長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年3月9日土曜日
苦労の多い、マル1日の体験でした。まだ生きております
「ステントを交換しなければ、生きていけない。そういうカラダになってしまった」「受け入れよう。現実を。他人を、うらやまない。他人のセイにしない。失望も、しない。与えられている『生』だから、前向きに、生きよう。それだけ、です」。ステント交換は大変でした。正式に、手術室に入る。十字架に付けられたように、両手を広げて、おお向けになる。「始めますよ。麻酔のゼリーを入れます」。4分後、「カメラを入れます。細い箇所を通ります。ガマンしてね」「ムー、ウーん」「ハイ、終わりました」「カメラを入れて、何分でした?」「7分です」。すると、麻酔から、11分の処置。早かった。「ステント入れて、何回ですか?」「7回ですね」「ありがとうございました」。車イスで病室へ帰る。1段らくした。注意すべきは、発熱。7度1分あった。幸い、すぐ、平熱になった。ステント交換で、ジンゾウが、ダメージを受けたのか。尿が、ドンドン、出る。ビックリだよ。7時間かけて、500mlの点滴。その後、もう1本、小さい点滴。長い、夜が来た。カラダは疲れているが、その夜は残念ながら眠れない。2人部屋は、いろいろ難問がある。ぼんやり、アタマで朝を迎えた。疲労は解決しなかった。「もう、退院して、いいですよ」。午前中に、聖コルベ館へ戻った。足元がフラフラする。「こりゃ、ヤバイばい」。午後、自室で、ゆっくり休む。ゲンキが快復して、夕方、聖コルベ館へ。長ーい、1日は終わった。手はむくみ、顔も、ハレッポイ。「トマさんは、十字架が多いね」。見舞い客の感想でした。
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