2015年3月31日火曜日

苦しみには、3つの意味がある。祈りながら喜びを

昨夜、年の黙想、2日目。五島出身の神父さんのお話があった。問いかけ。「信仰して、幸せですか?ツライですか?」。よく宗教に入りなさい。病気が治りますよ。苦しみから逃れますよ。いい所ばかり言う宗教がある。これは本物ではない。「己を捨て、己の十字架を背負って、我に従いなさい」。厳しさがある。しかし喜びもある。苦しみは誰にもあります。その苦しみの意味をわかる人は幸い。苦しみには、3つの意味がある。①は、つぐない。罪を犯した、弱さがいっぱいあった。神さまの前に、つぐないをする。本当の清めです。本当の宗教には、それがある。また②苦しみは、この痛みを他の人のために捧げることができる。教皇ヨハネ・パウロ2世が、教皇になったとき、老人ホームをたずねました。老人たちを慰めて、「不自由でしょう。苦しみがあるでしょう。その苦しみを教皇の任務のため、ささげてください」と頼み願った。この苦しみを、誰かのために、ささげよう。耐えていこう。それが出来るんです。③キリストの十字架を見つめなさい。キリストに、愛と信頼。喜びと、楽しみは違います。祈りながら、悩みながらも、苦しみを、愛の喜びに変えていく。難しいことではあるが、それが信仰でしょう。キリストご自身が苦しんだ。模範を示された。神父さんの話を聞きながら、あるキリスト教の作家が、身体的に大変な苦しみ、不自由、痛みに生涯おそわれながら、著名な作品を次々に発表した。その作家が、かなり、ひどい苦痛に落ちたとき、「神さまは、やっと、自分の方に、向いてくださった」という意味の言葉を言った。喜んでいたという、むかし聞いた話を思い出していた。これこそが信仰でしょう。苦しみの意味は祈り、悩み、苦痛など、からまった神秘性にある、そう思います。いま、くるしいですよ。不自由ですよ。苦痛が現実なので、明らかな意味を持つには、相当の信仰がいることを実感します。★千葉の典子さんからの「ばら」です。

2015年3月30日月曜日

「ウッ、ハ、ハ」。笑わない日もある。慰めの花に感謝

北海道の裕子さんから、真っ赤なバラが贈られてきました。タンスの上に飾って、眺めて、満足そうに、ニコッと笑いました。とても、いい感じでした。裕子さん、ありがとう。ニコッと笑ったが、声は出なかった。ホームにいると、1日のうちで、1回も声をあげて、「ウッ、ハ、ハ」と笑う時がない日もあります。そんなモンです。明子さんは、「笑いなさい。笑わないと、帰りません」と言います。実感です。★人間は、なぜ、笑うのか。赤ちゃんも、教えられないのに、笑う。笑いは好ましい。どうしたら、もっと笑えるでしょうか。笑いとは、何でしょうね。テレビで芸人が、動作や言葉で言っても、笑えるものじゃない。笑う神さまって、いるのだろうか。神さまは笑いはキライなのか。★ある修道士の部屋に入ると、十字架のキリスト像が裏側を向いている。「なんで、そんな置き方をするのか?」と聞くと、修道士さんは答えた。「十字架にかかった苦しみのキリストを、正面から見るのに、しのびない。子供は、父の背中を見る。キリストさまの背中を見て、自分の励みにしたい」と言うのだった。信仰とは、そういう小さな信念のなかにある、と思う。その修道士さんは既に故人になられた。★うちのバアチャンは、四旬節、悲しみの季節になると、「大きな声で笑うな」とか、「映画を見に行くな」とか、小さな犠牲を強いたことがあった。気持ちは、尊い気がする。北海道の裕子さん、ごめんね。いろんな連想をしたけれど、お花はそのまま、まだ飾っています。「ウッ、ハ、ハ」

2015年3月29日日曜日

サクラ、満開。ホームの入口。この辺りを日々散歩する

ホームの入口に、アシジの聖フランシスコのご像が両手をひろげて、「いらっしゃい」と迎えている。その左手に、1本のサクラ。いまが満開です。聖フランシスコも嬉しそう。山よ、川よ、流れる水よ、動物たちも、兄弟、姉妹と受け入れ、愛し、平和を望んだ。毎日、このあたりを散歩しております。きょうは、教会で、年の黙想会第1日目があり、長崎市から五島出身の神父さんが来られて、ミサ、お話がありました。「どんな、おはなし、って」。たましいの揺さぶりがありました。

2015年3月28日土曜日

故人となった修道士の形見を飾った。お花も嬉しい

誓願50周年を祝して、お花が送ってきました。タンスの上を片付けて、お花をのせて、飾りました。小さなマリア像、コルベ神父の白い像、ロザリオ、この3つ。これは先日、神に召された修道士、フランシスコ中村安五郎さんの形見です。大切に守っています。修道士の心を忘れないためです。★ホームに1人で生活していると、修道会の共同体から離れた気持ちになります。それを、つなぐのはお祈りだと思い、自室で、聖努日課はそばに置いています。毎朝、5時に目覚めます。隣の教会へ。今朝は、聖週間をひかえて、告白をしました。修道士も生身の人間です。人として同じような落ち度をおかします。弱さがあります。50年を振り返って、「よく、まあ、がんばって、つづいて、これたね」と自分で反省すれば、秘策があるんです。それが告白でした。教会の秘蹟はありがたいですね。落ち度は、ある。悔やんで、「助けをください。力をください」と祈って、正直に、告白をする。どんなに弱くても、告白はやめなかった。それで立ち直れたと思います。修道士を努められたのも、その繰り返しがあったからだと思います。ありがたいお恵みがあるんですね。自らを省みることが、いかに大切か、そう思います。

