湯江教会の鐘楼の下に、聖コルベの白いご像が立っている。誰かが、赤い冠と白い冠の花束を捧げた。
★聖コルベよ、助け給え。思わず祈りが出てくる。17歳でコルベ神父が創立の修道院に入った。終戦の直後でもあり、未だコルベ神父がナチの強制収容所で殉教した事は全く知られていなかった。私の成長に合わせて、コルベ神父の愛の殉教、敵に対する許し、その生き方、死に方が、じょじょに明らかにされると共に、福者になり、聖人にも挙げられた。その喜びは大きかった。
★コルベ神父から命を助けられた男性にも出会い、私も原爆の被爆者として「平和の語りべ」になりたいと努力した。推進力を戴いたと思う。歳をとっても、以前のようには動けなくなっても、最後まで「語りべ」でありたい、それが願いである。聖コルベを語る。安心する。こんなに幸せな境遇があろうか。
★喜んでいなさい。語りは「愛」だけでなく、「赦し」もある。赦しがなければ、平和は来ない。その語りが自分の特徴でもあった。聖コルベの二つの冠、花束には手が届かない。だが最後まで、この道に生きれば幸いである。聖コルベよ、助け給え。手を伸ばして引き上げ給え。あなたが創立した修道院に入った者ですから。
★「毎日、安らぎの心、ありや。いたわりの心、ありや。これ、ヘイワ、なり」