2019年12月5日木曜日

ホームの創立記念日。ゼノさんのチカラ。大きな紅白マンジュウ

戦後の「ゼノ修道士」さんの活動は、70年経った、今の私たちの生活を支えている。
★戦争が終わって直ぐ出来たのが、原爆・戦争孤児の「少年施設」だった。そこへゼノさんが、身寄りのない男性2人を連れて来る。これが「養老院」の始まりだった。
★「養老院」は小長井町椿原に移転し、存続をつづけて、よい場所を探して、現在の高来町の、丘になった広い土地に、建物と教会を建てた。
★その完成が、1960年・昭和35年で、その年の12月5日に、社会福祉法人聖ヨゼフ会が厚生大臣の認可を受けて、「聖フランシスコ養老院」として継続した。上の写真は、その頃、ゼノさんが「養老院」を訪ねた時に、トマが写した一コマです。ゼノさんのお陰だよ、ホームが有るのも。ホームの長い歴史は「ゼノのヒゲ」から始まった。
★きょう、ホームの創立59年を祝いました。(実は、この前に、ゼノさんが老人を連れてきた12年があるのです。合わせると71年になるから、スゴーィ)。お祝いのセレモニーはなかったが、昼食には、ごらんの通り、ちらし寿司と、大きな紅白のマンジュウが付いていました。
★「養老院」が出来た3年後に、老人福祉法が制定されて、名前も「養老院」が抜けて「聖フランシスコ園」となった。
★こんな話が残っている。創立の年になっている59年前頃は、テレビも珍しく、白黒テレビだった。当時の入居者は、生活保護を受けていた。生活保護者には、テレビは無かった。ホームに入って、初めて白黒テレビを見る。相撲の取り組みを見ていた時、ある老人がマジメに言った。「あの小さい中に押し込まれて、スモウをとるのも、きつかろうなァ」
★考えてみれば、ゼノさん、やっぱりエライな。今も私たちは知らずに恩恵を受けている。紅白のマンジュウを見詰めながら、瀧神父さんが言った。「トマ、むかしの事を知っているのは、オマエだぞ。記録に書いて、残しておけよ」「書いても、誰が読むかな?」「いや、今、読まなくても、必ず後で、読み、必要とする人が居るよ」。トマは、フフフと笑った。

2 件のコメント:

  1. 昭和35年12月5日
    その20日後に私が産まれました。
    ゼノさん、その頃ご活躍だったんですね。あらためて、気がつきました。
    ゼノさんのお墓にお参りに行ったことがあります。近くにバラが咲いていました。

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  2. マリア・フランチェスカ2019年12月6日 8:03

    聖フランシスコ園設立もゼノさんのお働きのお陰だったのですね
    瀧神父様の仰る通りです。
    小崎さんのペンの力で記録を残して下さいませ。
    大野神父様も入居され
    小崎さんも益々心強いことでしょう。
    聖フランシスコ園入居の皆様のご健康をお祈りしております。

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