、2日目。共同湯の温度は、43度。こりゃ熱い
温泉街の裏通りを歩いて、山沿いを行くと、共同湯がある。山の学校に居た時代は、よく通った穴場だった。久しぶりに訪ねてみた。昔からのお湯。地元の人たちだけが入る。帽子をかぶって行った私を、皆はジロジロ見た。男湯、女湯。がたピシ、木戸を開けて入ると、低い番台に男性の老人が毛布に包まれ、背中を低く呼吸している。「いくらですか?」「150円」。板の間にあがると、着物入れの箱があった。年代を思わせる。「このハコは、いつ作られた?」「昭和12年」「ええ、そーなんだ。12年といえば、小学3年だったか」。ハコに着物を押し込んだ。この共同湯は、湯の温度が高温な事で定評がある。湯船は、2m四角の湯が、2つある。1つは、43度はあるだろう。もう1つは、それより熱い。「たまらんわい」。直ぐには、入れない。ゆっくり、入ったり、出たり、踊ったり、初心者には時間がかかる。4,5人の男が、じーっと、こちらを見る視線を感じる。背中を彼らに見せた。大きなキズが、3箇所もある。「参ったか」と自慢はしないが、暗黙のうちに、威厳を示した。湯につかると、広い窓から、朝陽が、さーっと光がまっすぐに入って、湯に、キラキラと揺れていた。癒される朝となった。この日は、富士屋さんの湯には入らなかった。
2013年1月28日月曜日
オバマ温泉へ。1日目。シスターの墓参り。心に生きる
今年の冬は、寒い日々がつづきます。今朝は、気温、1度でした。「トマさん、今年になって、お元気になったね」。そう言われる。「ハイ。調子は、いいようです。昨年は苦労しましたけどね。タツ年だったので、いい年になるかと、張り切っていたのに、6回の入院で、苦労しました。今年は、気合を入れるよ」「カゼ、引かないようにね」。長崎から、42km離れた、島原半島・オバマ温泉へ出かけます。2泊3日の予定です。軽で送ってくれるのは白浜さんです。途中、寄り道をして、行きましょう。シスター永松ミツエの墓参りに行こうと思い立った。県境の山の上にある。少し遠いけどね。花を買い求めた。バラを先ず買った。春らしいから、梅もいい、サクラもいいね。墓に着いて、花立を見たとき、瞬時に思ったね。「ああ、来て、よかったぞ」。なぜなら、花立の花は、いつ入れたのか、色があせて、みじめに思えたからだ。早速、入れ替えたのが、この姿です。シスターが亡くなって、もう何10年になるか。彼女のことは、もう誰もが忘れているだろう。しかし私が生きている限りは、大げさだが、生きているのを感じる。死者との「つながり」は、固く結ばれている。天国から守ってくれているに違いない。これも小さな信仰です。
2013年1月27日日曜日
孤独の人、苦しむ人を助ける、本当に寄り添うことの難しさ
今朝、考えました。ヒトは、ほんとうに、他人の痛みや、苦しみに、寄り添えるのでしょうか。人は愛を語ります。殉教者の温かい心を褒め称えます。それは模範意なる手本です。その通りに、今度は、自分が、実際に、実行面で、他人の悩みや、困難、失望を受け止めて、寄り添えることが出来るか、と言えば、これは中々難しい。実行できない悩みがあります。自分も、キズつき、迷い、痛手をうけるかも知れない。それらを語り合う場所はないでしょうか。自分は「実行しました」。イヤ、「失敗しました」と、そのような率直な体験を分かち合う所、機会、集まりは、ないのでしょうか。「信仰の体験を語る」のです。何かの冊子で、こんな体験を読んだことがある。被災地へ援助へ行った。当事者たちの、あまりの苦難に圧倒されて、言葉も出ない。苦しんでいる人たち、現実の人たちに、何と言って慰めていいのか。戸惑うばかりだったと、言うのです。それはホンネでしょう。自分が信じている信念があったも、言えません。告げる雰囲気ではない。もし言えば、シラケてしまう。ニンゲンには、そういう現実があるのです。先ずは何とか助ける。せめて、その人の苦しみ、痛みに、同化し、寄り添う。幾分でも、背負ってあげる。これらの体験を語り合い、分かち合う機会はないのでしょうか。★ここまで書いた時、電話がなった。「1つ、聞きたいのですが」と女性の声。「いま受験で、大変です。希望の大学に合格できるか、心配している。ある人から、勧められた。メダイを捨てなさい、仏壇も捨てなさい、献金をしなさい」。答えました。信念を持ってください。惑わされては、いけない。全力を尽くして、あとは、どの道に行くか、お任せする。メダイは身につけておけば、お恵み、安心になる。お金は安易に応じない。周りの人に相談を。今の時期、誘うヤミがあるのを感じました。
2013年1月26日土曜日
汝、殺す勿れ。イノチは最も大切だ。悲しい思い出の写真
42年前に、1971年の秋です、ポーランドを初めて旅行し、チェンストホーバのシスターの修道院で、壁に掛かった額の写真を見せられ、衝撃を受けた。説明してくれたシスターを写真に撮った。今も手元にある。いつになっても、その写真は忘れない。忘れるモンですか、こんな残虐な出来事がありますか。ニンゲンって、こんなにも非常に落ちるものでしょうか。ナチス・ドイツ軍が攻め込んできて、修道院も占領された。シスターたちは殺された。殺す前に、シスターたち自身に深い穴を掘らせて、1人、1人、ピストルで撃ち殺して、穴に、見ている目の前で、放り込んだ。自分の運命を目のあたりにして、どれほどシスターたちは苦しみ、恐怖にかられ、神に祈ったことか。こういう出来事が、世の中に、起こっていいのか。許されていいのか。戦争のむごさが、わかる。「人を殺しては、なぜ、いけないのですか?」。いま、このように問われて、答えが見つからないという。「汝、殺す勿れ」「あなたは、殺されても、いいのですか。ダメなら、他人も殺してはいけない」「イノチは一番大切だ。人が手をかけてはいけない」。戦争は、人を殺すことを目標にした。敵なら、誰でも殺しても、いい。戦争は恐ろしい。核兵器も恐ろしい。戦争になれば、人間のアタマも、ココロも、狂ってしまう。目に見えないところで、戦いは、つづいている。
