長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年3月21日土曜日
お口が渇いて、舌に異物感がある。ガンじゃないのか
きのう、ひさしぶりに、自室から、登る朝の太陽をみた。この日は、いそがしかった。長崎大学病院・口腔外科へ診察に行った。舌に突起物が出きているのが気になり始めたのが、2月の半ばだった。舌が気になった。ガンになったら、どうしよう。暗いことばかり考える。月末になっても、治らない。いよいよ深刻に考えた。いろんな病気はしたけど、最後まで病気で苦しむのだろうか。おいしい食事を食べても、口の中が気になる。園の医師に診てもらったが、「ガンじゃない」といわれる。専門医に診てもらいたい、が願い。以前、同じような症状で、大学病院の診察を受けている。「こんども、大学へ行きたいな」。とは言え、ホームから片道、車で1時間はかかる。「こんな時には、ホームに迷惑をかけるなア」。それでも出かけた。長崎の、かかりつけのクリニックの先生が、紹介状を書いてくださった。大学病院は混雑していた。★もっとラクに、楽しく歳をとれないものか。考える。ホームに居て、苦しみ、不便、不自由、痛みなどが、波のように押し寄せてくる気持ちで、心が晴れ晴れとしない。こうなったら最後まで病気で行くか、そんな気にもなる。安らかに老いないものか。願いは、それしかない。気持ち次第かも、知れない。舌の状態は、3月中旬になっても改良しない。希望して、口腔外科へ行きことに決めた。★受付は混雑していたが、6階の口腔外科の窓口へ行くと、すぐに名前を呼ばれた。高原修道士さんも運転、介護で同行した。医師が、パソコンから以前のデーターを出していた。舌の写真もある。1996年12月27日(19年まえ)。2回目、2008年12月11日(7年まえ)。カルテが残っているのに、おどろいた。「こちらの椅子に腰掛けてください」。高さのある、頑丈な椅子だった。「どこですか?」「ここです」。指でさす。「高齢者になると、口が渇いてくる。いまも乾いていますよ。歯はご自分の歯だが、すれて口内炎ができる。どの歯か?歯科へ行っても、こことは言えない。舌のガンでは、ありません」。それで診察は終わった。あっと言う間の結論でした。専門医に診てもらったので安心した。ホームへ帰って、疲れました。ホームの看護師さんが「よかったね」と慰めてくれた。舌の都合で、よく、舌が回らず、言葉がはっきり出ませんよ。★ああ、あした日曜日。愛野教会でのお話があります。舌を気にせず、がんばりましょう。
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さぞかしご心配でしたでしょう。お気持ち分かります。
返信削除口内炎で本当に良かったですね~
唾液の出るお口の体操があります。効果があります。
私も持病のお薬副作用で口内炎になります。
痛みの辛さがわかります。
明日の愛野教会ご講話札幌から応援しております(^-^)
よかったですね。ほっといたしました。
返信削除明日のご講和、私も応援いたしております。
気になる箇所は早く診察していただいて一刻も早く安心をするのが一番ですね。舌癌でなくて良かったです。「舌の都合で」というところでクスリとわらってしまいました。ごめんなさい。舌の都合、明日は今日よりきっと良くなっていますよ。愛野教会での講話がうまくいきますように。
返信削除Kokoさま、おっしゃられた通りにすると遡って読むことができました。Kokoさまの記事も再度読むことができました。ありがとうございました。
返信削除22日のコメントをしようとしましたが、何度操作してもコメントが送れません。以前もこんなことがありました。これは送れるのでしょうか。
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