長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年4月30日水曜日
いろいろ痛みはあったが、顔はおだやかだよ。自賛か。
4月24日、兄弟の集いのときに、松田征四郎神父さんが写してくれた。昨日、「仕上がったよ」と、車で1時間かけて、持ってきてくれた。一見して、気に入ったよ。よく撮れていると、思うよ。いろいろ、苦労や、痛みはあったけれど、顔はおだやかだよ。そのように言えば、「自画自賛」でなく、「他写・自賛」か、ね。「これでも、ストレスはあるんだよ」。そう言えば、笑うだろう。でも、ね。オレにだって、ストレスはあります。歳をとっても逆境はあります。1つ、1つ、乗り越えるしか、ない。生きている限り、辛苦はある。自分の苦しみだもの、自分で耐えるしかない。最後まで、しっかり歩んでいこう。
2014年4月29日火曜日
コルベ神父は広く社会に向けられている。学んでね。
観光バスの新入社員の皆さんが、研修にくる。「コルベ神父さんのこと、聖母の騎士のこと、教えてください」。このガイドさんたちは、年に数回、修学旅行生たちを案内している。コルベ神父について、次のことから広がりを考えてください。①病気だった。懇意にしていた外国人向けの薬屋さんに、小曾根邦治郎さんがいる。祖父は小曾根乾堂で、幕末の志士をかくまった。歴史。②主治医が永井隆博士。如己堂の医師です。原爆。③作家の遠藤周作さんは、小説・女の一生で、コルベ神父を描いている。外海に遠藤文学館。④特別に聖母マリアへの信心。長崎教区は聖母マリアに深い関係がある。教会。⑤最後は、命をささげたことで、聖コルベの深い愛は全世界に広がっている。⑥ガイドさんたち、長崎は、グラバーさん、シイボルト医師など有名ですが、コルベ神父の名前も告げてください。バス・ガイドの服をきて、まだ1ヶ月しかなりません。これから色々とご苦労が多いでしょう。困難に耐えて、経験をかさねて、心豊かなガイドさんになってください。「聖人は、短い生涯でも、核心をつかんでいる」
2014年4月28日月曜日
めずらしい見学者。聖コルベの居室で、サインされる。
夕方、お2人の見学者の入館があった。男性を見て、一瞬、「アッ、どこかで、見たことがあるお顔だ」と、ひらめいた。「誰だろう?」。とまどっていると、女性が教えてくれた。「もと厚生労働大臣です」。お偉いお方がいらっしゃった。テレビで見た印象が残っていた。「第1次安倍内閣です」「きのうは原城跡へ行きました」。尋ねた。「どうして聖コルベ館へ」。お付きの人もなく、訪ねられたのか。女性が語った。「アウシュヴィッツへ行きました。印刷の機械を見たいのです」。アウシュヴィッツから、コルベ神父へつながったらしい。聖コルベの居室へご案内した。写真をお撮りした。ビデオもお見せする。男性は何も語らなかった。活字や、印刷の紙折り機、閉じ機などに、興味を示された。聖コルベ館にはサイン帳がある。一般のサイン帳で、これで、いいのかと疑いも起こったが、「サインして、いただけますか」。男性は素直にお名前を書かれた。お2人とも、名詞をくださった。同じ姓の女性だった。丁寧に挨拶をされて、待たせていたタクシーの方へ。庭にまで、見送った。後ろの席の男性は、窓のガラスをおろして、丁寧に礼をされた。こちらも頭をさげて、手をふってお別れした。サイン帳に、柳澤伯夫、とあった。小柄なお方で、身なりのきちんとした男性だった。国政でご苦労されたのであろう。さわやかな雰囲気を残された。
2014年4月27日日曜日
ヴァチカンで、2人のパパさま、聖人に挙げられる。
ポーランド・クラクフのコンラードさんから送られてきた新しい切手です。お二人の教皇さまが、きょう、ヴァチカンで、フランシスコ教皇さまにより、聖人のくらいに挙げられます。聖ヨハネ23世教皇さま。聖ヨハネ・パウロ2世教皇さま。ヨハネ23世教皇さまにはお会いしたことは、ありません。小長井に居た時代で、とても海外旅行ができる時ではなかった。公会議のパパさまであるのは、知っています。ヨハネ・パウロ2世教皇さまは、この御方はよく知っています。3回、お会いしました。1回目は、ヴァチカン。2回目は、長崎・聖母の騎士修道院。3回目は、ポーランド・ニエポカラヌフ修道院で、お膝元の近くまで進み出ました。「神に、カンシャ」。パパさまの御言葉です。「すべてに、神さまに、カンシャ」。そういうジンセイを歩みたいです。
2014年4月26日土曜日
4月24日は、3つの記念日です。日記は6年目。