2013年1月25日金曜日
ルルドの梅はマダ咲かぬ。早く、来い、来い、春のぬくもり
テレビは報じた。「長崎に、梅の開花宣言。去年より、10数日早かった」。え?そうなの?ルルドに登る坂にも、梅の木が数本あるが、どうかな?咲いているだろうかな?白浜さんに見てもらった。デジカメで写してください、頼んだのが、ごらんの写真です。まだルルドの梅は、ツボミです。写真の背後の道は、左へルルドへの細道です。ジンセイには、大きな道筋が、ある。カトリック信徒の両親に生まれた。突然、原爆が、頭上で、バクハツする。孤児になって、放り出される。少年に残された足の先に、何があったのか。選択は、1つの道しかなかった。それが「この」ルルドの道だった。これ以外に、選択の道はなかったのだ。ジンセイには、そういう運命というか、流れというか、そうだ「定め」が、ある。コルベ神父が創立した小神学校で学ぶ。修道士の道に、自然に、つながった。ニンゲンは、自分が歩いてきた道を振り返って、「これで、よかったのか?」「他に、別の道が、あったのではないか?」と悩む時が必ず有るが、「悩んでは、いけない」「君には、この道しか、なかったのだ。これで、よかったのだ。この道で、幸せになりなさい」。それしか、答えはない。★1人の修道士が、病床にあり、呼吸が低下し、食事が取れない状況になったと、知らせが届いた。お祈りください。あなたの祈りが、必ず彼に見えない形だが、届きます。神さまが、いつの日か、あなたに教えてくださるでしょう。そういう気持ちで、私たちは生きているのです。
2013年1月24日木曜日
冬の花、スイセンが咲いた。木曜日は入浴の日。カゼは引かない
庭に、スイセンが咲いた。向こうに見えるのが、修道院です。冬、真っ只中ですね。水仙はなぜか、心がなごむ。スイセンの絵を色紙に描いています。木曜日は、午後から、ヘルパーさん(男性)が来て、入浴の介護をしてくれる。1人で、入浴は危ない時期があった。11月から、毎週、定期的に、入浴をし、部屋のベッド、床の掃除をしてもらっている。背中を洗ってもらいながら、ヘルパーさんに言いました。「8人の修道者がいるが、今度の冬は、11月からカゼがはやり、次々にカゼに罹った。悪質なカゼだそうです。幸い、私はカゼに罹らなかった。こうして毎回、定期的に入浴させてもらって、カラダをキレイにしているからでしょう。無事に乗り越えたと思っている。ありがとう。おかげで助かっています。老人には、カゼが一番心配ですからね。血圧は、朝に1粒クスリを飲んでいる。上は120、下は70ぐらいだった。ところが、この10日ぐらい、上が140を上下している。下は70。上が高いので、毎日、計ってメモして、この次の診察のとき、医師に相談します」と告げた。
2013年1月23日水曜日
今日も扉を開ける。コルベ神父が「いらっしゃい」呼んでいるよ
朝、9時まえに、聖コルベ館を開ける。もう、20年つづけてきた。継続は、チカラなり。チカラになっているでしょうか。小さな資料室ですが、沢山の見学者がここを通り抜けて行った。展示の内容は変わっていない。何年か1度、展示を変えると、見学者も増えるのではないか、の意見もある。しかしコルベ神父の資料は限られている。ふくらませるチカラがない。事務室へ入る。いま何を考えているのですか。①1日の時間が足りない。1日に1つの事と思っているが、午前中、ブログを書く。見学者があると、もう昼になる。午後は、3時まで、自室にこもる。②騎士誌の記事の内容を考えるのも、楽しみになっている。何が面白いのか。何が心に残るのか。考えるだけで、前向きになる。③色紙も描く楽しみがある。「おおせの如く、我に成れかし」と書いてくれ、と頼まれた。乙女マリアの天使への言葉。「どうぞ、神さまの、み旨のままに、わたしの上に、なりますように」。全くの従順、お任せ、決意の表れでもでもある。聖書を開いて、言葉を見る。「仰せの如く」ではなく「汝の言(ことば)の如く」(ルカ・1-38)となっている。色紙が売れたら、次は3度目、ルーマニアへ送金できる。これも楽しみである。ユーロが、105円だったが、117円になった。
2013年1月22日火曜日
真理よ、我を正しい方向へ導き給え。安心するために願う
朝、5時に起きて、聖堂で、聖務を祈る。詩篇を唱え、共同祈願の文を味わう。「主の復活や十字架の赦しが今日の日を支えてくださるように」と唱えた。①ところが、心中、それらは遠い昔の出来事であって、平成の自分との間には、何か「壁」か「扉」の仕切りがあって、向こうの出来事が、いま、いち、ピンと自分の生活にひびいてこない。教えてくれた司祭たちも皆、故人となった。②今を生きる現代人にとっては何が一番問題なのか。家族の幸せ、世の中の平和、生活が出来ること、健康であること、などなど、次々に現実のイメージが浮かんでくる。③実際の幸せは、遥かに遠い。事実あるのは、貧困、失業、戦争、差別など、複雑な世相で苦しんでいる。幸せは、どこにあるのか。なぜ人間は、そうなのか、と嘆く。④そこで人は、何者かに祈る。自分を正す。相手を赦そう。病気や苦しみに耐えよう。前向きの気持ちになる。⑤なぜ、なぜと、疑問を投げかけるだけでは、救いにならない。疑問だけでは解決は来ない。⑥ここに突然、世の中には考えられぬ事件が起こる。原爆が天主堂の真上で爆発する。強制収容所で何百万の人間が殺される。⑦そして今年は、85歳。この歳まで生かされた。なぜ、生き抜けたのか、これも分からない。有るのは、生きていることへの感謝、生かされているからには、十分に生きよう、その気持ちも、ある。生まれたからには、満足して、納得して死を迎えれば、それでいい、とも正直、思う。⑧それにしても孤独や、孤独死は、可哀想だ。そこで当然、お互い助け合い、支え合って生きよう、その願いが湧き起こる。⑨人間の心の奥には、自然に、〇〇人、〇〇民族の壁を失くして、仲良くする、悪をキライ、善に向かう傾きが、ある。・・・などなど次々思いつつ、朝、6時から、30分間、聖堂で、黙して、ゆっくりと考えを、ふら付かせた。気持ちは、何だか、ラクになる。ありがたい時間だと思う。6時30分からミサが始まる。6時40分、1つの言葉が心に、グサリと、刺さる。「主イエス・キリストの父が、心の目を開き、どんな希望に召されているか、示してくださる」。6時50分、また、1つの言葉が更に、まともに迫ってきた。「真理の霊が、あなた方を、すべての真理に導いてくださる」。今朝、また、1つの小さな決着が、ついた。
