長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年4月10日木曜日
テキサス在住の女性が色紙を20枚頼んだ。ありがとう。
★2日前の火曜日。アメリカ・テキサス在住の洽子(こう・こ)さんと、メキシコ人エスぺランザさん、もう1人の女性が聖コルベ館へ来た。洽子さんが、聖母マリアの小さなご像と、小型の額のおみやげを追加される。★日曜日には、外海へ行ったという。エスぺランザさんは、初めて海を見た。カンコロを食べた。素敵な思い出になったと喜ぶ。「覚えた日本語は『ありがとう』『カンコロ』です」。★洽子さんの話が印象的だった。自分は宗教を子どもたちに伝えるのに苦労した。子どもは教会から遠ざかっていく。悲しいことです。しかし外海へ行って、キリシタンたちは7代にわたって教えを伝えてきた。しかも7代目には、外海から沢山の聖職者が出ている。肌でそれを感じたとき、外海には素晴らしい信仰があるのを知った。教会と信仰をぜひ世界の遺産にしてほしい。そう願っています。アメリカへ帰ったら、宣伝したいです。熱意ある言葉は、修道士の心にひびいた。洽子さんは、「諫早大水害で、祖母を含め3人を亡くした。高校生のとき、みさかえの園へ奉仕へ度々通った。諫早教会の幼稚園の神父さんにかわいがってもらった」と話す。身近い、それらの体験が、親しみを感じさせた。★もう1人のお客さんは、夫妻同士でお付き合いをしている女性で、毎年、テキサスのお宅へ行き交流を重ねている。★この日、エスぺランザさんは、ルルドの掃除の奉仕を励んだ。他の2人はビデオ「小崎修道士・生かされて」(1998年作・46分)を見た。色紙を20枚描いてと頼まれる。あと10日ほど長崎に居られる予定。巡礼をつづける、と語った。皆さんの表情は明るかった。★今朝の祈り。「主よ、すべてのキリスト者をひとつに結んでください。力を合わせて悪と戦い、あなたの国の証となることが出来ますように」★105★
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