聖コルベ館で、見学者の皆さんをお迎えして、案内してくださる女性の納富美紀さんです。色紙に、「親切な応対は、快い思い出を残す。出会いは恵み」と記してある。美紀さんの印象は、皆さんに暖かい思い出を残しております。出会いはお恵みです。★過ぎ去りましたが、4月24日は、忘れもしない、①コルベ神父さまがゼノ修道士さんらと共に、長崎に上陸した記念日でした。日本に聖母の騎士が始まった日です。すべては、ここからお恵みが流れています。次に②4月24日は、ゼノ修道士さんの命日です。この日、東京で亡くなった。90歳でした。戦前は、騎士誌の配布に努め、戦後は貧しい人たちの救済に生涯をささげた。晩年、病室に汚れたタオルが掛けてあった。司祭が、ゼノさん、このタオル、片づけましょうか、と問うと、いや、そのまま残してください。それが無いと、貧しい人を忘れます、と言った。ゼノさんらしい秘話である。次に③4月24日は、小崎修道士が「日記」を書き始めた日でもあります。2009年のこの日から書きました。それは「ガン」を告げられたことが、きっかけです。ニンゲン、どのように死ぬのかな。記しておきたい、それが動機でした。5年が経過し、6年目に入ります。いま、振り返って、誰にカンシャすべきか。神さま、マリアさま、そのほかに、誰に感謝状をおくるべきか、それを思うと、聖コルベ館で、助けてくださっている納富美紀さんでしょう。面と向かっては、なかなか言いづらいのですが、こころではカンシャしております。これからも聖コルベ館を助けてください。「親切な対応は、快い思い出を残す。出会いは、お恵み」です。お恵みは、沢山の愛の花を咲かせます。
2014年4月25日金曜日
苦しみの後には、喜びもある。それがジンセイ。
先日の復活祭・恒例のドライブは楽しかった。写真は、時津の港です。日本26聖人がここに上陸して、殉教・西坂の丘へ歩いた。殉教者たちを偲びました。★さて、健康のことを、今考えてみると、これまで尿は正常に働いていた。ところがドライブをして、車に揺られて、歩いたりして、翌日になったら、「ドカーッ」と、血の大きなカタマリと、血尿が出たわけです。びっくりしましたよ。ところが今度は、手当ても、何もしないのに、血の気は引いて、今日は正常の尿が出ています。「尿が、出なくなると、アウトですからね」。幸い、またゲンキを取り戻しました。「ジンセイには、こうしたことが度々ある。心配があったり、苦しみがあったり、それでも後では、安心、安堵が待っている。苦しみは、生きる喜びに変わる。だから希望を持とう。そう思いました」。★心配しているのが、腎臓の機能です。働きです。腎臓が、60年、1つだけで生きているから、この1つの腎臓が弱ってくると、アウトになる。腎機能が一番、心配です。シスターが癒してくれた腎臓ですよ。これまで生かされてきた。あと、1年で金祝だよ。「生きれ」「生きれ」。そう願います。時々、調べる血液検査の腎機能。クレアチニンで分かるんですね。正常は、0.61から1.04、の範囲だそうです。昨年11月は、1.24 で少々超えていた。それが今年の1月には、1.07、となり、先日の4月24日の検査では、1.01、となっている。こういう経過をみると、ありがたい、生きているなあ、と実感するんですね。希望を持って、明るい毎日を送ろうではないか。守ってくださる方が、わたしのソバにも、あなたのソバにも、必ず、居るはずです。
2014年4月24日木曜日
楽しみの後、苦しみがくる。さあ、これから、どうなる。
ああ、気持ちが、いいなあ。ドライブのとき、横瀬が浦の旧・天主堂跡の原っぱで、ゆうゆうと、休む姿です。平和な時が、いいなあ。次の日の午後から、カラダに異変がしょうじ、血尿したから大変でした。ドライブで、クルマに、ゆられ、ゆられたセイか、急に血尿をした。腎臓の血管が、内部で切れたのか、とさえ思った。ドライブの次の日の午後4時頃、トイレに行くと、「ドヴーァ」と、血のかたまりと、血尿が出てきた。「これは、ヤバイぞ」。そして「ムゥー」と、不安のうちにも絶句。午後7時も、午後9時も、血のかたまりが出てくる。尿というのは、黄色の水が普通に出て、アタリマエ。真っ赤な血の色は、気持ち的に受け入れられない。心配になって、夜分、泌尿器科の病院へ電話をかけた。「主治医に先生へお願いします」。数分後、返事の電話。「あした、病院へおいでなさい」。夜中も血尿はつづいていた。★早速、今朝は、早めに出発。泌尿器科へ。尿を、フタがついたコップに取る。血の小さなかたまり、尿は黄色だった。診察室で、腎臓、膀胱を、エコーで調べた。結果は、「ようすを、みましょう」。止血剤をもらって、次のクリニックへ。帯状疱疹の手当てを行なう。度重なる痛みの苦しみだが、ガマンしか、ない。自分の苦しみだ。自分で耐えるしか、ない。「いのちは、神さまのこと、です」
2014年4月23日水曜日
うしろに、こけた。ああ、あぶない。でも大丈夫だった。
今朝、朝食のとき、神父さんから言われた。「こけて、それでも大丈夫だったから、よかったな」「ウン、おかげで、ね」。あらためて、本当に感謝しました。その次第は、こう、です。昨日のドライブ。あち、こち、回ったから、足元が大層、疲れていた。途中で、山の木の杖を拾って使った。出津(し・つ)のドロさまの救助院まで来た時、足元が大変、疲れていた。そこには案内役のシスターが居ました。一行が来たので、特別に、親切に、説明してくれた。「さあ、終わって、帰ろう」。庭から上へ、高くなっている道路へ登る石段があった。「6、7段の、石段だったろうか」。そのとき、「ああ、おんじゃく・いし(雲母・花崗岩)ばいね」とい思いつつ、片手に、杖を支えて、2段目ぐらい上がりました。すると急に、ふあっとした気持ちになり、そのまま、うしろに倒れたのです、ああ、あぶない、危ない、すると誰かが、後ろから背中をささえた。そのまま、ドカッと、背中、アタマを、庭のコンクリに、ぶっつけた。フアッとしたかと思うと、誰かと、いっしょに倒れたのです。うしろの人、誰かか?分かりません。その人のおけげて、アタマを打たず、カラダうを打たず、無事だったのです。それを今朝、「よかったな」と言われたのでした。誰が支えて、無事にしてくれた?わかりません。見ていた人たちが言うのです。それはシスターでした、と。「え、えッ、そう、なんですか」とカンシャしました。そのシスターが、この人です。「やっぱり、助ける人がいた。ありがとう」
