長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年4月2日水曜日
温泉・2日目。ヒトは定めを生きる。達成感に、喜び。
★定年退職した元・教頭の藤下邦彦先生です。愛犬のジュピター、3才。★温泉2日目は、中日(なか・び)です。朝食終わったところで、山の施設の学校へ行ってみよう、と思い立った。温泉のすぐ近くの愛野町に藤下先生が住んでいる。電話を入れると、「いま、犬の散歩」。やがて宿へ迎えにきた。藤下先生の車で、一路、山へ。★最近、考えていることがあります。人生を振り返って、ヒトは、どのように生きれば満足なのか。満足とは、わが人生に価値づけをする。納得できるとして、最後を迎えられるか。いかに生きれば良いか、である。助手席から藤下先生にナゾかけてみた。「ジンセイって、ある時期、縁があって、何10年と、その場所で暮らす。大事な人生の大半を、そこで費やすわけです。それで、いいのか」★すると藤下先生は、こう答えた。「寺の坊さんの孫に生まれて(自分のこと)、同志社(キリスト教)大学を出て、カトリックの施設の私立学校に、38年間も勤めたんです」。1つしかない人生を、施設の子どもたちのために、費やしたわけだ。藤下先生はつづけて言ったね。「これも定めだったよ」。ズバリ。そうだ、定めだったんだ。そのように生きるように、何かに導かれていたんだ。人生には、そういう生き方もある。★この世に生まれたからには、生きなければならぬ。何のために生きるか、考えなくていい。とにかく生きる。生きるからには、リッパの生きようではないか。生きて満足だったと言える人生なら、それでよいと思う。自分は必要とされているだろうか。そう思って悩む人も多々ある。必要とされるために、自分で築いていく。努力をしていく。★与えられた能力を発揮して、他者のために尽くし、奉仕するなら、そこに達成感、喜びがある。それは、ヒトは、ひとりでは生きられない存在だからだ。★先月、閉校になった校舎を訪問した。「さびしくなった、な」と藤下先生、しきり。帰路に、また問うた。「巣立って行った子どもたちは、みな幸福になったろうか」。答えは、こうだ。「施設を出た後、社会生活を新たに広げて行った者が、成功する」。なぜか、その夜は、ゆっくり眠った。★150★
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