長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年4月23日水曜日
うしろに、こけた。ああ、あぶない。でも大丈夫だった。
今朝、朝食のとき、神父さんから言われた。「こけて、それでも大丈夫だったから、よかったな」「ウン、おかげで、ね」。あらためて、本当に感謝しました。その次第は、こう、です。昨日のドライブ。あち、こち、回ったから、足元が大層、疲れていた。途中で、山の木の杖を拾って使った。出津(し・つ)のドロさまの救助院まで来た時、足元が大変、疲れていた。そこには案内役のシスターが居ました。一行が来たので、特別に、親切に、説明してくれた。「さあ、終わって、帰ろう」。庭から上へ、高くなっている道路へ登る石段があった。「6、7段の、石段だったろうか」。そのとき、「ああ、おんじゃく・いし(雲母・花崗岩)ばいね」とい思いつつ、片手に、杖を支えて、2段目ぐらい上がりました。すると急に、ふあっとした気持ちになり、そのまま、うしろに倒れたのです、ああ、あぶない、危ない、すると誰かが、後ろから背中をささえた。そのまま、ドカッと、背中、アタマを、庭のコンクリに、ぶっつけた。フアッとしたかと思うと、誰かと、いっしょに倒れたのです。うしろの人、誰かか?分かりません。その人のおけげて、アタマを打たず、カラダうを打たず、無事だったのです。それを今朝、「よかったな」と言われたのでした。誰が支えて、無事にしてくれた?わかりません。見ていた人たちが言うのです。それはシスターでした、と。「え、えッ、そう、なんですか」とカンシャしました。そのシスターが、この人です。「やっぱり、助ける人がいた。ありがとう」
登録:
コメントの投稿 (Atom)
大丈夫でしたか?大事に至らずご無事で何よりです。ところでこの写真のシスター、テレビで拝見したことあります。「新九州遺産」という番組で長崎の教会群が特集されていて録画して何度もみたので覚えてます(*^_^*) この番組を観て先月その救助院のそばにある「ヴォスロール」っていうお店にも行きました。外海の旅またゆっくり行きたいです。
返信削除