2013年1月21日月曜日
坂道に、気おつけてね。危ないケンね。そのこと、お忘れなく
午後、聖コルベ館の庭を通るお母さんと、小さな女の子。幼稚園のお帰りです。寒い冬なので、お母さんも園児も、着膨れしている。小さい女の子は、母の手から離れて、フラフラ、さまよう足取り。見ていて感じた。「自立の兆しかな、かわいいな」。「ゲンキ、ね」と声をかけて思いつき、「ちょっと、待っててね」。館内に入って、赤いかざぐるま(風車)を1本、差し上げた。子どもは、ニッコリ。目を輝かせ、よろこぶ。かわいい喜びが伝わってくる。母も「どうも、すみません」とお礼を言って、気持ちよく別れた。「ああ、よかったな」とヒト安堵。ところが事務室に入って、すぐ、ピン、ポンと成って、知り合いの女性が入ってきた。「今、そこで、女の子が転びそうになって、ね。あぶなかった。坂が、急なモンだから」「えッ、その女の子、手に風車を持っていなかった?」「うーん、何か持っているみたいだった」「ギヨーッ、と」。聖母の騎士の坂道は、急だから、用心せんと、いけない。コルベ神父の時代から、ここだけ全く変わっていない。「こんな坂道、よくぞ作ったモンだ」。幸い、子どもは大丈夫だったらしい。ああ、危ない。お母さんよ、子どもよ、坂道に注意してね。善意が、アダになるから。★人との交わり、愛も感じるが、キズつくこともある。その場合、人のセイには、するな。自分で自分を守れ。自分の失敗を他人に押し付けるな。そのように反省した次第です。
2013年1月20日日曜日
こんな正月もあった。修道院も1人1芸で盛り上がった
バックの紙に「1970年新年会」とあるから、そう、ねえ。43年前の正月になりますね。修道院でも、若い面々が20人近く居て、休憩室を宴会場にして、盛り上がった時代もあった。1人1芸を強いられる。若かったから、何とか、こなした。落語をしゃべる者、習字を書く者、歌謡曲を歌う者、説教する者、にわか作りの獅子舞も踊り、そりゃ笑いましたよ。拍手喝采しましたよ。ノボセ者の小崎修道士は、下の写真、赤木の子守唄を踊りました。写真・左の方で、仲間の修道士が、紙ふぶきを散らして花を添えてくれた。賑やかなモンでした。その頃、週刊新潮に、「求道集団」と題して活字になった記録がある。「午前5時10分、セルギウス修道士が先ず起きて聖堂の明かりを点ける。同30分、全部の窓が明るくなる。同50分から、祈りが始まる」とあるから、この辺り、今と大差はないでしょう。ポーランド人はセルギウス修道士(ルルド係り)の他に、マチアさん(騎士誌の配布)、ゲラルドさん(印刷係り)が居た。日本人修道士の各人の名前もある。彼らの元の職業は、ハリ・キュウ師、船員に、工員、ダンプ運転手、裁判所の書記もいた。家が野菜店、また染織図案家など、前歴を並べると多彩だった。小崎修道士については、外海出身で、元三菱重工職員、職務は会計と印刷業務とあった。創立者のコルベ神父が福者に列せられたことが書かれていた。「ここには定年もなければ、老後の心配もない。とはいえ、若いときから、結婚の意志を放棄するのだ。性的な悩みはどうなるのだろうか。脱走者も多いのでは。それについての答えは、七年間の修業に耐えて、この道を自分で選ぶので、悩みはありません」と記してあった。★せっかく生まれたからには、ジンセイ、ソンしないように生きようではないか。孤独だったよ。病気がちだったよ。だけど、不幸じゃなかった。なぜなら兄弟愛を知る修道士だったから、ね。
2013年1月19日土曜日
サザンカが咲く。冬の厳しさ、つづく。カゼ引くな。もう少し
この世に生まれたからには、どのように、豊かなジンセイを送るか。「豊かさ」の解釈は、人、それぞれで、その人の価値観によって、違いがあるだろう。その本人が満足した生き方になれば、それで良いと思うが、隠れた才能を伸ばすのも、課題でしょう。努力も要するが、芽を出さなければ、ジンセイ、もったいないと惜しまれる。また長いジンセイ、いろいろなことが起こる。ドロにまみれることも、あろう。心にキズつくことも、あろう。人間は完全ではない。見えるキズは恥ずかしくないが、見えない心のキズは記憶に痛みがある。むかしの汚れ、むかしのキズは、そのまま、胸の奥深く、秘めておこう。殊更、人前に、さらけ出す必要はないと思う。心にキズがないものは、他人の痛みに寄り添えない。サザンカが咲いて、ツバキが咲く。それから待ちどうしい春がくる。まだ、まだ、その日は、遠い。今日は、友人・修道士の命日だった。戦争が終わって間もなく、その頃は1月は寒く、雪が積もっていた。昼食を終わって、休憩のとき、雪合戦に戯れ、飛んできた雪ダマを避けようとして、カラダのバランスをくずし、崖から落ちた。体を痛めて、数日後に亡くなった。遠い日の悲しい思い出を、未だに忘れない。あの修道士の思い出は、残された者がジンセイの間、背負っていく。若くして、逝く者は惜しくもあり、悲しい。
2013年1月18日金曜日
「ひらめさんのコメント」。短文の中にも、温かいドラマ
