連休が明けた日、東京から電話があった。「元日のエリザベットです。長崎へ行きます。お会いできますか?」。今年の元日、聖コルベ館に、「最初に誰が来るか?」と興味深々だったが、見学者は待っても、待っても、誰も来ない。閉館少し前に、やっと来た母と娘(17歳)が居た。そのお母さんからの電話だった。最近は「登明日記」に、よくコメントを寄せている。私の方から働きかけなかったが、いつかは縁があるものと思っていた。それが、この電話だった。「いらっしゃい、待っていますよ」。長崎空港へ着くと、レンタカーで聖コルベ館へやってきた。元日は、夜だったので、顔もよく覚えていないが、ああ、この人か。娘さんは中卒で、就職したと聞いたので、お母さんに「いま思う漢字の1字は、何ですか?」と問うと、「悟」です、と答えた。何となくピンときたよ。「ワケありの、家族かな?」。応接室で、再会を喜んだ。「なんで悟りと、答えたの?」「ウチは、ワケありの家庭です」と。17歳の娘の上に、もう1人、姉がいるが、教育面でいろいろと悩んだ。結局、悟ったのが、親に原因がある。「お母さんが楽しむ姿を見れば、子供も自分のやりたいことが分かってくる」。2人とも道が開けた。中卒に期待すると、就職多難なときに、編集者の仕事についた。「病気は、不便かも知れないが、不幸じゃない」の教会での神父さんの教え。娘たちが、カトリック幼稚園に通ったおかげで、母と2人の娘は、洗礼を受けている。「信仰で、救われました。昨年の復活祭には、夫も、自分から洗礼を受けました」。正月から、ずーっと、小崎さんの日記を読みつづけてきたという。コメントもその都度、書き込んだ。4月は、18回におよぶ。「小崎さんが入院されたとき、本当に心配しました。洗濯物が洗えない。自分が行こうかとも思いましたよ。介護してくださった千草さんに会いたいですね」。話していたところに、千草さんが、聖コルベ館へ来た。「ああ、会いたかった」
コルベ神父様の記念館には色々な事情をもった方々も訪問されるのですね。というよりは、生きていればこそ、いろんなことに遭遇しますでしょうね。大きな壁であったり、這いあがれそうもない谷間におちてしまったり、でも私は思います、そのような場所にこそイエス様の出会いがあるのだということを。私たちの苦しみは神様の苦しみ、私たちの悲しみは神様の悲しみ。いつもいつも、神様は私たちに寄り添おうと御手を伸ばしておられるのですね。 私も30年程前に友人と記念館に伺わせていただいたことがあります。その当時も親切に案内してくださいました。感謝です。
返信削除元日のエリザベットさん、初めまして。よろしくお願いいたします。
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