長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年3月18日月曜日
ハウステンボスから夜行のバスで、大阪へ戻った。2泊3日の旅
幸一君は、夜行・高速バスで、長崎を出発する。バスが出るのは、ハウステンボスです。それで、午後から、白浜さんの軽・運転で、現地へ行った。これも思い出つくりです。着いたのは、午後3時半過ぎで、バスの発車時刻は、午後8時15分です。時間があるので、ハウステンボスを散策する。あまりの広さに、また足も痛いので、どこを見たらいいのか、迷った。4人乗りの自転車を借りて、幸一君と白浜さんが車をこいで、園内を回る。夕方になって、きれいな電灯がつきはじめた。レストランで、野菜スープと、スパゲッティを食べる。すっかり夜になった。こうして、田川幸一君の、ナガサキ旅行は、終わった。実質は、2日間だったが、充実した日程だったと思う。「お母さんが、色紙を4枚買ってきなさい」。選んだ色紙は、コルベ神父の愛、カニの絵、それに「生かされて、今日も、祈る」。これは幸一が選んだ。「小崎さん、らしい」と言って。おみゃげも、長崎駅のおみやげ・センターで、沢山買った。幸一は、誰とでも、気安く会話が出来る。とは言うものの、本人は「人みしりする」と言っている。そうではないだろう。考えてみれば、ふしぎな縁だよ。幸一の名前は時々見るが、田川幸一、いっしょなんて、めずらしいよ。洗礼名は何だ?「十字架のヨハネです」。カルメル会じゃあないか。名前を付けたのが「神父さんなら、多分、カルメル会の神父さんだろう。「姓も、ちゃんと覚えていなさい」
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お二人にとっていい時間だったでしょう。
返信削除長崎には良い雰囲気があってよい時間がながれていると思います。
今日もここに・・・・
恵み豊かな3日間でしたね。
返信削除幸一2世君を応援しています。
聖母の騎士修道院神父様の
お言葉通りになるようお祈りしています。