1月15日のコメント「ひらめ」さん。次の文章を記してくださった。嬉しいでした。「前の騎士誌に、『いい雰囲気をつくると、いい恵みも生まれる』と書かれていた。今度は『親切な対応は、快い思い出を残す。出会いは神さまの恵み』。その恵みで出会ったご夫妻のご主人が再手術。祈りをささげるために、早起きして、いままで出たこともない朝ミサに出かけます。ご主人の年令は、たぶん修道士さんと同じ。お祈りください」。短い文章だが、ドラマが有るじゃないですか。様子が目に浮かぶようです。ご主人のために祈りましょう。さて、その騎士誌は、どれかな?と、一応、探してみたが、それらしき言葉は見当たらない。多分、活字の中から、意中を感じたのでしょう。次の「親切な・・」は、15日、金婚式の夫妻の記事と写真にあった。このように関心を寄せてくださって、「ひらめさん」有り難う。大いに修道士の励みになります。修道士は司祭では、ないから、いつも1歩、引き下がった気持ちで生きている。招待されることもない。それでも適した小さな役割は有るはずです。①ブログを書いて、自分をも見詰める。②聖コルベ館での見学者との出会い。座っていても、向こうから、入館してくる。③騎士誌に温かい記事を書いている。楽しみに読んでくださる愛読者もいる。この3つの小さな働きに、神の恵みも稔ってくる。だから喜びもあるし、使命もある。「生かされている、ありがたい」こう、なるのです。「ひらめ」さん。時には朝ミサで祈ってください。
2013年1月17日木曜日
予約の診察へ。結核菌で苦しんで、結核菌で癒された
安らかなカオをしていましたよ。平凡に、歳をとりたい。誰だって、そう願うじゃないですか。それが突然、血尿して、ガンと言われて、苦しんで、あれから5年目を迎えます。苦労の日々でした。若い頃は、散々、結核で苦しんだ。ガンといわれて、特効薬は、結核菌のBCGを注入するという。結核で、あれほど苦しんだオレが、結核菌で癒されるなんて、治ったら奇跡や、と思いました。普通の患者は、結核菌を注入すると、高熱や副作用が出て、苦しんで、治療が困難になるらしい。ところがオレの場合、菌に抵抗があるのか、スムーズに行って、良くなった。このカオは穏やかな表情です。今は、もうシワも、シミも増えました。昨年は、尿が詰まって苦しんだ。入院6回。ルルドのお水を飲んで調子が良くなった。今日は予約の診察日でした。「どうですか?ぐあいは?」「ハイ、今のところ、調子はいいようです」「次の予約は・・」。これで診察は終了した。次に、心臓のクリニックへ回る。診察室には、15人ほどの患者が待っていた。聖コルベ館に帰ったのは、昼過ぎだった。文句なしに、「生かされて」を感じます。生かされているだけ、有り難い。「生かされて、今日も、祈る」。これですよ。毎朝、5時に起きています。真っ先に行くところは聖堂です。修道士のお勤めです。生かされているからには、祈りましょう。「祈るだけで、何になるか」と言われても、祈りましょう。祈らなければ、食べられない。結核菌で苦しんだが、結核菌で救われた。不思議なモンです、世の中は。わからない出来事が一杯ある。その中を、祈りつつ、泳いでいくわけです。
2013年1月16日水曜日
開館後、すぐ散髪へ。トコヤさんでの話。暗い話題が多い
朝、一番に、散髪へ。店には客は居なかった。大きなカガミで自分のカオを改めて見る。髪の毛が白さを増している。主人が毛をチョキ、チョキと、気持ちよく切る。カガミに映ったカオから「小崎サン、若いですよ。人間は若くして死ぬ人も居る。人間には、その人、その人に寿命がある」「最近はテレビで、祖父が孫を殺したとか、少年が祖父母を殺したとか、裕福な家族なのに、娘が両親を殺害したとか、そんな話題が多いね」と暗い話になった。そのときアタマの中では、今朝、黙想の時に考えた「①この世、目に見えるものの他に、何か有るのでないか。②人間、臨終のときに、悪魔から、大きな誘惑で心は乱される。③資産ある家族内に、事件が度々起こっている」が脳裏に浮かんでいた。この後、弟子が、アタマに、シャンプーを付けて、ゴシ、ゴシと、こすった。洗い流す為に、広い、白い洗面台に前のめりになって、腰を浮かせた。「小崎サン、すごい、脚力あるんですね」「イヤ、イヤ、100m歩くの大変だよ」。人は見るところ、見ているんだな。言葉では語らなかったが、胸の内は、こうだった。「この世で、いちばん大事なのは、愛とイノチです。もう1つ有るんですね。信じること。何を信じるか、が問題です。見えるものだけに、振り回されるから、殺傷が起こるのでないか。見えないものを、本当に探し、求めるなら、波風は立たないだろう。真実を、真理を「信じること」によって、愛とイノチは完成されると思う。そう信じて、今日の一日を始めよう」。午前中、早いうちに聖コルベ館へ戻った。散髪の弟子さんが、メガネのネジを締めてくれた。メガネが、しっかり、したよ。「さあ、やるか」
2013年1月15日火曜日
親切な応対は、快い思い出を残す。出会いは神のお恵み
正月早々、1通の手紙が届いた。筆なれた字で、年配の女性とわかる。「新春のおよろこびを申し上げます。覚えておられますでしょうか。昨年5月28日(月)、主人と2人で訪ね、お逢い出来ました。初めは不在かも知れないと思い、不安でしたが、幸い居られて、他のお客もなく、私たちが1人じめ出来たことを、とても嬉しく思いました」。日にちが分かっているので、写真帳を開いてみると、「あった」。この写真です。ブログにも載せていた。2年前に金婚式を祝った夫婦です。騎士誌の愛読者。「ゆっくり、させて下さい。お弁当、食べてもいいですか」。結局、2時間以上も居た、とある。いいご夫婦じゃありませんか。念願の聖母の騎士に来れて、良かったですね。「館内を案内してもらい、コルベ神父さまのことを色々と説明して頂き、とても感動しました。そしてコルベ神父さまを身近に感じることが出来ました。お昼のお弁当のときは、部屋を与えて下さり、ゆっくり、くつろいで帰るように言われました」。このように書かれると、本当に、そのとき親切の気持ちがあっただろうかと、今となって反省が湧いてくる。こちらが忙しくても、考え事があっても、「ちょっと、置いとって」応対していく。これが場合によっては難しい。小さな親切は、いつまでも残り、快い思い出になり、小さな「不親切」では反対に、心に大きなキズを生涯に渡って与えてしまう。便箋2枚の便りを前にして、心を引き締めた次第です。便りには「クリスマスの夜のミサに、2人の男の孫が侍者をして、中学3年の孫は聖堂の入口から十字架を頭上に高くかかげて入って来るのを見て、感動しました」とあった。小学6年の孫は神父さまの後に続きました。今度は孫と共にお訪ねします」
