見学者が来る。私を知っていると言う。うれしいじゃないですか。私が御地の教会を訪問したとき、「案内しました」「ええ、そうなの?」。主任司祭は、日本人で、バヨリンを弾く人。神父さんが弾けば、愛犬が「ウオー、ウオー」と泣いた。もう、神父さんは亡くなった。26聖人の映画を覚えている。私の手紙も大事にしている。ご縁はつづいている。「コルベ神父のビデオ(8分)を見せますから」。コルベ神父は誰からも愛され、慕われる。聖人だからね。この記念館も聖人になったから、資料室が出きた。小さな記念館だが、世話人が要る。それが私だ。座っているだけで、見学者との出逢いがある。お恵みですよ。「ルルドのお水を汲んで帰ります。ロザリオの祈りも唱えます。目的は、ここと、永井博士の記念館です」。いま、世の中が求めているのは何か。経済の発展はあった。物は溢れている。心が失われていないか。情が薄れていないか。若者から、心、精神の教育が必要だ。物資やお金だけでは、人は幸せになれない。心が動いてこそ、道も開ける。通り過ぎた台風の影響か、雨が降り出した。
先日、叙階式に出た時のこと。
返信削除新しく神父さまになられた方が、こう話されました。
「私は会社に勤め、休日は友人と遊び、幸せでした。
でも、ある日ふと、何か物足りないと気づいたのです。
それで、神学院の扉をたたきました。」
物質的な幸せには、限界があり、むなしさがあります。
だからこそ、コルベ神父さまが身をもって示された、
究極の愛が、多くの人の心を打つのだと思います。
私も今度コルベ館を訪れた時は、ずーっと座っていて、
お恵みを分けていただきたいです。