長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年4月28日月曜日
めずらしい見学者。聖コルベの居室で、サインされる。
夕方、お2人の見学者の入館があった。男性を見て、一瞬、「アッ、どこかで、見たことがあるお顔だ」と、ひらめいた。「誰だろう?」。とまどっていると、女性が教えてくれた。「もと厚生労働大臣です」。お偉いお方がいらっしゃった。テレビで見た印象が残っていた。「第1次安倍内閣です」「きのうは原城跡へ行きました」。尋ねた。「どうして聖コルベ館へ」。お付きの人もなく、訪ねられたのか。女性が語った。「アウシュヴィッツへ行きました。印刷の機械を見たいのです」。アウシュヴィッツから、コルベ神父へつながったらしい。聖コルベの居室へご案内した。写真をお撮りした。ビデオもお見せする。男性は何も語らなかった。活字や、印刷の紙折り機、閉じ機などに、興味を示された。聖コルベ館にはサイン帳がある。一般のサイン帳で、これで、いいのかと疑いも起こったが、「サインして、いただけますか」。男性は素直にお名前を書かれた。お2人とも、名詞をくださった。同じ姓の女性だった。丁寧に挨拶をされて、待たせていたタクシーの方へ。庭にまで、見送った。後ろの席の男性は、窓のガラスをおろして、丁寧に礼をされた。こちらも頭をさげて、手をふってお別れした。サイン帳に、柳澤伯夫、とあった。小柄なお方で、身なりのきちんとした男性だった。国政でご苦労されたのであろう。さわやかな雰囲気を残された。
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