2013年1月14日月曜日
日帰りで、ルルドのお水を求めに来た男性。冬なのにアセ
中年の男性が1人、聖コルベ館へ寄った。冬というのに、ヒタイからアセを流している。「けさ、大阪を飛行機で経って、ルルドのお水を汲みに来ました」「え?わざわざ、ですか?」「ハイ、夕方の便で、日帰りで帰ります」。理由を聞けば、自分は昨年、洗礼を受けたが、代父になった方が病気になった。近々、手術をするので、お恵みが頂けるように来た。「いっしょにお祈りしましょう」の気持ちで、聖母の騎士のルルドのお水を勧めたが、売店には、フランスのルルドのお水も有るので、求めたらいい、とも付け加えた。ただフランスのお水は、空輸して来るので、送料の分など有料になる。いずれにしても、大阪から日帰りで、お水を求めに来る熱意と信心に感心した。小崎修道士も、ルルドのお水だけを愛飲している。おかげで体調は良好のようだ。さて、あの男性だが、「洗礼を受ける動機は、何んだったのか」と聞いてみた。2年前に、友人と長崎へ来て、いろいろと教会を巡った。一番感動したのは、「日本26聖人」だという。「26聖人の信仰、人間の生きざまが、マトモに迫って来ました」。京都から長崎までの苦難の道を、祈りながら黙々と歩いた。信仰を捨てますと、一言いえば命は助かるのに、なぜ、そこまで貫いたのか。彼らが信じる背後に何があるのか、大阪へ帰って、教会へ行ったのが、信仰に導かれたきっかけだという。教会の建物も感動を与えるが、生きたナマの姿は、より人を引きつける。「この世で、一番たいせつなことは、愛と命。しかし、もう1つ大切なことがある。それは、信じること」
2013年1月13日日曜日
ポーランドの写真からか、コンラードさんよりメール届く
1971年のポーランド。昨日に次いで、2枚目。教会で、神父さんから祝福を受けている場面です。ホウキの先に聖水をつけて、振りかけている。国民の殆どが信者なので、「これも、ありき、かな」。ユーモラスさえ感じられる。民衆は皆、熱心で、感動すら受けた。昨日もポーランドの1971年の写真を載せたが、ポーランドのコンラードさんから、4ヶ月ぶりにメールが届いて嬉しかった。ポーランド語『焼けたロザリオ』の配布はどうなったかと気がかりになっていた。新年の挨拶の後、「今までに、108冊を配布しました」とあった。よかったね、と安堵した。なおメールには次のように書かれていた。「長女と婿さんから、ポーランド語版の『この子を残して』(永井隆博士の本)を貰い、読みました。本から、片岡弥吉さんの名前を知りました。小崎サンのブログ、2012年12月9日、日曜日に、『故・片岡弥吉先生の娘さんが来る。尊敬すべき師』が載っていました。また、インターネットで『この子を残して』の映画を家内と見ました。23年前、(日本へ行ったとき)如己堂にお参りしました。永井隆博士が死ぬまで3年間の日々を過ごした如己堂です。日本の旅が今も続いているような気がします」。コンラードさん、日本を忘れないね。
2013年1月12日土曜日
ポーランドの思い出から。平和を願う世の中でありたい
1枚の写真がある。子どもを労わる老婦人の背中に温かさを感じる。1971年の秋、初めて東欧ポーランドを旅した。この1枚の白黒写真は、なぜか忘れない。当時、ソ連の共産圏にあり、民衆は貧しさ、不自由にあえいでいた。しかし人の心は純朴で、信仰厚く、目が輝いていた。42年前の写真になるが、その後も、10回、ポーランドを旅行している。最後の旅は、2004年だが、民主化され、人々の目の色も変わったように思える。数日前、新聞の「声」の欄に、次のような記事が目に付いた。「ポーランドを旅行したとき、ホテルの前で、妻がナイフを持った2人づれの暴漢に襲われた。思わず妻の身の上に押しかぶさって、守った。暴漢は去ったが、肩から掛けていたバッグのヒモが引きちぎられていた。近くで状況を見ていた婦人が、手を合わせるように、こちらを拝んでいた。婦人と妻は手を取り合った。婦人の目には、謝るように涙が光っていた。一瞬、安堵の表情に変わり、恐怖は感動に変わっていた」と、このような意味の文面だった。その1文を読んだとき、このポーランドの写真が直ぐに思い出された。油断が出来ない世の中になった。悲しい態度の人も居れば、心優しい善人もいる。希望だけは捨てないでおこう、大きい意戦争も体験しているだけに、平和でありたいと願う今朝であった。
2013年1月11日金曜日
まわりの人から大事にされる。喜びであり、ありがたい
この歳になって、まわりの人から大事にされている。それを感じて、ありがたいと思う。月並みな言葉かも知れないが、やっぱり一目おかれている。温かい目を注いでくださる。人から愛されているなら、神さまからも、きっと愛されているだろう。生かされているのだから、それは確かです。そう思い、励みになります。この歳になって、そう思えるのは有り難いことです。ジンセイ、暗いことばかり考えたり、足を引っ張らないようにしよう。言って得することはないでしょう。聖コルベ館の入館者は、2012年、平成24年、1年間に、一般者が、1696人。修学旅行の児童・学生たちが、1961人。韓国からのお客さん、1929人。合わせて、5586人であった。受付に居ない時も度々あったから、これ以上の見学者が来ている。コルベ神父さまを背中に背負いながら、見学者の皆さんに会えることは、大きなお恵みだと感謝している。「コルベ神父さまの声を聞いてください」「コルベ神父さまの勇気、愛を知ってください」「この貧しい部屋で生活された」。コルベ神父さまの呼吸を感じつつ、生かされている間は、頑張ろう。
