昭和30年代の男の子の施設。ペトロ石橋先生。指導員。修道士。戦争が終わったばかりで、世の中も、施設も、混乱状態だった。いま、教育界はイジメや受験、あるいは引きこもり、暴力などで、揺れにゆれている。あの頃の施設を知っているだけに、問題は沢山あったが、懐かしい。子ども達も、悪さをしても、憎めない。ペトロ石橋先生には、オーラがあった。じょうじゅに子ども達の心をつかんでいた。石橋先生は言った。「試験をして、いい子ばかり集めて、才能を磨いていく。それが真の教育だろうか」。子ども達は皆、両親がなく、全くの孤独だった。「ぺーさん、(ペトロ先生のこと)、みんなが、オレのこと、クルクル、パーって、言うとばい」「ほー、お前は、パーか、オレは、ペーぞ。パーと、ペーと、パーの方が上やっか」「ホントだね。へ、へ、へ」。教育の原点は、イノチの大切さ、だ。これは戦争を生き抜いて来た者なら、誰でも分かる。後は、悪に負けないシンのあるニンゲンになることだ。いい人間になって、将来、社会に貢献せよ。あまり勧める目標じゃないね。この子らの未来を予測するな。どうなるか分からない。長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年7月10日火曜日
なぜか、あの頃の子どもとの生活、学びが懐かしい。憎めない
昭和30年代の男の子の施設。ペトロ石橋先生。指導員。修道士。戦争が終わったばかりで、世の中も、施設も、混乱状態だった。いま、教育界はイジメや受験、あるいは引きこもり、暴力などで、揺れにゆれている。あの頃の施設を知っているだけに、問題は沢山あったが、懐かしい。子ども達も、悪さをしても、憎めない。ペトロ石橋先生には、オーラがあった。じょうじゅに子ども達の心をつかんでいた。石橋先生は言った。「試験をして、いい子ばかり集めて、才能を磨いていく。それが真の教育だろうか」。子ども達は皆、両親がなく、全くの孤独だった。「ぺーさん、(ペトロ先生のこと)、みんなが、オレのこと、クルクル、パーって、言うとばい」「ほー、お前は、パーか、オレは、ペーぞ。パーと、ペーと、パーの方が上やっか」「ホントだね。へ、へ、へ」。教育の原点は、イノチの大切さ、だ。これは戦争を生き抜いて来た者なら、誰でも分かる。後は、悪に負けないシンのあるニンゲンになることだ。いい人間になって、将来、社会に貢献せよ。あまり勧める目標じゃないね。この子らの未来を予測するな。どうなるか分からない。
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