古本屋で、長崎市内の古い地図を見つけた。横、55cm。縦、40cm。昭和15年7月29日とある。1940年で、太平洋戦争が始まる前の地図だった。値段は、1万円だった。少々、高価だが、参考になるので、購入した。当時、長崎は陸軍の要塞地帯だったので、この後、地図や写真は厳しくなる。この地図の頃に、長崎へ来ているので、懐かしく、場所を、いろいろと見つけた。思い出す楽しみも、ある。現在、港は埋め立てられているが、長崎湾の原型はこの通りだった。浦上より北部が、町は伸びていない。右側に、囲みで、僅かに載っている。市内に白い部分があるが、これは墓地で、長崎の人は墓地を大事にしていた風習がわかる。現在のような大きな通りが、ない。原爆は、どの辺まで、燃やし尽くしたのか、終戦後の長崎地図は、大きく変貌する。★右側の「このサイトに参加する」「メンバー」が「99」になった。これだけの人が見守ってくれて、ありがたい。感謝の気持ちが湧いてくる。あと、1人で、「100」になる。
「長崎の一番いい場所にまず墓地を置き、その残りの土地で生きている人は生活する」と長崎の友人が教えてくれたことを思い出します。
返信削除長崎のお墓はとても大きく豪華です。びっくりします。
記念すべき100人目はどんな出会いがまっているのでしょうか。