2013年1月10日木曜日
「一」イチは何を思わせるか。この1人の愛を、出会いを大切に
定宿・富士屋さんの玄関に、いつも1幅の書が掛けられている。正月らしく、左に、ヤナギの結んだ流れ。幸せが、上から下へ、下から上へ、伝わるそうだ。「一」の字。この字についての一応の説明はあった。それは、さて置き、この「一」に何を感じるか。「多」よりも「一」を大事にする。何百人、何千人、時には何万人から、拍手・喝采を受ける。感動を与える。それは大きな喜びであろう。それも良いが、この1人を大切に、声をかける。この1人に温かい目をかける。そのような時の喜びもある。若い頃は前者を望んだが、今はなぜか、この1つ、1人、1個を大事にしたい、そのような気持ちになっている。また「イチ」は、出発をも表しているだろう。初心に帰れ、ということか。大事な事は、沢山ない。完結な中に真理はある。「イチ」は、また、さっぱり、素朴、囚われが、ない。わかりやすい。身の周りも、片付けて行くのも処世術であろう。★富士屋さんで生気を養ったあとは、オバマ温泉を朝、出て、午前中には長崎・聖コルベ館に着いた。今年も良い年になりますように。
2013年1月9日水曜日
将来、どうなるか。わからないから、恐ろしさ、悩みも無い
1年前に書いたメモを見る。痛い、イータイ、と、しっかり書いてある。わからんもんですね。あれから苦しい1年となった。6回、入院しましたからね。やっぱり、ただ事ではない。ニンゲンって、未来が全く理解しない、わからない存在なんですね。「それでも、生きる」。何とか、生きました。「だいじょうぶ、きっと、よくなる」と書いてあった。我ながら、ホットします。今年はどうなるか。これ又、わからないでしょう。1日、1日を、確実に、元気に、感謝しながら、生きるしかない。その積み重ねが、人生です。時間だけは、刻々過ぎていく。「苦しみを耐える方法はあるか」。ウーん、むずかしいね。理屈は言っても、自分に現実に降りかかると、ついつい弱音を吐く。温泉に入って、気持ちがゆっくりになると、カラダの調子も良くなってくる。サッパリと、なる。過去を振り返ると、これは、わかる。「修道士、あるまじきこと、あったけど、なぜか、後悔はしていない。ふしぎな気持ちです」。人には、心の痛みもあれば、カラダの痛みもある。完全じゃないのが、ニンゲンです。それでも前向きに歩みたい。まっすぐな道に戻りたい。そう思うのも確かです。
2013年1月8日火曜日
毎月の宿、島原・オバマ温泉へ出かけます。気持ち安らぐ
カラダを暖めるのが1番効能がある。いつものこと、島原の温泉・定宿の富士屋さんへ出かけます。今では毎月の楽しみでもある。気持ちが、楽になります。ニンゲンには、息抜きも必要でしょう。たいしたストレスもないのだが、時々1人になるのは精神衛生のため益になり、元気が湧いてくる。お世話になっている温泉宿をスケッチした。左側に源泉があって、105度のお湯が湧き出ている。恵まれた湯量です。オバマ温泉は、ビルのホテルや、老舗の旅館がある中で、定宿は和風旅館です。2階の左側の部屋に、いつも泊まっている。部屋からは、海が見える。午後2時頃が到着の予定です。着くと、温泉に入り、部屋でしばらく眠る。反省したり、考え事をしたり、時間はゆったりと過ぎていきます。★温泉宿へ行く途中に、老人ホームに寄り道しました。仲間のお年寄りのお見舞いです。ホームに入居すると、人はフケますね。それに、ジンセイの縮小というか、生活の幅が狭くなったのを感じます。まだ、まだ、現役で働きたい。そんな気持ちになり、頑張らねばと思う。先輩のフランシスコ中村修道士さんは、眠っていた。コルベ神父の時代に入会した唯一の証人です。起こして、しっかり握手をする。「歳は?」。手の指を2本立てて、92歳。お元気そうで安心した。
2013年1月7日月曜日
ライモンドの日だよ。ずいぶん大きくなったな。甘えるな
教会のミサで、聖ライモンドを記念した。スペインの聖人。12世紀の人。ドミニコ会総長。学者。1月8日にコルベ神父は生まれたので、名前を「ライモンド」と付けられた。その名を取って、ネコ君に、志願院生が、ライモンドと付けて、かわいがっている。知ってるかい。コルベ神父の長崎時代にも、ネコが居たんだよ。修道院に十分な食料がなかったので、迷いネコは栄養失調で死んでしまった。それに比べて、お前さんは、よーゥ、栄養が豊富だな。元気なもんだ。昨年は12月に入ってから、異常の寒波がつづいた。年寄りには、寒さが、こたえるよ。この正月は、カゼが流行ってな。次々に、周りの仲間が、ダウンした。小崎修道士も年末に心配したよ。休みの期間中に、熱でも出したら、病院は休みだから、困るよね、と憂いていた。ところが、周りの人は倒れるのに、クシャミしながらも、何とか年末・年始を乗り越えた。3月号の原稿も書き上げたので、明日から、温かいオバマ温泉へ行こうと思う。ネコ君は、カゼ引かないんだな。すりよっては、寝転んで、温順な態度を示している。かわいいもんだ。寒さに負けるよ。
2013年1月6日日曜日
正月が明けて、やっと休みを取った。映画・牛めし・観覧車
