長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年5月26日日曜日
空は晴れて、ルルド祭り。聖コルベの愛と平和を祈った
恒例のルルド祭りの日です。聖コルベがこの地に修道院を設置したのが、1931年、昭和6年の5月でした。その翌年、32年、昭和7年の5月に、ルルドを開いた。あれから今年で、81年になる。★このルルドに最初に来たのが、母親と一緒で、昭和18年、43年、15歳の春だった。あれから1人でも来るようになり、自発的に掃除などもしていた。やがて修道院内にも出入りし、ローマン修道士制作のご像を磨く仕事も手伝った。原爆の後で、正式に入る。結局、ルルドへの参拝が、この道に導いたと思う。ルルド祭りの度に、感謝の心が湧いてくる。★コルベ神父はポーランドへ帰る。戦争に巻き込まれる。クリスマスのお祝い日に、700人も居るニエポカラヌフ修道院の皆さんの中から、20人ほどを呼びかけて、一堂に会したとき、コルベ神父が打ち明けた。やがて戦雲が来ること。自分はマリアさまから天国を約束されたこと。そのお示しは、長崎に居たときに示されたこと、など。「長崎の、どこですか?」。場所は教えなかった。修道士たちの憶測で、「ルルドでは、ないでしょうか」。このルルドは聖コルベが最も好きな場所だった。★ルルドの聖母を仰ぐとき、「戦争前も、戦争中も、戦後も、同じように、手を合わせ、長崎の町の方へ向かって祈る聖母マリアを思い出します」。お恵みがある。ありがたいですね。★原爆医師、パウロ永井隆博士も、原爆で重傷を負ったが、癒される奇跡の恵みをいただいた。★今年のルルド祭りの司式・説教は、滝神父。大勢の信徒が参加し、祈った。
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三位一体の祝日の本日、聖母の騎士のルルドでも多くの祈りがささげられたことでしょう。
返信削除わが小教区も入院していた3人が退院し、それなりの元気な顔でこのミサにあずかりました。
病人は多いですね。
病人のために、その治療や看護にあたっている人々のためにもっと祈りをささげたいと思います。