長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年7月12日木曜日
アセと、ナミダの経験が、人のココロを捕らえるのです
学問の持ち合わせも、ない。お金の持ち合わせも、ない。人脈の持ち合わせも、ない私です。修道士だから、この顔で、いいんです。そりゃ修道士でも、山ほど、働く人もいる。私は、ごらんの通り、このカオで、まあ、何とか、生きている。足のムクミはあるが、肩はこらないように、呼吸している。人を感動させるのは、何と思いますか。アタマじゃない、おカネでも、ない。ミエでも、ない。私は、人情ばなし、と思います。オレは、これに弱いよ。いい話は、いい実話は、心に、いつまでも、残ります。ここは、何処だって?オバマ温泉の源泉の場所です。昔はこの辺りで、サムライが、温泉に入っていた。島原のお殿さまは、オバマへ温泉に入りに来て、ここで急死したそうな。かわいそうにね。この庭にも、いろんな人が行き交っていたんですね。しずかな公園でした。温泉宿から散歩で来た。左の建物は温泉資料館。ここに、掛け軸、3点。西郷隆盛、勝海舟、福沢諭吉が、掛かっていた。他に、小曾根乾堂、広瀬淡窓(教科書で名前を覚えていた)なども、あった。誰も番人がいない。田舎なんだね。無用心だよ。これらを見ると、字のうまさよりも、「人は何によって、光るか」。考える。話し方が、うまい。声も、いい。迫力も、ある。だが、いくら立派に、しゃべっても、アセと、ナミダがなければ、人は感心はするが、感動はしない。人のココロを揺さぶるのは、どれだけ苦労したか、イノチの瀬戸際を歩いたか、アセと、ナミダを経験したか、そこから、にじみ出る人のホントの情が、気持ちを捉えるのです。
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