2019年9月1日日曜日

ホームでは、よく「ふるさと」を歌う。私の「ふるさと」は?

ホームでは、よく「ふるさと」の歌を口ずさむ。「ふるさと」は、なつかしい。育った風景。幼い頃の行動は、無心だ。忘れない。わたしの「ふるさと」は、どこ?
★北朝鮮の、最北端。日本海側の町で、生まれて、13歳まで過ごした。山も、あり、川も、あり、スズラン畑もあった。ここが「ふるさと」と言えるのか。フクザツな気持ち、だよ。「今、報道で知る状態」と、「育った頃」の思い出を結びつけると、悲しいよ。でも、山も、川も、海も、忘れない。
★日本人が住む町の道路がリッパで、現地の人たちが住む町は、暗く、道路もデコ、ボコだった。現実に、そう、だった。なぜ、そんな差があるのか、矛盾があるのか、小学校の先生は、教えてくれなかった。真実は、どこかに隠されている。事実は、隠れた所で進行する。全貌を把握するのは、難しい。
★私たち子供の楽しみは、学校が終わって、町に、白い服を着た現地の老人を待つことだった。老人は、白いヒゲを生やして、愛想よく、大きな木箱を背負って、現れる「飴屋」だった。子供たちが鉄の破片を集めて、老人に渡すと、木箱を置いた。木箱は何段にも重なっていた。そこには白い飴(あめ)が、隅々まで広がっていた。子供たちの目は、輝いて見詰めた。ツバを呑みこんだ。鉄の破片の量に従って、カンナの刃のようなものを使って、木の槌(つち)で叩いて、アメを割ってくれた。これが、本当においしかった。
★なぜか、きょうは、そんな子供の頃、「ふるさと」を思い出した。いま、あの現地の人たちの暮らしは、どうなっているのか。食料は足りているのか。笑いは、あるのか。アメは、あるのか。ああ、やっぱり、あそこが、わたしの「ふるさと」なんだ、な。

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