長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年3月17日火曜日
日本の信徒発見の聖母・祝日。感謝の祈りをささげる
以前に撮った大浦天主堂の写真があった。それを載せました。きょうは、3月17日、浦上の信徒が、宣教師に、「あなたの胸、わたしの胸、同じ」と打ち明けた日です。まだ迫害のさなかでした。あの日から、きょうで、150周年になります。きょうの大浦天主堂には、多くの人たちが参詣に来るでしょう。行きたいけれども、行けないのは残念です。★サンタ・マリアには、いろんな思い出がある。コルベ神父もひざまずいて、日々祈った。1970年代には多くの巡礼者を案内して、祈りの巡礼をおこなったこともあった。司祭が全く居ない、222年間、信徒たちだけで、口伝えに教えや祈りを、集落ごとに受け継いでいった。7代経ったら、ローマから、パパの船がくる。宣教師は独身である。サンタ・マリアのご像を持ってくる。公然と、祈りも、賛美歌も、言えるようになる。希望をもって耐えてきた。その終点が、サンタ・マリアのご像は、どこ?・・・奇跡のごとくに、大きな恵みに集約される。それからも、まだ4番崩れの迫害があった。信仰の厳しさは、どれほどであったろう。★マリアに祈り、奉献し、働くものは、最も早く、近道で、神なるイエスのもとへ近づくことができる、とコルベ神父は教え、実行していた。その通り、コルベ神父は最も幸せな人であった。
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サンタ・マリアのご像はどこ?
返信削除初めて観光ツアーで母と訪れた大浦天主堂、
信徒発見のテープを聴きながら母の胎内に入ったような
安らぎの中暫くたたずんでおりました。
ご聖堂で無料配布されていた
「聖母の騎士」を頂いて帰りました。
プロテスタントから長年離れていた放蕩娘の私は
数年後、カトリックに転籍し両親も洗礼を授かりました。
神様の業は不思議です。
マリア様、コルベ神父様、キリシタンの方々の
信仰に倣って行きたいです。
今日は妹の還暦の誕生日でもあります。
毎日妹の洗礼を願っております。
小崎さん、大浦天主堂の写真、そして
日本の信徒発見の聖母の祝日を
掲載して頂き感謝致します。
コルベ神父さまのお教えは、現代が見失いかけている事そのものだと思います。
返信削除45年前に修学旅行で大浦天主堂に行きました。
天主堂の中の記憶が色彩豊かに色濃く残っております。
マリア・フランチェスカさま、
お妹さまの上にお恵みがありますよう
お祈りしております。
厳しい禁教令のもとで潜伏するキリシタンが、七代経てば必ず禁教令が解かれると、希望を次の代、次の代へと繋ぎ祈り続けたことは驚異です。三代先ではなく七代先という気の遠くなるような未来に望みを置いたことは性急な私にはとても考えられないことです。 「沖に見えるはパーパの船よ まるにやの字の帆が見える」 【さんた まるや】は絶対に私たちを見捨てられることはないという祖先の強い信頼は私たちへの遺産です。心が震えます。
返信削除茨城の空さま、お祈り有難うございます。
返信削除感謝の思いでいっぱいです☆
潜伏されていたキリシタンの信仰は
今の日本カトリック信者にとって必要な遺産です。
そしてフランスの信者さん、司祭が
日本の信徒の為に祈り続け
支えて下さっていたことも忘れてはなりませんね。