フランスから、訪ねてくれる新聞記者がいる。まだ捨てたモンじゃないね。楽しい、希望の日になった。パリのフランス人女性、記者のクレール・ルズグルタンさん。背が高い、早口で問いかける人だった。フランス語は耳慣れしない。
★「La Croix=ラ・クロワ」新聞。パリのモンルージュに新聞社がある。1883年の創業とか。カトリック系の日刊紙で、広く愛読されている。フランス語の通訳は、外国語大学の名誉教授、戸口先生。やっぱり、ご苦労されていたよ。「生かされて」とか、「仕方がない」「人間の業(ごう)」「人の痛み」など、訳が難しいんだね。
★ご縁は、フランス・トゥールーズのジャムさんの紹介だった。やっぱり「つながり」がある。ホームに来たジャムさん。彼が熱意で出版した「フランス語・トマさんのことば」も記者は持参した。「5ユーロ(約600円)で、売店で買った」と言った。ジャムさんから前もって「フランス人の記者が来る」と連絡があったので、参考になればと、「18日間の原爆記」を送っていた。それもフランス語の冊子にして持って来た。だから体験の内容は、大体理解していた。録音機は使わず、懸命にノートに筆記した。
★先ず最初に私が聞いた。「新聞社は、どうして、この企画を立てたのか」。答えは「11月に、教皇さまが日本に来られる。(『焼野原に立つ少年』の写真にもサインをされた)。平和を願っておられる教皇さま。トマ修道士の体験も聞きたい。体験は冊子に重複するので、質問します」
★こんな質問があった。①あなたは原爆後に、身体にどのような症状が出ましたか。②あなたは、『人の痛みを理解することが、平和を打ち立てる唯一の方法』というが、ご自身、どういう実行で生きて来たのか。③核兵器を、どう思いますか。④原子力発電は賛成ですか。(私は問うた。フランスに、原子力発電は無いのか。すると答えは、沢山あります)⑤福島の原発事故をどう思いますか。(難しい質問だね)⑥教皇さまの来日で、何を望みますか。
★疲れる質問がつづいた。勘弁してくれよ。午前9時30分にホームに来て、11時30分までつづいた。トマから出た言葉に、チェルノブイリの見学、ベラルーシの訪問、ポーランド10回巡礼、アウシュヴィッツ10回訪問、ガヨビニチェクさんとの出会い、アシジの聖フランシスコの大修道院、コルベ神父さまの足跡まで話は伸びた。記者さんが訪ねてくれたは有り難い。自分としては有意義な質問だったと、感謝しています。
★原爆から、ホームまでの現実を、時代の変遷の中で、どう捕らえるか。問いは簡単だが、答えは複雑、莫大で、整理しての発言は簡単ではない。もう10年は生きないが、願うのは青く清らかな地球、「紛争や戦争、核兵器が全く無くなる。人類は皆、同じように、平等で、自由で、日ごとの糧に恵まれる。聞こえて来るのはアシジの聖フランシスコの叫びだ。『兄弟よ、姉妹よ、神の愛よ』。それだけ、ああ、それは、夢なのか」