2015年3月27日金曜日

修道士誓願50周年・金祝の朝です。神に感謝です

めぐみの朝がきました。いつものように、5時に目覚めて、ホームに来て、5ヶ月になりますが、ここでは初めて修道服を着ました。「きょうは、自分のお祝いの日だ」と言い聞かせる。普段は、入居者と同じく、一般の服を着ています。人影の居ない廊下を歩き、隣の湯江教会へ。5時40分から、聖務日課の朝の祈りがはじまる。6時から、ミサです。ミサの祈りの前に、紹介され、小さな花束をもらいました。1965年3月27日、長崎・聖母の騎士で、修道士の誓願を立てて、修道士で行きますと宣言して、フランシスコの兄弟になりますと誓って、50年が過ぎたのです。金祝といいますかね。ミサで、感謝の祈りをささげました。ミサが終わって、皆さんに、ひとこと挨拶しました。「神父さまと、皆さんに、一緒にお祈りをささげてくださって感謝します。この日を迎えられましたのも神さまのお恵みです。ホームにお世話になっていますから、これからも支えて、励ましてください。ありがとうございました」。ブログを日々、見てくださる皆さんにも、同じ言葉を送ります。生かされているのが、いちばん有りがたいですね。幾つか花束もとどいて、いい日になりました。

2015年3月26日木曜日

誓願50周年が近づいた。先取りのお祝いがあった

修道誓願50周年を数日後にひかえて、お告げの聖マリアの祭日の夜に、長崎・聖母の騎士で会食がおこなわれた。ホームからも参加した。3人が、50周年をお祝いする。この夜、いっしょに聖務日課を唱え、食事を共にするのは大きな喜びであった。少年の頃に憧れを持ち、青年、壮年と精力的な時代を得て、老いて老年になって、肌もシワが多くなる。ニンゲンの一生を考えても、50年には、いろんな経験があった。乗り越えられて、ここまで来れたのは、自分ひとりの力ではない。多くの人たちの祈りの助けと、支えが合った。誰もが、そう思う。ホームに居て、いっしょに今は過ごせないが、こころは同じで、慰めはある。それぞれが自分のために生きるのではなく、他者のため、神の光栄のために働くのは何と楽しきことか。信念は変わらない。

2015年3月25日水曜日

まだ、桜は2部咲きです。それでも出かけました

ホームには「野外活動」というのがあって、午後から、10人乗りのバスが出た。千々石(ちぢわ)ミゲルのふるさと、千々石の橘公園へ向かった。桜の名所で、有名です。島原半島の、すぐに入った海岸にある。桜は2部咲き。あしたから、桜まつりが始まるという。橋を渡って、出店の前をぬけて、右手に登ると、さくら林がつづき、山の上に、小さなお城がある。ミゲルはここで育ったのであろう。天正少年使節、4人の一員として、遠くローマ、スペインへ巡礼の旅をした。地元では、明治の海軍の橘中佐が有名だが、ミゲルのことも、じょじょに知られて、看板も立っていた。★きょうは、お告げの聖マリアの祭日をお祝いした。朝の聖務と、ミサでお祈りした。信仰とは、何だろう。心の整理がつかない。小さな願いがかなったから、お恵みに感謝する。人のために尽くせば、喜びもある。日々の積み重ねに、神さまの愛が働いているのを見落としてはいないか。ローマから帰ったミゲルの生涯を思うと、自然と、大きな呼吸が1つでた。

2015年3月24日火曜日

今は、いちばん気にかかること。歩け。歩け。貯筋

絵手紙の時間。何を描こうか?廊下ぞいの職員室のカウンターに、だるまさんの貯金箱があった。「これ、これ、これが、おもしろい」。許しをもらって、描いたのが、この絵です。★明子さんから教えられた「貯金」よりも、「貯筋」だよ。言葉も添えた。ほんとうに、そう思います。自分の足が頼りです。歩け。歩け。めざすは筋肉を貯めるのが、必要ですが、やっぱり、ね。1日に、2.500歩ぐらいしか歩いていない。歩くことが、いかに大切か、歳をかさねて、皆さんから言われるし、考えても、実際にわかります。「こ」というのは、幸一のつもりです。廊下の壁に、皆さんの絵手紙の作品を展示している。なかなか見事な絵もありますよ。お年よりは、やはり年季が入っているんですね。