2014年4月22日火曜日
復活祭・春のドライブ。西彼杵半島をめぐる。楽しい。
毎年、復活祭の後で、全員で、近場に日帰りのドライブする習慣があります。それに従って、出かけた。今年は、西彼杵(にし・そのぎ)半島をめぐる巡礼となる。曇り空のもと、朝は9時に出て、夜の7時頃に帰った。かなり車に揺られたわけです。それでも楽しいドライブでした。最初は、時津町の①日本26聖人上陸地へ行く。それから②小干が浦の殉教地へ回った。非常に分かりにくい、海辺の場所です。(写真)。「今日の巡礼と、ここの殉教者のため、合わせて1連を唱えましょう」と呼びかけると、みんなが受け入れてくれて、祈りました。次いで、③大村の殿様・純忠が洗礼を受けて、貿易でも栄えた横瀬が浦を訪ねた。海辺の集落です。ここで昼食をとる。《船番所》という食事処で、バイキングを楽しみました。午後からは、④中浦ジュリアン生誕地であり、中浦を訪ねた。樹木が大きく茂って伸びているのが驚きでした。⑤ドロ神父・大野聖堂。⑥ドロ神父・救助院を訪問する。2階建てのドロ教育場所です。ドロさまは、村の未婚の女性を、ここに合宿させて、宗教教育、農業の指導、生きる知恵など教えて、ここから結婚させたり、シスターの道を開いた。結婚した女性の子供から、多くの聖職者が生まれ、育ったのです。出津に、なぜ召し出しが多いのか、そのヒミツは、ここだった。それを忘れては、いけません。意味があるのです。そう思いつつ最後の場所は⑦桜の里・教会を訪ねる。ここは初めての訪問でした。ここで又、声をかける。「巡礼の恵みに感謝して、又1連を唱えましょう」。みんなは応じてくれた。うれしい限りです。みんなで唱えました。その後で、夕食は、回転寿司でした。健康で、無事に終わった次第です。
2014年4月21日月曜日
突然の痛み。水ぶくれ。尋常じゃないぞ。治療に専念。
胸部の左側、脇の下あたりが、キリ、キリと、痛む。数日前から、その症状があった。「おかしいなあ。骨でも折れているのかなあ」。倒れた心当たりはない。痛みは、じょじょに激しくなる。弱音を吐かず、ガマンしていて、いいのか。迷っていたが、思い切って、午前中に、町のクリニックへ診察へ行った。お医者さんに、痛むところを見せるなり、「帯状疱疹です」と言われた。「え、えッ」と、あっけに、とられる。前に、1箇所、背中に、2箇所。赤く、ふくれ上がっている。老人になると、免疫が低下する。その反動で起こるらしい。点滴を打たれて、クスリをぬられた。「水ぶくれになって、つぶれて、液が皮膚につくと、広がりをみせる」。治療するように、告げられた。「ジンセイ、いろいろ有るが、それでも恵まれている。時には、痛むも、いいだろう。忍耐するしかない。わが身だ。いまを大事にしよう」★鹿児島からの女性が、色紙、3枚を買い求めてくれた。その中の1枚、梅の色紙です。「いろいろ有ったが、恵まれていた。だから今がある」。この句を選んだ。
2014年4月20日日曜日
主の御復活、お祝い、おめでとう。平和と、平安を祈る。
ポーランドの復活祭のお祝いのカードです。クラクフのコンラードさんから届きました。独学で日本語を勉強したというコンラードさん。漢字もきれいな字で書いている。「日本人より、じょうずだよ」。★昨夜の復活徹夜祭、電気を消した聖堂の玄関にみんなが集まった。炭火から、新しい火を、大きな《2014》のロウソクに点ける。「ルーメン、クリスチ(キリストの光)」と司祭の闇の中での声。信徒は、手にもった小さなロウソクに、大きな火から次々に点じていく。ここで、ちょっとしたハプニング。暗闇のなかで、危ふく、足元が揺らいで、転びそうになった。「こりゃ、あぶない」と、老いを感じる。だが、負けじと、ミサのあいだは、大きな声で、聖歌をうたった。「声を、大きく、だそう。気合をいれるために。低めの声の、祈りは、好かん」。主の復活だよ。ゲンキを出そうではないか。ニンゲン、いくら背伸びしても、限りがある。もっと大きな視点にたって、全体を眺めなければ、解決しないだろう。主の復活から、チカラ強い、パワーをいただける。アレルヤ。
2014年4月19日土曜日
聖人になるパパさまの切手。ポーランドから届いた。
きれいなパパさまの切手。教皇ヨハネ・パウロ2世。多くの人から親しまれたパパさま。日本へも来られた。忘れません。身近く、パパさまのおそばに行ったことも、何度かある。思い出も多いパパさまです。ポーランドの生家にも、巡礼したこともある。来る4月27日、復活祭の第2の日曜日、神のいつくしみの日に、聖人のくらいにあげられます。パパさま、おめでとうございます、と切手はお祝いしています。パパさまの母国、ポーランドの国らしいですね。切手をいち早く送ってくれたのは、ポーランド・クラクフに住んでいるコンラードさんです。復活祭のお祝いのカードも着きました。コンラードさん、ありがとう。★生涯を燃やして、ちから、つよく、生きぬいた、と言われる人生、になりたいです。★126★
2014年4月18日金曜日
