今朝の食卓で、「トマさんのブログを見て、騎士誌の注文する人が居ます」と、声が上がった。(嬉しいことだ)と心中、思ったが、その声には応じず、黙っていた。先日も、このようなコメントが寄せられている。「20年ぶりに、騎士誌を手にしました。前は、教会が購入したときに、読んでいましたが、その後は遠ざかっていました。ほんの数ヶ月前に、小崎修道士の日記を見つけて、毎日、楽しみにするようになりました。そして、また騎士誌を手にしたいと思って、購読を申し込みました。お引き合わせに、感謝しています」。日記がきっかけで、騎士誌を読んでくださるのは有りがたい。嬉しい限りです。さて、食事が終わって、改めて、騎士誌の戦後史を思い出した。私が入会と同時に出た「戦後の再刊号」だから、よく覚えている。表紙を書いたのは、ペトロ石橋孟修道士さんだった。戦争が終わった翌年の、昭和21年、1946年の12月には、早々と雑誌が発行された。これは異例な出来事だった。長崎は原爆で廃墟になっている。印刷の紙は不足し、アメリカ軍の検閲が厳しかった。アメリカ軍も修道院発行の雑誌には目が届かないらしく、永井隆先生の「原子野録音」や、石橋修道士の原爆記「廃墟の鐘」を堂々として載せている。これはアメリカ軍にとっては、原爆を公けにしない方針から、掲載は許されない記事だった。永井先生は毎月、原稿を寄せてくださり、昭和25年の帰天されるまで続いた。マリアさまのお恵み一杯の騎士誌は、コルベ神父創刊から、通巻895号続いている。
「トマさんのブログを見て、騎士誌を注文」は、インターネットの意外な力を見せつけられた感じですね。拍手!です。
返信削除騎士誌の戦後史も初めて聞く話ばかりです。ありがとうございます。