2015年3月23日月曜日

[過去と決別」はダメ。イノチある限り、叫びなさい

ホームの広い芝生の淵(ふち)に育った桜の木。芽がふくらみ始めている。愛野で話をする前の日、21日のことです。散歩をしながら、実は、話のことを考えて、気が重かった。「人まえで話をしたのは、去年の夏だった。あれから、いろんな事があったから。不安にもなるよ、ね」。★散歩を終えて、自室へもどると、1枚の手紙が届いていた。東京の女性からだった。「トマ様。22日にお話をなさるそうですね。請われて固辞するところがトマさんらしいけれど、機会があり、健康が許すならば、命ある限り叫んでいただきたいと存じます。以前、ブログで「ホームに入って、過去とは決別」と記しておられましたが、やはりトマさんは修道士の道を歩んだ方ですから。「十七歳の夏」は聖母文庫で読めるけれど、本人の話がいちばん迫力があり、なのだから、コルベ神父をはじめ、天界からパワーがトマさんに送られていることでしょう。間もなく桜の開花ニュースが聞かれることでしょう。桜は鎮魂の花でもあります」。★わかりました。がんばります。応援してくれる人が居るんですね。1枚の手紙に背中を押されて、「行って、きます」。昨夜は、ゆっくりと安眠しました。

2015年3月22日日曜日

愛野教会での話は、立ち姿で、無事に終わる

愛野カトリック教会でのお話は、皆さんに喜んでいただけました。小さな集いでしたが、皆さんが熱心に聞いてくださった。日曜日のごミサの後で、話があった。約1時間、立ったまま、熱弁をふるいました。主任司祭は、写真で、右側、後ろの3人目です。「ブリ神父さま」と言います。正面の司祭は、聖コルベ志願院の谷村達郎神父さまです。8時30分にホームを出て、9時のミサに間に合った。高原修道士の運転でした。ホームに戻ったのは、午後1時頃でした。安心して、休息をとりました。★修道士は、司祭・神父さま方と違って、お説教や司牧のご縁はありません。でも、人の人生には、誰だって、1つや、2つ、真実を語れるドラマがある。自分には、それが原点になっている。修道士としての自分の体験を語りながら、信仰や、霊性などを考えておりました。★親から受けた信仰、ポーランド人の司祭や修道士たちに出会って、深められた信仰。ブリ神父さまは、ポーランド人です。信仰に「つながり」があるのを感じます。「つながり」は、神のお恵みであり、「出会い」と言えるかも知れない。振り返れば、祈りのなかに、すべては「み摂理」と言えるでしょう。その実感があれば、苦しいときにも信仰を発揮できるでしょう。「主よ、あなたは、ここに居られますか」。主と共に苦しみたいです。苦しみを、神の喜びに、変えていきたいです。生かされている喜びを感じた1日でした。

2015年3月21日土曜日

お口が渇いて、舌に異物感がある。ガンじゃないのか

きのう、ひさしぶりに、自室から、登る朝の太陽をみた。この日は、いそがしかった。長崎大学病院・口腔外科へ診察に行った。舌に突起物が出きているのが気になり始めたのが、2月の半ばだった。舌が気になった。ガンになったら、どうしよう。暗いことばかり考える。月末になっても、治らない。いよいよ深刻に考えた。いろんな病気はしたけど、最後まで病気で苦しむのだろうか。おいしい食事を食べても、口の中が気になる。園の医師に診てもらったが、「ガンじゃない」といわれる。専門医に診てもらいたい、が願い。以前、同じような症状で、大学病院の診察を受けている。「こんども、大学へ行きたいな」。とは言え、ホームから片道、車で1時間はかかる。「こんな時には、ホームに迷惑をかけるなア」。それでも出かけた。長崎の、かかりつけのクリニックの先生が、紹介状を書いてくださった。大学病院は混雑していた。★もっとラクに、楽しく歳をとれないものか。考える。ホームに居て、苦しみ、不便、不自由、痛みなどが、波のように押し寄せてくる気持ちで、心が晴れ晴れとしない。こうなったら最後まで病気で行くか、そんな気にもなる。安らかに老いないものか。願いは、それしかない。気持ち次第かも、知れない。舌の状態は、3月中旬になっても改良しない。希望して、口腔外科へ行きことに決めた。★受付は混雑していたが、6階の口腔外科の窓口へ行くと、すぐに名前を呼ばれた。高原修道士さんも運転、介護で同行した。医師が、パソコンから以前のデーターを出していた。舌の写真もある。1996年12月27日(19年まえ)。2回目、2008年12月11日(7年まえ)。カルテが残っているのに、おどろいた。「こちらの椅子に腰掛けてください」。高さのある、頑丈な椅子だった。「どこですか?」「ここです」。指でさす。「高齢者になると、口が渇いてくる。いまも乾いていますよ。歯はご自分の歯だが、すれて口内炎ができる。どの歯か?歯科へ行っても、こことは言えない。舌のガンでは、ありません」。それで診察は終わった。あっと言う間の結論でした。専門医に診てもらったので安心した。ホームへ帰って、疲れました。ホームの看護師さんが「よかったね」と慰めてくれた。舌の都合で、よく、舌が回らず、言葉がはっきり出ませんよ。★ああ、あした日曜日。愛野教会でのお話があります。舌を気にせず、がんばりましょう。

