絵手紙で、描いた。「メロン?」「いや、スイカ」と言って「いや、いや、カボチャだった」。ホームの食事にも、汁物や、天ぷら、煮物によく出る。「生きる喜び」の字は、ここに何を書こうか、思いあぐねていると、下に広げていた新聞紙に、この活字が眼に止まった。「これだ、これや」
★一昨日、夕食を食べ始めると、下の歯がグラグラ。「これは、オオゴト、だ」。歯が取れて、食事と共に飲み込むかも知れない。食べるのを止めた。幸いに、昨日が歯科医院の予約の診察日になったいた。うまく調子が合っているのを喜んだ。予約の時間は午後4時だった。ホームの男子職員に、運転して送迎してもらう。歯科医院まで15分を要する。「グラグラの歯、取れないでしょうか」。レントゲンを撮り、グラグラの歯を麻酔をかけて抜いてくれた。歯が割れていた。根元の歯が未だ残っている。「そのままに、して、おいてください」。医院の滞在時間は1時間半かかった。夕食はホームで1人で食べた。カボチャの天ぷらもあった。
★ここまで書いたら、アナウンスがあった。「かき氷を食堂でやっています。おいでください」。もう夏も終わりでしょう。老人にはひと夏、ひと夏が有り難い。生きて、喜び。「かき氷でも食べに行くか」。童心になって、イチゴと、メロンを食べた。瀧神父さんも姿を見せた。喜んで食べる。若い職員が、老人の面倒を見てくれます。
★以前に、老・修道士がつぶやいた。「死ぬのは、怖い。自分が無くなるからだ。怖いというのは人間の本能だ」。コゲたものを食べると、ガンになる。そう信じて、パンがコゲると、こすって落とした。その彼が亡くなって、もう何年になるか。いま誰も彼のことは考えない。「痕跡を残したい」。誰もが、そう思うだろう。コルベ神父は「自分が死んだら、自分のこと考えないでください。マリアさまのことだけ考えてください」と、セルギウス修道士に繰り返し言った。その結果、コルベ神父ほど痕跡を残した人はいない。それが不思議なんだな、ニンゲンの世界って。そこに、ニンゲンに、不可解な、不思議さ、希望を持たせる、意味を持たせる、生きさせる力がある。あるよね、それが・・・。