2019年12月6日金曜日

戦後しばらくのサンタクローズは司教の姿だった。今は見れない

長崎の聖母の騎士。戦争が終わって、平和になった年のクリスマスは、アメリカ軍から贈られた食糧で、豪華な料理が出た。永井隆博士や、深堀医師も同席した。しかしサンタクローズは来なかった。受付のグレゴリオ修道士によると「原爆で、やられた。沢山、助ける人がいる。忙しくて、来れない」と言って、プレゼントだけ貰った。「来年は、沢山のお恵みと、沢山のバツも持ってくる」と付け加えて、沸かせた。
★次の年、昭和21年は、修道院に原爆孤児や戦争孤児が居たから、サンタクローズは来た。プレゼントは皆、アメリカ兵隊からの贈り物だった。
★ところで次の年、昭和22年のクリスマス・イブになると、サンタクローズは益々豪華になった。当時のサンタクローズは、カトリック司教の姿をしていた。これが定番だった。写真が、その一コマです。ゼノ修道士も写っている。天使も何人も従えた。サンタクローズといえば、司教の姿だった。
★昭和23年、24年になると、天使に、真っ黒い姿の悪魔も従って、この悪魔は、飛び跳ねたり、チョッカイを出したりして、大あばれした。下級の神学生たちから怖がられた。
★サンタクローズの原型は、4世紀に、貧しい家族を助けた「聖ニコラオ司教」に由来する。教会では、今日が「聖ニコラオ司教」の日として祈っている。だから戦後のサンタクローズは司教さまの姿をして、修道院や幼稚園で祝っていた。それが、いつの頃か、赤い服を着た今どきのサンタさんに変わってしまった。
★北欧の国々では、今日、子供たちにプレゼントを配る習慣があるそうです。
★もう、あの司教さま姿のサンタクローズは見られない。これも時代の商戦の流れか、寂しいね。

4 件のコメント:

  1. マリア・フランチェスカ2019年12月6日 16:53

    聖ニコラオ司教様に扮した本物のサンタクロースを初めて拝見致しました。
    苦しかった戦争も終わりクリスマスの豪華なお祝いは喜びも倍でしょう。
    会場の背景に檜葉のような素材の胴体の色々なお面のお人形さんが並んでいますが、こちらもクリスマスの風習なのでしょうか?
    貴重なクリスマスの写真です。
    有難うございました。

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    1. 司教さまのサンタクローズが見られなくて、クリスマスは教会から遠のいた。ザンネン。

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  2. 戦後すぐのクリスマスではサンタクローズは司教様の姿だったのですね。
    勉強になりました。そしてとても納得しました。
    私が子供のころのサンタクロースはすでに赤い上下の服に白いひげでした。

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    1. 昭和30年代、40年代、私も押し付けられて、カトリックの幼稚園や、施設などで、司教さま姿で、サンタクローズを行なったことがありました。

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