2015年3月20日金曜日

聖ヨセフの祭日が来たからには、カシアノ修道士を

聖ヨセフと言えば、カシアノ修道士。カシアノさんと言えば、聖ヨセフ。聖ヨセフの祭日が来たからには、カシアノさんのことを書かせてください。カシアノ修道士は、5年間、コルベ神父と生活を共にしている。コルベ神父といっしょに生活し、霊的にも高められた。慰め、励まされる。入会の日から、生涯、炊事係だった。戦争中、聖母の騎士へ半年ほど手伝いにきたが、昼食を出してくれたのが、カシアノさんの「わかめのミソ汁」で、そのとき覚えてもらった。★カシアノさんの印象は、聖堂で熱心に祈る姿。ひげが濃い。顔の表情も聖ヨセフを思わせた。亡くなった日も普通にポーランド修道者たちの夕食を作り、勤めを果たし終えて、司祭に告白して、自分のベッドに横になり、聖体を受けて、その夜、聖ヨセフに迎えられて、安らかに天国へ旅立った。享年85。亡くなって、28年になる。★カシアノ修道士は書き残している。「よく「正直者は損をする」と言われる。その反対に「正直者の頭べに神宿る」とも言う。一般の人が使うのは、前者です。聖ヨセフは聖書にもあるように、義人であり、正直者でした。腹黒いヘロデ王に比べて、貧しい大工でした。やはり損したかも知れない。しかし、それは見た目のことで、生活の中で、大きな宝「神」を所有していたのが聖ヨセフでした」★カシアノさんは炊事場に居りながら、1冊の本を出した。1958年発行の「聖ヨセフの月」である。聖ヨセフに祈れば、必ず聞き入れられる。ぜひ、読んでみられては、いかがでしょうか。改装版、同じ内容で、「聖ヨセフに祈る」(聖母文庫)

2015年3月19日木曜日

聖ヨセフの祭日。聖ヨセフの聖絵といったら、この絵

コルベ神父さまが、ポーランドから持ってこられた聖ヨセフの聖絵です。いちばん好きな聖絵です。大きな額に入れられて、長崎・聖コルベ館に掲げられています。こどものイエスさまが、ほんとうに、かわいく描かれていますね。こころが、なごみます。忘れることの出来ない1枚です。★ホームでは、10時から、教会で、祭日のミサが祈られました。20数人が参加しました。車椅子の女性も、熱心に祈っていた。「聖ヨセフは大工さんでした」とお説教にありました。★「聖ヨセフに祈って、聞き入れられなかったことは、ない」。聖人たちの証言です。聖ヨセフへの信心で直結して、すぐに思い出すのは、ポーランド人の修道士、カシアノさんです。コルベ神父さまから日本へ呼ばれて、修道院で、生涯、炊事係を務めました。カシアノ修道士の聖ヨセフへの祈り、信頼、愛情、希望は、誰でも認めることであった。きわだって優れていた。やっぱり、信心は人の模範を通して、心に育っていくように思います。

2015年3月18日水曜日

ホーム企画・春ドライブ。温泉宿で、昼食会を楽しむ

いま時間は、夜の6時半を過ぎました。朝から、ドライブに出かけた。13人が参加。シスターも居ました。写真は、左が、運転の高原さん・修道士です。「昭和の部屋」に連れて行かれた。昼食は、嬉野温泉の宿、ホテル桜です。「温泉とうふ」の定食でした。小鍋で煮る「とうふ」ですが、やわらかい、ふんわりした、豆腐でした。2、3箇所に立ち寄って、有明海ぞいの道には、菜の花が、あちこちに咲いていました。バスの中では、「菜の花」の歌が流れていました。皆さん、よく歌詞を覚えているのです。自分を省みると、これと言った童謡、唱歌など、ぜんぜん覚えていないのが恥ずかしいです。午後3時には帰りましたが、ベッドに横になって、眠っていました。「ボキー」。え?何だ?めがねを押しつぶして、片方のレンズが、はずれてしまった。「しまったぞ」。便利屋の平田さんに携帯をかけて、直してもらった。安心しました。共同のロザリオ。明子さんとの会話。きのう、大浦天主堂のミサに祈った話を聞きました。夕の祈りは、あした、聖ヨセフの祭日の前晩です。あれや、これやで、ブログの書き込みが遅くなった次第です。

2015年3月17日火曜日

日本の信徒発見の聖母・祝日。感謝の祈りをささげる

以前に撮った大浦天主堂の写真があった。それを載せました。きょうは、3月17日、浦上の信徒が、宣教師に、「あなたの胸、わたしの胸、同じ」と打ち明けた日です。まだ迫害のさなかでした。あの日から、きょうで、150周年になります。きょうの大浦天主堂には、多くの人たちが参詣に来るでしょう。行きたいけれども、行けないのは残念です。★サンタ・マリアには、いろんな思い出がある。コルベ神父もひざまずいて、日々祈った。1970年代には多くの巡礼者を案内して、祈りの巡礼をおこなったこともあった。司祭が全く居ない、222年間、信徒たちだけで、口伝えに教えや祈りを、集落ごとに受け継いでいった。7代経ったら、ローマから、パパの船がくる。宣教師は独身である。サンタ・マリアのご像を持ってくる。公然と、祈りも、賛美歌も、言えるようになる。希望をもって耐えてきた。その終点が、サンタ・マリアのご像は、どこ?・・・奇跡のごとくに、大きな恵みに集約される。それからも、まだ4番崩れの迫害があった。信仰の厳しさは、どれほどであったろう。★マリアに祈り、奉献し、働くものは、最も早く、近道で、神なるイエスのもとへ近づくことができる、とコルベ神父は教え、実行していた。その通り、コルベ神父は最も幸せな人であった。