2人の女性が別れに来る。いい旅、アメリカへ帰ります。
皆さん、いい顔、していますね。「来たーッ」と、4月の上旬に1年ぶりに再会した、アメリカ在住の洽子(こう・こ)さんが、お手伝いのメキシコ人の女性をつれて来たが、あれから2週間が経って、2人はお別れにきた。これまで何度か訪問している。笑顔の美しいエスぺランザさんは、毎回、ルルドの掃除、奉仕を喜んでおこなった。いつも掃除を心がけている。彼女が「きょうは、門のところに着いて、階段あがって、ルルドまで、何歩あるか、数えた。434歩あった」言うのです。それを聞いて、修道士は、大笑いしたよ。(これまで何10年と、ここに居るが、階段を数える者はあっても、歩数を数える者は、あなたが、最初だった。びっくりだよ)。テキサスの洽子(こう・こ)さんも今度の旅に満足し、喜んでカンシャの言葉をつげた。「本当に沢山の人に出会って、神さまの導きでした」。エスぺランザさんの笑顔、ニコニコのお陰で、出会いの広がりが、できた。いい旅でしたね。明るいお顔をされていた。今日また、色紙を20枚送ってくださいと、頼まれた。あわせて、40枚ですよ。これも初めてです。「また会いましょう。ゲンキにしているからね」。希望を持つ者は幸せです。再会を祈っています。★さっそく、松下修道士さんに、ルルドまで「何歩あるか、数えてみて」と頼んでみた。「門から、ルルド(庭のさい銭箱)まで、430歩あった」と報告。「えー、えッ」と、数字が、ほとんど同じだったので、カンドウしたよ。「巡礼の旅でした」という2人は、いい思い出を残した。2人のことは、いつまでも忘れない。出会いの恵みとは、こういう出来事なんだよ、ね。★178★
2014年4月17日木曜日
カラダは、これで、いいのか。生かされて、カンシャ。
予約の診察の日です。朝から、気が重くなります。聖コルベ館を早めに出かけます。泌尿器科へ着いて、尿コップをもらって、名前を呼ばれて診察室へ入る。お医者さんと、いくつかの言葉をかわして、廊下に出ます、その間、30分ほどでした。自分のカラダは、これで、いいのか。わかりません。痛いところや、不安は沢山ある。「5月半ばに、予約の診察。そのときに、ステント入れ換える日を決めましょう」。今は、ステントに頼らないと、生きては、いけないカラダになっている。それだけは、確かです。どのような症状になれば「アウト」か。およその見当はついています。日々、生かされているのを、痛切に感じています。ナマイキなことは、もう言うな。カラダから、心へ染み込ませる言葉です。説得させる文言です。それで、ジッと、できれば、いいのですが、ね。★午後から、介護のヘルパー(男性)がきて、入浴させてもらった。気持ちを取り直し、やや、晴ればれ、すっきり、なりました。
2014年4月16日水曜日
がんばれ、好きじゃないが、がんばる。希望をもって。
★ジャスミンの新芽が、今年も出そろった。自然のチカラって、ふしぎだな、と愛(め)でる気持ちになる。これまで何年も、この新芽を意識しながら、ここを通ったことか。年々、その思いは、重みを増していく。よく、「がんばれ、頑張れ」と励ますが、あまりその言葉は好きじゃない。がんばっても成功するのは、ひとにぎりのニンゲンに過ぎないから。シゼーン(自然)に、抵抗なく、この道を歩んできたつもりです。それでも今年になって、少し、来年を意識するよう、変革があった。(前にも書いたと思いますが)、来年、2015年は、誓願50周年、金祝の年になっています。それまで、なんとしても、がんばっても、生きたいと思うようになった。ところが、2016年には、また、いいことが、あるような気がするのです。そうなると、その年までは生きたいね。いろんな希望が沸いてきます。★聖コルベ館へ来て、神の道への志願を決めた《岡山のうどん屋の青年》ね、がんばっているそうです。今のところ、彼に明るい未来も開けているようです。まだ、まだ、目標までの先は長いが、神さまのお恵みね。それまで、がんばって、生きたい気持ちになりました。「まあ、がんばれば、怠けにならないし、ね。フンパツ・リョクに、なります」★あしたは、泌尿器科の予約の診察日です。30cmのステント(管・くだ)が入っている身なれば・・・予断は許さない。★128★
2014年4月15日火曜日
色紙を20枚描きあげる。はじめて。信念のコメント。
★アメリカ・テキサス在住の女性、ハーレル洽子(こう・こ)さんのお求めに応じて、色紙を20枚、描き揃えた。こんなことは初めてでした。日頃から、感じている信念のコメントを書いています。「こんなに沢山、どうされるんですか?」「おみやげに、あげます」「日本の文字はわからないでしょう?」「英語で説明を加えます」。洽子さんが、丹念に、英訳している姿が想像される。いい言葉が、書いてありますよ。きっと、皆さんを励まし、苦しみを乗り越えるチカラになるでしょう。祈っています。「いろいろ有ったが、恵まれていた。だから、いまが、ある」。苦しみや、悩みがあるが、恵みの方が勝つんですね。だから、今という恵まれた日があるのです。生かされているのが、お恵みなんです。素直に認めたいと思います。そう願っています。★この世で、一番大事なことは、愛と、いのちです。もう1つ、あるんですね。信じること。神を信じることによって、愛と、いのちは完成される。★127★
