長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年7月5日土曜日
愛は、なぜ、を問わない。先生の一句にショウゲキ。
★大学の先生(教授)が来て、有益な話を、1時間20分、聞きました。ドイツへ留学して、勉強された先生です。ポーランド・クラクフのフランシスコ会修道院へ祈りに行った。トマ修道士も知っている。聖堂に、聖コルベの立派な、大きな絵が掲げられていた。信者ではないので、後方で、静かに黙していると、1人のポーランドご婦人が近づいてきて、「ニホン人ですか」「ハイ」「いっしょに祈ってください」と頼んだそうです。先生は大変感激したと言いました。★そのとき先生は、こう言った。「愛は、なぜ、を問わない」。この一句を聞いたとき、胸に衝撃が走った。愛は、なぜ、を知らないのです。なぜ、愛するのか。理由は、ない。わけを知っているとか、そうではない。人に与えられた使命です。人なら、愛は当然なんだ。暗黙のうちに、そう受け取った。★この言葉は、教皇ヨハネ・パウロ2世の言葉です、と先生は言った。カトリック青年の年に、ケルンで言われた言葉だそうです。「愛は、なぜ、を問わない」。いい言葉では、ないですか。ゼノ修道士、なぜ、わたしが、こんなことを、しなければ、ならないか。問いません。コルベ神父も、そうです。なぜ、いのち、ささげたか。問いません。そこまで愛を追求する、これが真髄です。★これまでトマ修道士は、聖コルベは、なぜ、いのちを、ささげたか。問いつづけた。イノチを助かった男性に出会って、彼から直接聞いて、「ジンクーエン(ありがとう)」とお礼を言わなかったのに、コルベ神父は優しい目で、大丈夫だよ。安心しなさい。言葉なくして、愛を注いで、連行されて行った。そこで、トマ修道士は、これまで「コルベ神父の愛は、お礼を求めない愛」と、力説した。なぜ、を問う位置づけをしようとした。そうではない、「愛は、なぜ、を問わない」「求めない」・・・・神は、愛なり。神から出る、人も愛なり。★大学の先生、一句をくださって、ありがとう。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
『愛は、なぜ、を問わない」私も衝撃を受けました。
返信削除そうなのか、と思いました。
しばらく反すうしようと存じます。
ありがとうございます。 茨城の空
突然ですが、ずうっと気になっていたのでお伺いします。猫のライモンド君は帰って来ましたか。
返信削除