2015年3月16日月曜日

元気にさせてくれるヒマワリ、1枚のハガキ。忘れない


6年前、老年に入り、平穏な老後が暮らせるかと思っていたら、突然、結核といわれ、更にガンといわれ、気力を失い、精神的にドン底に落ち込んだ頃があった。そんなとき、1枚のハガキが届いた。ヒマワリの大きな花だ。花の上に字が書かれている。「季節はずれのヒマワリですが、この花を見ていると、きっと元気が出ますよ」。差し出し人は、京都のさゆりさん。消印は2009年9月、裏には、次のコメントが記されていた。「40年近く、騎士誌の読者です。楽しく読ませてもらっています。どうしても一言いいたくて、ペンを取りました。お祈りしております。元気を出してください。感謝のうちに」。励ましてくれて嬉しかった。このハガキは、今でも大切に身近かに残している。★あれから6年が経過した。時代も変われば、環境も変わる。ヒマワリの後、2年後に、健康だったご主人が病気になられたことを知った。ルルドのお水を送ると共に、例の「ヒマワリの花」をコピーして、「持っていなさい」と、今度は、ヒマワリが、さゆりさんの力になるよう願った。文通はつづいたが、一時期、回復はしたものの、亡くなられたことを告げられた。★昨日、さゆりさんから1枚のハガキが届いた。「お体のお加減はいかがですか。お大事になさってください。昨年末、主人を偲ぶ写真展をしました。ギャラリーの中で、懐かしい方々と再会ができて嬉しかったです」とかかれていた。裏には、ご主人のカメラの写真があった。ご主人はカメラマンであった。

2015年3月15日日曜日

ホームで3月生まれの誕生会。いつまでも長生きしてね

ホームで、3月うまれ、11人の誕生会が昼食にあった。その1人に入れられて、お祝いをうけて、喜ぶ。左側は、山内・園長神父さん。下の写真は、余興に、こんなカッコウの男性・職員さんたちが、盛り上がる会場を、踊りまわって、皆さんを湧かせた。みんなは家族だよ、な。楽しい日だった。

2015年3月14日土曜日

今朝の西日本新聞に、ドカンと、記事が出た。おどろき

西日本新聞の記者から電話があって、取材に来ても、いいか、と申し出があったのが、2ヶ月ほど前の1月20日、火曜日だった。「いまさら何だね。主題は何ですか?」。記者は言う。「今年は原爆70周年、それに信徒発見150年にも当たる。どのように、つなぐか、お聞きしたい」。もう、一線を引いた気持ちだし、ホームに居るから、「出たくありませんね」「お話しすることも普通です」「適当な人をみつけてください」。それで断り、電話を切った。★2月に入って、15日に、ポーランド人の神父さんがホームに訪ねてきて、「教会で、どうしても話をしてほしい」と頼んだ。これも最初は、真剣に「イヤです」「かんべんしてください」「話せる身分じゃ、ない」と一徹して、断った。でも、「どうしても・・・」と、神父さんが1歩も引かない。とうとう根負けして、教会へ行く約束をしてしまった。★その辺りから、心に異変がおこったのです。そこで、2月21日、新聞記者に携帯で電話をしてみた。最初は、出ない。数時間が経って、記者から電話がきた。「どうですか?適当な人が見つかりましたか」。もし、よろしければ、来てみませんか。「ハイ、ぜひとも行きます」という。3月6日、金曜日だった。午後1時、記者が自室に入ってきた。話すことは決まっているのです。ただ、70年と、150年を、どう合わせるか。これが難しい。あたまに浮かんだ答えは、コルベ神父が長崎に初めて上陸して、まっさきに信徒発見のサンタ・マリア像に導かれたこと、これはコルベ神父のマリア信心に由来する。原爆も、アウシュヴィッツも、サンタ・マリア(平和を祈る)につながっている、そんな気持ちがするのです。★今朝の西日本新聞をみて、1ページ半分上の大きさで、掲載されているのを見て、びっくり、おどろきました。

2015年3月13日金曜日

初回・絵手紙の講座あり。作品は、これに決めた

ホームで、絵手紙の時間が始まることになった。職員さんたちも、いっしょ。会場になった食堂は、にぎやかに盛り上がった。「何か、絵に描けるものを持ってきてください」。自分は、誕生日に贈ってもらったコップを描こうと決めていた。みなさん、自分の描いた作品に、納得している。「いろんな声も、あち、こちで、あった」。誰が、じょうずか、ヘタか、それは、いいんです。楽しみながら描けば、いいでしょう。水性の筆ペンは色がにじむ。油性の筆ペン。絵の具も、水彩画のとは違います。コップの中を、少し、黒めに塗りたかったのだが、うまく、いかなかった。何人もの職員さんが、コップを「ちょっと、さわらして・・・ほんと、軽いのね」。思い出に残る1枚ができた。浜松の酒井ひろみさんに送りますからね。