2014年4月14日月曜日
ポーランドの若者にエールをおくる。再会のよろこび。
★12年ぶり、ポーランドの若者、イゴルさんが訪ねてきた。お母さんといっしょに。再会って、うれしいですね。彼は以前、長崎の大学に、1年間、留学していた。苦学生だった。度々聖コルベ館を訪問。親しくなった。コルベ神父の本をポーランド語から訳するアルバイトを頼んで、わずかながら助けていた。ポーランドへ帰国し、日本語が使える職についていた。いまは大学で学んだ経済の職に働いている。3週間の日本・韓国の旅。母親も同行した。忘れないよ。イゴルさんは時々、便りを送っていた。お母さんにとって、1人息子といった。「イゴルさん、前はスマートだったのに、ちょっと大きくなったね」。貫禄がついたのか。若者は本当に嬉しそうだった。出会いは神さまのお恵みだよ。「トマさん、ゲンキでよかった」と喜んでくれた。長崎は2泊だけだという。「ジンクーエン(ありがとう)」と言って別れた。★122★
2014年4月13日日曜日
聖週間が始まる。枝の主日。復活祭に向けて。
★司祭が、ソテツの枝を清めて、信者は、「主に、ホザンナ」と、主を讃えながら、行列を行なった。聖週間が始まります。悲しみの季節です。先祖のキリシタンたちは、この悲しみの季節を大事に守って、祈りと、犠牲につとめてきた。★ミサで祈りながら、「なぜ自分は信仰をするのか」を考えてみる。母親から受けたカトリックだからです、その理由が、大いにある。母は教えた。「悲しみの季節に入るから、大きな声で笑ったり、騒いだり、しないのだよ。犠牲をしなさい」。ハイ、ハイと、あまり深くは考えずに、子どもの頃は守ってきた。母が実行するから、自然に、そういう気持ちを受け継いできた。なんの抵抗もなかったのです。「家がカトリックだから、守ってきた」。★いま年老いて、人生を振り返って、信仰とは、何だろう。信じられることもあるが、信じにくいこともある。ニンゲンの知恵は、浅はかであると思う。揺れ動くなかで、反省をして、助けてください、と願うのが、信仰であろう。いまは、そう思うのです。★111★
2014年4月12日土曜日
選んだ色紙のコメント。癒される旅を望む。幸せ祈る。
★最近はカラダの調子がよく、朝、5時に抵抗なく起きる。朝からのお勤めは気持ちがいい。大きな声で、聖務を唱える。ミサで祈る。「神の恵みの、大きいことを、悟れ」。朝食の後、聖コルベ館へ。庭のジャスミンの木。冬の間、細い枝だけ揺れていた。いま、枝に、緑の新芽がつき始めている。「春を、知っているんだ、ね」。いとしくなる。★東京から、3人の女性の見学者。1泊2日の旅。「聖母の騎士を目的に来ました」。カトリックでは、ない。色紙を、10数枚置いてある。その中から、3枚を選んだ。「どんな字に、心引かれたのか」。①「親切な応対は、快い思い出を残す。出会いは恵み」。②「人は、目で、見る。神は、心で、見る」。③「コルベ神父、身代わりの愛、お礼を求めない、こころ」。印象ふかいコメントを選んでいる。心の、内面の問題だ。癒される旅でもある。すばらしい長崎の思い出になるよう願った。忘れないで、ね。★114★
2014年4月11日金曜日
出会いは神の恵みです。いい出会いには、花が咲く。
★出会いって、フシギやなあ、と思います。テキサスから来ている洽子(こう・こ)さん。最初に来られたのは、写真の左、昨年の7月です。右はお友達の女性。洽子さんが長崎へ帰っているので、東京から会いに来た。1日、観光しましょうと、タクシーで長崎へ。聖母の騎士の門まで来た。「この階段、あの坂、ムリ」と洽子さんはとまどい、タクシーで待っていた。お友達の女性は、騎士社へ用件に行った。そのままタクシーに戻って去ったら、修道士には出会えなかっただろう。女性が聖コルベ館へ寄ったので、「車はここまで登れます」と聞く。女性はタクシーを呼びに行った。そこでテキサス洽子さんと出会うことになるのです。「修道士さんとの出会い。シワ1つないお顔でした」が印象。実家にも修道士の本を見つけて、びっくりしたそうです。こうして出会いの喜びを果たしました。★今日も朝から、洽子さんとエスぺランザさんは来る。ルルドへ登った。ルルドの掃除の奉仕を手伝った。「この場所が最も好きです。メキシコ人の町にも、祈りの場所を作ります」。ルルドのトイレをピカ、ピカに磨き上げた。メキシコ人のエスぺランザさんはルルドの聖母マリアに祈った。「キリスト信者が心を1つにしますように。夫と、3人の息子の幸せをも祈ります」★126★
2014年4月10日木曜日
テキサス在住の女性が色紙を20枚頼んだ。ありがとう。
