長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年5月15日水曜日
26聖人の映画を見せて下さい。夫妻が涙を流した
閉館近くだった。2度、電話があった。「映画、見れますか」。3度目、小崎修道士が電話に出た。「26聖人の映画が見れると、聞いた。今日、見れますか」「ハイ、大丈夫。待っています」。夫妻は、駅からタクシーに乗った。3泊4日の長崎初めての旅。タクシーで間違って、途中、下車する。また乗り継いで、着いた時には、閉館時間だった。「どうしても26聖人が見たい。殉教地も行った。資料館も見た」「わかりました」。ホールを暗くして、プロジェクターで、昭和6年制作の「日本26聖人・我、世に勝てり」を上映した。久しぶりに小崎修道士も一緒に見た。1時間20分かかる。聖務の時間は過ぎ去り、夕食の時に食い込む。山田五十鈴も出る。片岡千恵蔵も出る。「ニ等兵物語」の伴惇三郎も出る。立派な活動写真だ。白黒の雨降り映画だが、後半になると、夫婦は、すすり泣きが聞こえた。我ながらも、感動を新たにする。「ただ、ただ映画を見たい」。このような熱意のある夫妻は初めてだった。「長崎を、いい思い出にしてください。お礼は、いりません。旅の安全を祈ります」。おみやげに、日本26聖人のDVDと、説明を差し上げた。別れを惜しみつつ、夕暮れの町を、タクシーで去って行った。祈りを飛ばし、食事に遅れたが、苦労の割には、さわやかさが残った。
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