2015年3月12日木曜日

おめでとう。田川幸一、長崎大学に合格する。夢あり

田川幸一、同姓同名の、大阪の若者がホームに訪ねてきたのは、2月27日だった。そのことは日記に書きました。知り合ったのは、2006年の春休みです。お母さんが、ネットで検索して、登明の田川を知ったのです。電話があり、訪ねてきた。翌年、2007年8月、夏休みに、幸一は1人で長崎へ来た。そのとき写したのが、この写真です。場所は聖コルベ館。10歳でした。「君の得意は何だい?夢は?」「本の朗読が好きです。大工さん」。そのように答えていた。年月は早ーやく、経つものですね。その少年が成長して、17歳になった幸一が、先日、とつぜん長崎の大学を受験に来ました、とホームまで足をのばして面会に来てくれた。びっくりすると共に、嬉しかった。★お母さんから手紙が届いた。「先日は息子、幸一が受験で長崎に行き、お会いすることができて、良かったです。無事に、長崎大学教育学部、中学教育の国語専攻に受かりました。本が好きで、倫理や日本の文学などを、よく読んでいます。長崎には大きな期待を持っている感じで、教会のことも、長崎の若い信者さんとの交流も、楽しみにしているようです」。★幸一君、おめでとう。大工さんには、ならなかったが、本が好きというのは当たったね。ジンセイ、楽しい思い出をいっぱい作ろう、それが幸せだと思うよ。今年の春から、田川幸一がもう1人、近くに居るのは、なんだか、頼もしいし、うれしいし、ウキウキするね。★人は幸福になるために、この世に生まれた。生きている間、さまざまな困難や試練に会うだろう。しかし信じることによって、受け止め方が違ってくる。苦しみがあっても、幸せを体験するのが信仰であろう。受けた信仰を、自分なりに、つかみ取らなくてはならない。そこに、その人なりの課題がある。聖人たちも、沢山、苦しんだ.普通の人以上に、誤解され、痛み、悩みもあったことを知るべきだろう。

2015年3月11日水曜日

長崎へ出かける

朝から、高原さんの運転の車で、長崎へ。1時間、かかる。内科のクリニックで診察をうける。ホームに帰ったのは、夕方であった。疲れました。

2015年3月10日火曜日

生きるのは、み摂理。すべて、み摂理。それしかない

海のサカナは、陸に美しい草花が咲き、みどりの山々があるのを信じるか。陸の可憐な草花は、あの青空の奥に、夜空に輝く星座があるのを信じられるか。ニンゲンだって同じだろう。見えているもの、聞いているものだけが、存在するとは思えない。自然を超えた「超・自然」はある。一方で、自分は完全ではない、欠けている部分があるのを知る。人生って、何だろう。結論から言えば、「み摂理。すべては、み摂理」だったと言えないだろうか。ホームに入ったのも、「そう、だった」と言えないか。★きょうは、あわただしい1日であった。朝食後、介護つきで入浴する。あがると、部屋に陽が差し込んで、気持ちがいい。明子さんが、1人のお客をつれてきた。その後、3人づれの客が来る。1人は県外からで、知り合いの90歳の男性。「カトリックのホームに入りたい。小崎サンも入っている」と、先日、電話があったが、早くも、わざわざ見学・確認にきた。「小崎サンは、2度、わが家に来ている」。ふしぎなご縁の「つながり」もあるもんだ。満足して、喜んで帰ったから、そのうち、ご縁が深まるだろう。★人生には、いろんな困難が多くある。だが考えてみると、ふしぎに解決していった。ある日本人司祭は、こう教えた。「神さまが、すべてを準備してくださる。祈りの中で、神さまの「みせつり」を教えられた。自分は何もできない。神さまが自分の中で、働いておられる。辛いことがあっても、つぶやかないで、文句を言わないで、み摂理の中に生きる。み摂理を受け入れることが、自然に身についていった」。そして人生の結論として今、言えることは、「すべては、み摂理。全部、み摂理」と、その神父さんは言った。★いま、それを思い出して、み摂理、み摂理に生きたい、そう願っている。自分の人生を、み摂理に乗せて、生きたい。


2015年3月9日月曜日

出来ないよ。でも、お願いします。どうしても、やるの

元気な頃に、毎月1度は、島原半島の小浜(おばま)温泉へ通っていた。その通り道に、小さな赤い屋根の教会がある。ポーランド人の神父さんが教会と幼稚園に勤めていて、親しくしていた。★もう、2,3年まえの話になるが、ポーランドから神学生の映像班が取材に来て、そのついでに私に引き合わせたことがあった。原爆に興味があったのです。原爆の当日、母と別れて、工場で被爆。その日の行動、17歳の少年がどのように生きたか。①「助けなかった」。②「助けていたんだけれども、困難が来れば、逃げた」。③「仇なる人間を許さなかった」。この3つの体験が、自分の人生を今まで貫いてきた。誰にでも、ある。特に、許す、というのが難しい。そのようなことを語って聞かせた。それを解決した人が、ポーランド人宣教師のコルベ神父であった。彼はアウシュヴィッツで、「助けた」「逃げなかった」「ナチの兵隊までも、温かい目でみた」。そこに人間の希望がある。この話を赤い屋根の神父さんは通訳しながら、よっぽど、心に残ったらしい。★昨年の頃から、神父さんが、会う度に、「話を、お願いね」と、繰り返すようになった。自分は何のことやら、わからず、「ジョウダン、としか思っていない」から、笑い流していた。ところが、2月の半ば頃であった。わざわざホームの自室にきて、教会の黙想会のとき、「話をお願いします」よいう。「なんの、はなし?」「逃げたこと、許さないこと、ほんとうの話、一番心にひびきます。あれ、はなしをしてください」。あらたまってお願いに来られて困惑した。「お断りします。修道士がお話できません」。断った。首を横に何度もふりつづけた。ても、「いや、いや、実話が一番、心をうちます」と、ゆずらない。「いいのかなあ」。不安も、不信もあります。ここで断ると、かわりの司祭を見つけないと、いけないでしょう。とうとう折れて、いいのかなあ、と半信半疑、思いつつも、首を縦にふってしまった。★果たして、みなさんに、霊的に、信仰的に、お話しができるものか、大きな課題で悩んでおります。3月22日、日曜日が、その日です。ホームにいても、いろいろ、あるんですね。写真は、ホームの庭に咲いた椿です。この辺りを散歩する。