★2日前の火曜日。アメリカ・テキサス在住の洽子(こう・こ)さんと、メキシコ人エスぺランザさん、もう1人の女性が聖コルベ館へ来た。洽子さんが、聖母マリアの小さなご像と、小型の額のおみやげを追加される。★日曜日には、外海へ行ったという。エスぺランザさんは、初めて海を見た。カンコロを食べた。素敵な思い出になったと喜ぶ。「覚えた日本語は『ありがとう』『カンコロ』です」。★洽子さんの話が印象的だった。自分は宗教を子どもたちに伝えるのに苦労した。子どもは教会から遠ざかっていく。悲しいことです。しかし外海へ行って、キリシタンたちは7代にわたって教えを伝えてきた。しかも7代目には、外海から沢山の聖職者が出ている。肌でそれを感じたとき、外海には素晴らしい信仰があるのを知った。教会と信仰をぜひ世界の遺産にしてほしい。そう願っています。アメリカへ帰ったら、宣伝したいです。熱意ある言葉は、修道士の心にひびいた。洽子さんは、「諫早大水害で、祖母を含め3人を亡くした。高校生のとき、みさかえの園へ奉仕へ度々通った。諫早教会の幼稚園の神父さんにかわいがってもらった」と話す。身近い、それらの体験が、親しみを感じさせた。★もう1人のお客さんは、夫妻同士でお付き合いをしている女性で、毎年、テキサスのお宅へ行き交流を重ねている。★この日、エスぺランザさんは、ルルドの掃除の奉仕を励んだ。他の2人はビデオ「小崎修道士・生かされて」(1998年作・46分)を見た。色紙を20枚描いてと頼まれる。あと10日ほど長崎に居られる予定。巡礼をつづける、と語った。皆さんの表情は明るかった。★今朝の祈り。「主よ、すべてのキリスト者をひとつに結んでください。力を合わせて悪と戦い、あなたの国の証となることが出来ますように」★105★
2014年4月9日水曜日
来たーッ。テキサスの女性。同伴の女性と、再び来る。
★先日、温泉宿から帰った日、木曜日だった。聖コルベ館に帰るや否や、顔を覚えている女性が入ってきた。「あれ、あの・・・アメリカ・テキサスから」「そう、昨年の夏に来ました」。喜びの再会だよ。お客さんを連れてきた。「メキシコ人のエスぺランザさんです」。お手伝いさんだという。「今、島原・オバマ温泉から帰ったばかりです」「知っています。日記を毎日読んでいるので、今の時間に行けば会えると」。まことにタイミングが好かった。★昨年の日記を見ると、有った。「7月3日。24日にはアメリカからメールが届いている」。女性は長崎県出身。アメリカ在住30年、毎年、里帰りする。ダンナさんはアメリカ人。夫妻はキリスト信者。エスぺランザさんはカトリックだった。一緒に聖書の勉強をつづけている。エスぺランザさんはコルベ神父の熱愛者。またメキシコ人だから、日本26聖人の殉教地へ行って、聖フィリポ(メキシコ人・神学生)を仰いで喜んだ。同じ町の出身という。★テキサスの女性は、紐のネクタイを贈ってくれた。「ネクタイの締め方を忘れた」と日記(3月18日)で読んだからだという。★「あなたの名前は?」と聞いても、「わたしは、いい」と答える。昨年の7月24日に最初のメールが来て、あれ以来、10通以上はメールが届いている。長崎の信仰、歴史を忘れない。いつも「KoKo」と書いてあった。この日は、このまま、時間もないので、帰られた。★日曜日、2人でミサに来られたが、この時も時間がなかった。火曜日、3度目、お客さんを連れて、3人で聖コルベ館へ来られた。そのとき、聞いた。メールの名前、「コ、コって、何ですか」「洽子(こう・こ)です」★130★
2014年4月8日火曜日
父のふるさと、外海・黒崎、やわらかい風が吹いてくる。
★従姉にシスターが居ります。87歳の誕生日が来たと言います。では、誕生祝いに、いっしょに回ろうか、と運転を他の修道士さんに頼み、3人で出かけた。「どこへ行こう」「両親の墓参りに行こう」。それで外海・黒崎に帰りました。「ふるさと」の風景です。ふるさとは、いつ来ても、いいですね。風がやわらかで、心が癒される。少年の頃、泳いだ溜め池もある。シスターの両親も、わたしの両親も、同じ墓に入っている。3人でロザリオを唱えました。運転の修道士さんも同じふるさとです。両親の墓もある。墓参の後、地元のお年寄りの家々を訪ねて、慰めました。それがシスターの誕生祝いでした。★せめて昼飯でも、ごちそうしよう。シスターに聞いた。「お祝いに何が食べたい?」「チャンポン」という。「チャンポンで、いいの?」「チャンポンが、どうしても食べたい」と熱望した。「安上がりだよ」。そこで黒崎の食事処に入った。メニューに何がある?長崎らしく、チャンポン、皿うどん、それに丼もの、定食などなど。何にする?シスターは「チャンポン、ぜひとも」「よし、じゃ、わたしもチャンポン」。運転の修道士は「皿うどん」。2つと1つを注文した。先にチャンポンが1つ届いたので、わたしが食べた。次、チャンポンと皿うどんが来るかと思ったら、皿うどんが2つ届いた。厨房に伝えるのに、間違えたらしい。本当は告げるわけだが、仕方がない、耐えた。あれほど熱望したチャンポンだったが、シスターはチャンポンを食べた。「わたしが先に食べて、ごめんな。シスター、また今度食べてよ」。残念、笑いのなかで、誕生祝いは終わって、シスターは山の修道院へ帰ったのだった。★115★
2014年4月7日月曜日
感動した。10歳の女の子が色紙を買ってくれた。