聖コルベ館は年中無休です。年末、年始も勤めます。正月も、ずーっと聖コルベ館に在住していた。そこで日曜日になった今日は、休みをとって、外出した。まずミュージカル映画『レ・ミゼラブル』を見に行く。セリフは英語。字幕が出てくるが、歌なので、ムダがない。「愛、命、恋、神さま、悪魔、裏切り、執念、追求、許し、戦い」など、ジンセイのセリフの総てが要約されている。混沌とした世の中に、人生の波に、どこに救いがあるのか。感動の2時間30分だった。映画館を出て、昼食を食べる。「長崎和牛の箱ドン」だった。観覧車にも乗った。高かーぃ所からの長崎の眺めも格別だった。町を取り巻く山々は、原爆当時と全く変わっていない。興味は発展した家々よりも、山の伏線にあった。あの山々は原爆の火で総て燃えたのだった。その印象はまだ残る。悲しいよ。7階建ての長い建物に、すべての店が入っている。人通りの多いコーナーに、書初めをする一角があった。幾つかの机に向かって小学生や主婦が筆字を書いている。係りが「どうですか?」と声をかける。机に向かって、一気に「平和」と書いた。師匠さんが居て、修正・評価してくれる。「平和」を見ると、「いい題ですな」と言いつつ、赤字を入れてくれた。和やかな楽しいひと時だった。本屋で買い物をして、聖コルベ館の現実にもどる。すっきりした1日だった。★コメントが2つ入っていたが、操作のミスで消えた。ごめんなさい。もう1度、入れてください。
2013年1月5日土曜日
送金・郵便局でのイラ、イラも、後で、出会いの恵みになった
ルーマニアの家庭に、200ユーロ、2回目、郵便局から送金した。送り先は、東京在住のペトロ・イシトク神父さん(オレと一緒の背丈の小柄な親友神父さん)に聞く。円安になり、前の時より、3000円も高く支払った。送金のお金は、色紙を売った資金。25枚分。郵便局員も馴れていないらしく、手続きに45分を要した。こっちはイラ、イラ。コラ、お前は、早く処理・作業をしないか、とグチをこぼす。こっちは短気だからね。ガマンして、やっと終わって、聖コルベ館へ戻ると、ちょうど、タクシーから降りて、聖コルベ館に入る1人の男性にかち会った。あと1分、遅いと、タクシーで去るつもりだった。うまい具合に、ピッタシに出会ったわけです。なんと、その男性は、20年ぶりに出会った貞雄さん(昭和4年うまれ・神奈川・逗子出身)だった。「小崎サンは居りますか?」「わたしです」「ああ、会えて、よかったなあ」。20年前だよ。逗子で出会った。1992年だった。奥さんのチセさんがこの年、1月6日に62歳で亡くなった。チセさんは腎臓病を病んで、長年、透析をされていた。奥さんは言う。「苦しみは神さまの御摂理です。聖書にもあるでしょう。『我が成すところ、汝、いま知らざれども、後の又これ知るべし』。与えられた御摂理なんだ、いま試練なんだ、そして道を開いていく。最もそこまでが大変ね」。28年間、病気で耐え抜いた。ダンナの貞雄さんも大変だった。こんな夫妻を何で忘れよう。「よー、訪ねてくれたね」「正月、沖縄で過ごして、帰りに立ち寄った」「ああ、よかった」。子どもは2人だった。いろいろ思い出してきたよ。郵便局でのイラ、イラも、ちょうど時が合って、これも良かったんだ。ジンセイなんて、こんなもの、だから捨てがたい。おもしろい。明日に期待もするよ。「いま苦しみあれど、きっと、いい巡り会わせが、やってくる」。貞雄さんと楽しい語らいの時を過ごした。色紙を2枚買ってくれた。「亡き妻の写真のソバに飾るよ」
2013年1月4日金曜日
昨日の娘さんに参ったな。修道士も、タジタジ。ワイルドだぜ
新しい年になって、こんなことを考えていた。人生に、あるべき幸福な姿とは、何か。それは何と言っても先ず、①「家族愛の喜び」でしょう。子どもが居って、孫がいて、かわいい、かわいいと喜びが一杯ある、その愛のイメージ。そこに幸せが有るでしょう。次は、②個人の「才能を見出し、花開かせる喜び」。人には、どのような才能が与えられているか、わからない。それを発見して、伸ばして、完成させていく。これも人生の大きな幸いでしょう。そして、もう1つ有るんです。それが、③「他者へ奉仕する喜び」です。自分を少々、犠牲にしても、他者の幸福のため尽力を尽くす幸せ、そこにも言い知れぬ幸いがある。しかし人生は決して平坦ではない。苦難があり、挫折があり、落ち込むことさえ起こる。まさか、まさかの連続が人生だ。「なぜ自分だけが苦しむのか」「死にたい」と、苦悶する日々だってある。そのように考えているとき、昨日の18歳の娘さんがやってきたわけだ。1問1答、彼女に問うた。「1年前の元日に、ここに来て、また今年の正月に来た。この1年、変わったことは何んですか?」。娘さんは、饒舌に答えたね。「10月に、タイへ1人旅をした。タイの人たちの目をみて、すごく感動した。日本は物資は満ち足りているが、心が貧しい。タイの人たちは、物資は貧しいが、心が純粋で、清らかで、豊かさを感じた。3年経ったら、タイで働きたい。貧しい子供たちと共に生き暮らしたい」。(③の他者への奉仕だな、と心の内)。タイの子供たちは、みな同じ顔、姿をしている。しかし彼らには才能が隠されている。タイの子供たちの才能を伸ばしてやりたい。(②の才能を開花させる喜びか、と心の内)。そこで次は、家族の愛に来るわけだ。(①だが、ここが問題だった)。18歳の娘さんが、なぜ中学で学校へ行かず、高校へ行かず、出版社に就職したか、壮絶な、体験を語ってくれた。修道士は、とても、ここに書けない体験だよ。それを乗り越えて、18歳だよ、今があり、まじめに仕事に取り組んでいる。それを聞いて彼女を、じーっと見て言ったね。「今、就職して、経験していることが、高校の実践の授業だな。夢見ているタイでの体験が大学の授業になるだろうね」。18歳の娘さんは、「お父さんは大好き、優しさ、愛情がある」「一時は、死にたいと悩んだ。なぜ自分だけが苦しむのか、とも思った。でも、最近は、お母さんの愛を深く感じるようになった。仲がよくなった」と。明るい顔して笑うのだった。(本当に、家族愛の喜びか、と心の内で思った)。18歳の、娘さんが帰った後、85歳の修道士は、思わず、つぶやいた。「ワイルドだ、ぜ」
2013年1月3日木曜日
今年の正月、最初の入館者は、昨年と同じ娘さんだった