2015年3月8日日曜日

若者には、これから奉献生活の希望がある。よろこび

2人の若者にとって、1年間は、長い修練の期間だったと思う。春に始まって、修道者の生活や、生き方を学びながら、実際に実行していく。夏は開放的だが、秋になると、心境も、態度も、じょじょに、かわってくる。目にみえて、真剣さをおびてくる。人知れず、いろんな悩みもおこるだろう。修道者は、生涯、3つの願をつらぬく。厳しさもあるが、アシジの聖フランシスコの生き方に学ぶのも、心優しさがある。フランシスコの兄弟なのだ。冬は仕上げのときとなる。春になって、修練を終えて、春先に、決心をきめて、「生涯、この道で行きます」と申し出て、修道会の方からも認めが出て、誓願式のお祝いと成った。最初の第一歩を踏み出したわけだ。辛くても、愛と奉仕、奉献生活への希望があるから、喜びしかない。★彼らとの思い出も深い。この1年間に、自分の心情、身の上に、変化がおこったから、彼ら2人にも、お世話になったし、模範にならない印象を与えたところもあった。その意味で、この日は忘れられない門出となった。でも、若者にかこまれて、いっしょに写真をとる喜びは大いに感じた。★誓願式にでると、知人や友人やに出会う。それも楽しみだった。「ゲンキ、そうね」「だいじょうぶ、なの」など声をかけてくれる。祝賀会の出会いも楽しみだった。今年、3月27日がくると、誓願をたてて、ちょうど50周年になります。

2015年3月7日土曜日

長崎・聖母の騎士教会で、若者2人の誓願式を祝う

朝からホームを出かけました。長崎まで車で、1時間。聖母の騎士の教会で、若者2人が、1年間の修練をおわって、3年間の有期誓願をたてる式に参加して、祈り、お祝いしました。若者の門出には、希望があります。読者の皆さんも、2人の志が貫徹できるよう、お祈りください。

2015年3月6日金曜日

軽い、木製の、漆塗りのコップの物語。愛の感動もの

誕生日、3月1日の日記の最後のところに、浜松の酒井ひろみさんから、お祝いのカードが送られてきて、「木製の、軽い、漆塗りのカップも入っていた」と書きました。それだけで終わっていたのですが、きょう、ひろみさんから手紙が届いた。それには、こう書いてあったのです。「施設での生活で、以前は、お寿司屋さんで使われている大きなお湯のみを、使われていた人が、だんだんと手の力が弱くなり、歯磨きコップで茶を飲むようになりました。それをヒントに、今回のプレゼントをさせていただきました。歯磨きコップより、ましですよね」。心のこもった、そのコップが、これです。説明文で、胸が「キューん」となりました。もう1度、手に持って感触を感じると、本当に、軽い、りっぱなコップです。品格もあるしね。世の中には、隠された、わからないで、見過ごしてしまう出来事があるんですね。ただコップを見るだけ、触るだけでは、わからない、小さな1つのコップにも、こんな奥深い愛の物語があったんですね。ひろみさん、ありがとう。

2015年3月5日木曜日

ホームに入るなら元気なうちに入りなさい。生活あり

陽が出ているので、園の芝生に出た。垣根ごしに撮った写真です。梅の花が見事に咲き誇っている。農村の、のんびりとした風景です。作業する人もいる。健康的で、いいなあ、しばらく見とれた。園の玄関前の芝生は、広く、円形をしている。中心に、マリア像と、細い池がかこむ。陽を感じながら、3周した。しばし座って休憩。女性1人が町に買い物に出かけたのであろう。芝生の端を通り過ぎ、玄関に入って行った。そのとき思ったよ。ホームに入所するなら、足腰が弱ってからでは、ダメだ。遅い。元気なうちにホームに入った方がよい。自分で歩いて、買い物にも行ける。毎日、入浴もできる。介護をうけると、限定される。いかに足腰の強さが大切か、身をもって知った。★3月には、①信徒発見150周年の記念のお祝いがある。100周年のときは、聖母の騎士誌のため、クララ・てるさんを知っている女性が生存していて、話を聞いたりしたので、実感があった。思い出がわいてくる。②修道士の誓願を立てて、50週年の金祝をむかえる。8月には、③原爆70周年を迎える。母が爆死して、70年になる。それらのことを思うと、足腰をしっかりしておきたいと思いは、つのる。★ハガキを1枚、受け取った。「北陸の地にも、長崎の香りを届けていただき、ありがとうございます。10年ほど前に、御著書を読み、長崎の旅を1人でしました。お会いできて、コルベ神父の机と椅子に座らせていただき、感激しました。2年前には、天草に息子が連れて行ってくれ、やはり先生の御本のガイドでした。ブログでも励ましていただき、受けるばかりです。感謝の気持ちをお伝えしたいと、ペンをとりました。ありがとうございます」。1枚のハガキは、自分に、まだ、まだ、希望を与えた。