★聖コルベ館に、お母さんと女の子が入ってきた。しばらく資料室を見ている。女の子が、「ネ、ネ。これ、ください」と、1枚の色紙を差し出すではないか。「え?買うの?」。初めてだよ、こんな少女が色紙を買うのは・・・。「これ、いい。ほしいです。言葉が好き」。色紙には『他人と比べるな。自分らしく、生きよ。いいところは、ある』とあった。いい言葉だよ。1.000円くれた。パッと、これが目に付いたとは、「エライぞ」。感動したよ。「何歳?」「10歳です」。お母さんの説明によると、お父さんは、バングラデシュ人。「お名前は?」。お母さんが答えた。「愛理です」。カトリックで、霊名は「マリア・アンゼリナ」「学校は?」[国際・・・英語の授業です」。毎年、バングラデシュに帰っている。「将来のユメは?」と聞くと、「お医者さん」。★彼は、彼。わたしは、私。違いを、認める。されど、仲良し。その心だよ。君にも、いいところは沢山ある。才能を、喜びを、伸ばしていきなさい。一般に、こういうことも言える。相手を変えるのではなく、自分を変える。いつも相手を変えようとするから、悩みが生じる。★ゲンキな女の子だね。話しているうちに、お母さんが本の販売の机で見ている。「マンガ・焼けたロザリオ、買いなさい」と声をかけると、少女が、サッと行って持って来た。パラパラめくって、目が早い。「イジメた人、どうなった?」「死んだよ」「かわいそう。ざまーみろ」「そこまで言うなよ。こまるよ」。修道士さんは改心したんだよ。そのマンガも買い求めた。「シャシン、写すよ」。明るい少女だった。帰った後、サイン帳に「はやく、はつ・せいたい(初聖体)を受けられますように」と書いてあった。★125★
2014年4月6日日曜日
老人は、過去を知る。「ボクのお母さん、どうだった?」
★玄関に、リッパな5月人形が、飾ってあった。ここは田舎の、山のなかの老人ホーム。従姉のばあちゃんを見舞いに行った。会うなり、ばあちゃん、泣き出した。大正うまれの、91歳。「キミエさん」。泣くなよ、と背中をさする。寂しかったんだろう、な。実子が居ない。ホームの部屋は、4人が住む。「夜、寝られんとょ」。シワの多いカオがゆがむ。おみやげを差し上げると、ナミダはピタリ止んだ。★長生きしても、苦労は多いんだな。ニンゲン、死ぬまで、気兼ねして、生きるのか。絶えて行くしかないだろう。★老人は過去を知っているはずだ。「キミエさん、ボクのお母さん、知っている?」。こっくり、うなずき「知っている」。キミエさんの家は、長崎市・上野町356番地。原爆の被害が多かった町。キミエさんは被爆前に、市外に縁付いた。荷物を運ぼうと、港へ行く。そのとき、ボクの家によって、母親に「いっしょに行かない?」と誘ったという。「幸一(ボクのこと)が居るから、行けないよ」とボクの母。原爆が落ちて、母親は行方不明となる。「いっしょに、行っておれば、ね。助かったかも」。キミエさんは、港で被爆し、無傷だった。人間の運命って、わからんね。キミエさんは、「結婚前は、よく、お母さんの家に泊まりに行っていたよ」「ボクも、覚えている」★133★
2014年4月5日土曜日
疑う余地はない。日々新たに前へ進みましょう。行こ。
★1幅の掛け軸がかかっていた。温泉宿・富士屋さんの玄関を入ったところにあった小さな床の間です。字に興味がある。難しい漢字。「弄花香満衣」。読みは「花をろうすれば、香りは衣に満つ」。つまり、花を手に取っておれば、いつしか、その香りが移って、着衣にも漂うようになる。★この度、温泉宿へ着たとき、小さな迷いがあった。自分のジンセイを振り返って、人間として生きたが、意味はあったのか。意味があれば、価値がある。価値があれま、満足だ。★藤下先生は、「定めだよ」と言った。山のシスターは、「いつの間にか、奉仕です」。そのように、成って行ったんです。人生とは、そんなモンです。★17歳で、この道に入ったが、正式に修道士になったのは、20年も経って、37歳になっていた。あれから50年の命が与えられたんです。歳をとれば、1つ、1つ、考えの清算をしていく。この場合、何も、言える、余地がありません。意義があったのか、少しでも疑うのは、50年の歳月に、かわいそうだよ。毎年、毎年、○を集めた。○は49になった。あと1つで、50の○です。ありがたい、ジンセイだった。迷いは、ミジンもなくなった。★カンシャのうちに、日々、新たに、前へ進みましょう。★129★
2014年4月4日金曜日
温泉につかって、気持ちも晴れ晴れとなる。よっしゃ。
★温泉宿の朝食の風景です。大広間に、片側に20人あまりの男性グループがいた。当方は、こちらの片側に、たった1人だけ、ポツンです。男たちの年代は、70前後かな。近くの農村と、漁村のたくましい男たち。何かの会らしい。ここに「修道士」が居るなんて、全く想像もつかないね。彼らのゲンキなこと。「ご飯、おかわりッ」「こっちも、おかわり」。生きる力が旺盛だ。チャワンを上げて、催促している。お手伝いさんは忙しい。「もう、おひつは、こっちへ持っておいでよ」の声も。「こちらで注いであげます。美人から注がれた方が、いいでしょモン」。これには皆、素直に従った。★この度、温泉宿に来て、よかったと思う。気持ちが、すっきり、明るくなりました。「よし、ゲンキを出そう。まず声を大きく出そう。ヤッホー。ご飯の、おかわりーッ。それぐらいのゲンキで行こう」と思った。★与えられた「生」を生きる。苦しみがあっても、逆境に立っても、ハネのけてきた。乗り越えてきた。その証拠に、いまがある。今があることが、尊い。過去に耐えてきた。生きてこそ、いのちだ。★聖コルベ館に帰って、食堂に出た。「おお、いいカオ、しているな」と言われて、胸のうちで、「これから大きな声で、祈りを、しますよ」★175★
2014年4月3日木曜日
温泉・3日目。山のシスターとの会話。奉仕の喜び。
