長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年4月9日水曜日
来たーッ。テキサスの女性。同伴の女性と、再び来る。
★先日、温泉宿から帰った日、木曜日だった。聖コルベ館に帰るや否や、顔を覚えている女性が入ってきた。「あれ、あの・・・アメリカ・テキサスから」「そう、昨年の夏に来ました」。喜びの再会だよ。お客さんを連れてきた。「メキシコ人のエスぺランザさんです」。お手伝いさんだという。「今、島原・オバマ温泉から帰ったばかりです」「知っています。日記を毎日読んでいるので、今の時間に行けば会えると」。まことにタイミングが好かった。★昨年の日記を見ると、有った。「7月3日。24日にはアメリカからメールが届いている」。女性は長崎県出身。アメリカ在住30年、毎年、里帰りする。ダンナさんはアメリカ人。夫妻はキリスト信者。エスぺランザさんはカトリックだった。一緒に聖書の勉強をつづけている。エスぺランザさんはコルベ神父の熱愛者。またメキシコ人だから、日本26聖人の殉教地へ行って、聖フィリポ(メキシコ人・神学生)を仰いで喜んだ。同じ町の出身という。★テキサスの女性は、紐のネクタイを贈ってくれた。「ネクタイの締め方を忘れた」と日記(3月18日)で読んだからだという。★「あなたの名前は?」と聞いても、「わたしは、いい」と答える。昨年の7月24日に最初のメールが来て、あれ以来、10通以上はメールが届いている。長崎の信仰、歴史を忘れない。いつも「KoKo」と書いてあった。この日は、このまま、時間もないので、帰られた。★日曜日、2人でミサに来られたが、この時も時間がなかった。火曜日、3度目、お客さんを連れて、3人で聖コルベ館へ来られた。そのとき、聞いた。メールの名前、「コ、コって、何ですか」「洽子(こう・こ)です」★130★
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きたっーー!!とはじまる再開のブログが多いですね。
返信削除長く生きてこそのこの喜び…私にも喜びが届きます。