2015年3月4日水曜日

せっかく、だから、もう1枚、写真をのせました。長生きを

こんな姿に、なろうなんて、もう、2度とないでしょう。実は、クリスマスのとき、「サンタ・クローズになって、ほしい」と、声がかかったが、「いや、だよ」と断りました。イメージは、サンタさんが、袋をかついで、コメントを言いながら、入ってくる。ところが実際は、車イスにのって、座っているだけでした。「さーっと、通りすぎて行った」。なーんだ。それならオレにもできる。さて、今度は、お内裏さまに、声がかかった。ことわる気分にも、ならず、素直に承知して、ごらんの姿になりました。★ただ、どうしてオレは、コメントがヘタなんだろう。ひな祭りは、女の子が健康で育つように、その願いがこめられている。「お年寄りの皆さんも、いつまでも長生きして、幸せに暮らしてください」。これが本望でしょう。言ったコメントは、「気持ちは、ハッピイーです。こちらから皆さんをみると、美人ばっかり。一昔、前までは、もっと美人だった。職員の皆さんも、ごくろうさん。おせわになった。ベリーナイスです」。そんな意味の内容だった。もう少し、ましなことが言えないのかね。★終わった後で、ごくろうさん、よかったよ、いくつもの声をいただいた。職員さんや、お年寄りさんから、ねぎらいの、温かい言葉だった。

2015年3月3日火曜日

おひな祭りの日。ホームの生き雛で、1役、おつとめ

きょうは、おひな祭り。ホームでも、生き雛をかざって、よろこびあいました。「お内裏さまに、なってください」と頼まれて、左の写真のごとく、1役つとめました。右の写真は、お世話をしてくださった職員のみなさんの1部です。はずかしいけど、楽しいです。インタヴィユーされて、声もでませんよ。それでも何とか勤めました。会場になった食堂には、7、80の人がおりました。にぎやかな、ひとときでした。職員のみなさんも、いそがしいなかでも、よろこばせようと、はりきって、ととのえてくださるのです。お茶と、お雛さまのおマンジュウがでました。

2015年3月2日月曜日

バースデイ・ケーキで、誕生会。祝ってくれた。恵み多し

立派な、話を、聞く。感動はするが、心に、なぜか残らない。本当に、感動させるのは・・・1滴の、涙(ナミダ)。1滴の、汗(アセ)。1滴の、血(チシオ)だ。真実が、心を、揺さぶる。★昨日は誕生日だった。午前中、自室に、長崎の白浜忠美さんが、突然、入ってきた。「トマさん、ケーキを持ってきたよ」「え?長崎から」「ハイ」。ほかに用事があるから、と言って、白浜さんは出ていった。ありがたい。長崎から、車で、1時間は、かかる。それだけの時間をさいて、わざわざ持ってきてくれた。プレゼントしてくれた。1滴のアセは、心を、マジで、ゆさぶる。こういうことが、あるからジンセイって、楽しいんだね。白浜さん、ありがとう。★彼が帰った後、残されたのは、87歳の老人と、白い、四角い、箱に入ったケーキだけだよ。「1人で食べるわけにも、いかんしね」。隣の修道院の橋口修道士(写真・右側)に携帯で知らせた。彼が言う。「今夜は、夕食は、すき焼きで、ちょうど良かった。お祝いしよう。ケーキは持ってこんね。冷蔵庫に入れておくから」。偶然とは言え、6時から、修道院の夕食がはじまった。白浜さん持参のケーキに火をともして、ごらんの写真を撮りました。白浜さん、特注のケーキは喜んでいただきました。自分のほかに、4人がいた。★今年は信徒発見150周年です。私は思うんですけど、コルベ神父の一行は、長崎に着いて、出島に上陸して、真っ先に、大浦天主堂の、最も、いい場所、サンタ・マリアのご像に導かれた。これはフシギです。聖人の、することには、ムダがない。夕食の散会の祈りのあとで、だれかが言った。「トマの、大きな声、久しぶりに、聞いたぞ」。★自室で、ねるまえに考えた。「孤独じゃ,ない。あなたのソバに、主は、居られる」

2015年3月1日日曜日

3月1日。誕生日。うれしいです。生かされてきました

誕生日。今朝、職員さんから起こされたとき、まっさきにいわれたのが、「お誕生日、おめでとうございます」だった。朝食のとき、食卓に、1枚の大きな袋が置いてあった。自室に帰って開いてみると、色紙だった。「心」と、中心に書いてある。いくつかの言葉が添えられていた。うれしいですよ。ありがとう。感謝の心でいっぱいでした。いつも、お世話になっています。家族の心を感じました。3月1日、誕生日です。87歳になりました。長生きさせてもらって、神に感謝です。日曜日のミサで祈りました。生きて、よろこび。歳を重ねることは、うれしいことです。
★下側の「誕生日、祝、87歳」は、浜松の酒井ひろみさんから送られてきたカードです。「ブログ、続けてくださいね」と書いてあった。「なかなか、つづけられなくて、ごめんなさい」。木製の、軽い、漆ぬりのカップも入っていました。ありがとう。