★温泉宿から、車で、山のシスター修道院へ向かった。「やあ、お久しぶり」。当方の声を聞いて、古参のシスターが4、5人集まった。さえずりは、約1時間つづいた。帰りには、シスターから、野菜類のおみやげを頂いた。★1人の古参シスターさんの話、内容は、次のようだ。「大阪から、親戚に連れられて、16,7才のとき、長崎へきた。ゼノさんに会ったのが、運のツキ。『天国、みなさん、待ってーます』。ゼノさんの愛の麻酔にかかった。原爆孤児の面倒をみなさい。カラダの不自由な子どもを助けなさい。以来、65年以上働いている。この人、料理に、絵画的織物、お茶の栽培など、万能の技を持っている。ただ、神さまの愛のため、隣人への奉仕のため、黙々と生涯をささげ尽くしてきた。笑っている。喜んでいる。幸せのヒミツは長年の祈りなのか。★ふしぎを知るのがジンセイです。その人だけのもの。白紙だったところに、こうーなって、こーう準備されて、見事な人生パズルが完成する。それらのフシギな導きを、その人だけのために知ることが、ジンセイなんだよ、と思う。痕跡は、ふしぎとしか、言いようがない。1つだけの痕跡で、その人にだけの、足跡が残る。それを見つけるのが、ジンセイです。★目に見えないモノへの、真理への憧れ。愛の根源への追求というか。むずかしい。★神よ、あなたの国の証しとなるため、独身を守って生涯をささげる人びとを、祝福してください。かれらが召しだしの道を最後まで、進むことができますように。
2014年4月2日水曜日
温泉・2日目。ヒトは定めを生きる。達成感に、喜び。
★定年退職した元・教頭の藤下邦彦先生です。愛犬のジュピター、3才。★温泉2日目は、中日(なか・び)です。朝食終わったところで、山の施設の学校へ行ってみよう、と思い立った。温泉のすぐ近くの愛野町に藤下先生が住んでいる。電話を入れると、「いま、犬の散歩」。やがて宿へ迎えにきた。藤下先生の車で、一路、山へ。★最近、考えていることがあります。人生を振り返って、ヒトは、どのように生きれば満足なのか。満足とは、わが人生に価値づけをする。納得できるとして、最後を迎えられるか。いかに生きれば良いか、である。助手席から藤下先生にナゾかけてみた。「ジンセイって、ある時期、縁があって、何10年と、その場所で暮らす。大事な人生の大半を、そこで費やすわけです。それで、いいのか」★すると藤下先生は、こう答えた。「寺の坊さんの孫に生まれて(自分のこと)、同志社(キリスト教)大学を出て、カトリックの施設の私立学校に、38年間も勤めたんです」。1つしかない人生を、施設の子どもたちのために、費やしたわけだ。藤下先生はつづけて言ったね。「これも定めだったよ」。ズバリ。そうだ、定めだったんだ。そのように生きるように、何かに導かれていたんだ。人生には、そういう生き方もある。★この世に生まれたからには、生きなければならぬ。何のために生きるか、考えなくていい。とにかく生きる。生きるからには、リッパの生きようではないか。生きて満足だったと言える人生なら、それでよいと思う。自分は必要とされているだろうか。そう思って悩む人も多々ある。必要とされるために、自分で築いていく。努力をしていく。★与えられた能力を発揮して、他者のために尽くし、奉仕するなら、そこに達成感、喜びがある。それは、ヒトは、ひとりでは生きられない存在だからだ。★先月、閉校になった校舎を訪問した。「さびしくなった、な」と藤下先生、しきり。帰路に、また問うた。「巣立って行った子どもたちは、みな幸福になったろうか」。答えは、こうだ。「施設を出た後、社会生活を新たに広げて行った者が、成功する」。なぜか、その夜は、ゆっくり眠った。★150★
2014年4月1日火曜日
島原半島・オバマ温泉・富士屋さんへ。1日目。
★いつもオバマ温泉に連れて行ってくれる白浜忠美さんです。お世話になってます。★毎月、温泉宿へ出かけている。「ゼイタクな」の声も聞かれる。だが当の本人は1つの試金石だと思っています。オバマには、被爆者療養の宿もある。泊まったこともある。今の定宿・富士屋さんは、その延長線にあると思っているんです。療養ですよ。オバマ温泉に来れなくなったら、「アウト」です。今までは、自分で運転して来た。今は出来ない。「ワン・ストライク」だよ。もし、オバマに来れない体力になったら、「ツウ・ストライク」になる。その後は「アウト」だからね。★実を言えば、この度は、あまり気が進まなかった。最近、アタマが、ふらふら。足は、よろよろ。いまいち、気乗りがしない。「ああ、これでは、ダメだ」と思い直した。前日になって、宿に予約。意を決してやって来たわけです。★そのまま来れば、1時間強で来る。善業も、と考えて、老人ホームに仲間の修道士を見舞った。車椅子だが、毎日、ロザリオ、3本。昔の祈りの「イエスの御名の連祷」「聖マリアの連祷」「聖ヨゼフの連祷」(もちろん暗記)を捧げている。「さすがは、長崎の信者だ」と感心・敬服した。寄り道したので、富士屋さん到着は、1時間遅れた。御かみさんが心配して待っていた。★温泉に浸かって、「ああ、来てよかった」と思う。最近、体調に不安を感じていた。詳しくは、書きません。「ピン・ころり」と思うこともある。「待て、待て。まだ、ぞ」。その夜の泊まり客は、たった1人だった。
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