聖コルベ館に勤めて、20年が経った。今年は85歳。こんなに年を重ねると、1年、1年が大切だし、毎年、思い出もある。特に、新年には、これから始まる年の最初に、誰が1番初めに来るか、大きな興味のうちです。昨年は、元日には待っても待っても誰も来ない。閉館まぎわになって、暗くなって、東京から母と娘がやっと来た。「おお、来たか」と嬉しかったよ。サイン帳に残されたメモから、この母親を「元日のエリザベット」さんと呼んだ。ひんぱんに、ブログにコメントを書いたし、また夏に、入院したときは、九州に用件があった、と足を伸ばして、見舞いにも来た。今でもご縁がつづいている。さて、今年の元日の入館者はどうだったのか。何と、元日は全く誰も来ない。人影もない。寂しい正月だった。不景気の関係か。それとも例年にない寒波の影響か。正月、昼寝もしないで、勤めていたのに、誰も来ない。「ああ、ザンネンなり」と閉館した。次、正月の2日。昨日だ、今日は来るだろう。1日じゅう、待っても来ない。結局、この日も全く誰も来なかった。正月、入館者は「ゼロ」だよ。
そして今日、3日目だよ。我が思うは「ジンセイ、成り行きに、つながる縁が、ある。これが不思議なり」の実感がある。昨年を思え。最初に来たのは、東京の母親と娘さんだった。その娘さんが、午前中、1番に入って来るではないか。「おお、来たか。よー来たな」。感動ものだったよ。「ゲンキしていた?」「ハイ」。資料室に入らせて、黒い長イスに座らせる。去年も、こうして母とこの娘を座らせた。あのとき、母に聞いた。「いま、漢字の一言で言い表すなら、何ですか?」。母は答えた。「悟」です。「え?サトルとは」と思いつつ、(ああ、この家族には、何か、あるな)。娘さんは、高校へは進学せず、就職した。17歳と言う。(ああ、やっぱり)。その娘さんが、18歳になって、1番乗りでやってきた。おもしろいじゃないですか。そこで娘さんに、いろいろ質問攻めをしたわけです。中学しか出ていないが、音楽関係の出版社編集に応募した。500人が集まった。その中で、編集長が真っ先に採用を決めたのが、この娘さんだった。「ありのままの経歴、目をかけてくれた」と幸運をつかんだ。娘は言う。「沈みそうになっても、沈まない。船体に沢山の部屋があるから」。85歳は、マイッタよ。向こうは18歳だよ。少女時代の困難を淡々と語る18歳。夢があると、目を輝かせる。興味は増して、彼女の人生を聞いてしまった。帰りに、色紙を2枚買った。1枚は母のため。1枚は自分のため。彼女が選んだ色紙には、「ほんとうの愛に、1度でも出会えば、十分、生きていける」と筆字であった。サイン帳には「・・・」と記していた。★午後から、外国人が1人、家族連れが3人、入館者があった。
2013年1月2日水曜日
年賀状のコメント。日記に人生模様、信仰の大切さをみる
「寿春、平成25年、よろしくお願いします」。これが小崎修道士の年賀状です。梅の赤色は、1枚、1枚、手描きで、色をつけました。出す方は限りがあるので、皆さんには届かなかったでしょう。一方、来る年賀状は、1月1日、元日の日には、93枚が届きました。ちょっと一言、書いてあるのが嬉しいですね。その中の幾つか、記録しておきましょう。①「お元気でしょうか。いつぞやは元日にもかかわらず、お迎えくださって有り難うございました。あれから自分にもいろいろな事がありましたが、小崎さんとお会いした事、コルベ神父の人となりに触れて、希望をどんな逆境でも、捨てない信念と勇気を大切にしつつ、今を生きています。(貴裕さん)」。②「毎朝、パソコンで日記を拝見してから、働き始めます。そして一言一言のお言葉に、力を頂いています。(美津子さん)」。③「毎日、ブログを読ませて頂いております。いろんな人生が解って、楽しんでおります。(直美さん)」。④「毎日、ブログを拝読させてもらっています。勇気づけられたり、信仰の大切さを感じたりしています。(久義さん)」。⑤「聖母の騎士誌が届くたびに、ああ、今月もマリアさまを通して、小崎さんとお会いできたと、喜び感謝しています。(さゆりさん)」。⑥「いつも聖母の騎士誌の小崎さんのページをとても楽しく読ませて頂いています。(圭さん)」。このように皆さんが励ましてくださること、本当に有り難く、幸せを感じて、よし、今年はもっと頑張るぞと決心している次第です。「書いていることは、人と人との不思議な縁(えにし)です。それを意識している。めぐり合わせがあって、人は幸せになる。幸せをみつける。そこに不思議なおもしろさ、喜びがある」
2013年1月1日火曜日
2013年、平成25年、みの年始まる。85歳。頑張る
新年あけましておめでとうございます。ブログを読んでくださる皆さん、いろいろとご支援はありがとうございます。皆さんの支えが、生きるチカラになります。今年も引き続いてよろしくお願いします。朝、お祈りが終わって、朝食のまえに、お屠蘇を飲みました。毎年のことながら、注いでくれたのは、奄美大島出身の滝神父さまです。昨夜は11時30分から聖堂で、感謝のロザリオを捧げる。12時、新年のミサ、神の御母・聖マリアの祭日。ミサで祈りながら、2013年・平成25年を迎える。「生かされて、今日も、今年も、祈る」。元気になるでしょう。イッパイ(沢山の意味じゃない。1サカズキ)飲んで、心もウキウキ。それで充分です。聖コルベ館に居て、大事にしたいのは、出逢いです。出会えば、ご縁ができる。人は1人では生きられない。まわりの人と助け合って、和を共にして生きる。もう、この歳になって、大それたことは出来ないでしょう。1つの微笑みでも、効果がある。誕生日は3月1日。もう、すぐだよ。その前に、日本26聖人のお祝い日がくる。修道士の名前の聖人です。1つ、2つ、いいことを考えると、明るい日々を過ごすことが出来る。「さあ、今日は、今年、最初に来る入館者は、誰か。興味が、あるな」
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