長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年3月11日月曜日
生かされているから、意味がある。小さな決断をする日々
ミサの始まる前に、司祭が言いました。「東日本大震災の日です。2年前の出来事です。多くの亡くなった方がた、今なお苦しんでいる人のために祈り、神さまのご計画の実現を願いましょう」。それを聞いて、「神さまのご計画」という言葉が、グ、グッーと、胸に迫ってきました。そうです、わたしにも確かに、神さまのご計画がある、と言えます。生きている限りは、ね。原爆で、廃墟になったとき、よくぞ行きた、と思いますよ。母が亡くなって悲しい。ボウーゼンとする。17歳の決断ですよ。どう、生きるか。生きて、行かなければ、ならぬ。そのとき信仰を見つけたのは、よかったと思います。今朝は、こんな事も考えた。人間のカラダの細胞は、何万、何億と有る。1個の細胞は、小さいかも知れないが、この1つがガンに罹ると、カラダ全体の健康がそこなわれる。小さな1つでも、見逃せない。意味がある。神さまは、沢山のニンゲンが居ても、自分は小さな細胞でも、分かってくださる、目をとめてくださる、ご計画で導いてくださる。そのように信じます、これも小さな生活の信仰でしょう。「さあ、きょうも、明るく、大きな声を出して、深呼吸をして、手足を動かすぞ」。そう誓いました。
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