2019年9月16日月曜日

今日が敬老の日。2つの事を考えた。生きる喜び。ボケない方法を

「トマ」と、瀧神父さんが呼びかけた。「(日記を読んだんだろう)神父さん、おめでとうと、メールが入ったよ」
★今日が、敬老の日。朝、朝食後、入浴する。その後で、展示された「誕生会の職員の出し物」の写真を撮った。敬老の日にそなえて、廊下に貼られれている。職員が、余興をした思い出の数々です。
★また瀧神父さんが「トマ」と声をかけた。「あの写真ね。誕生会のときは、沢山、撮れよ。あの写真を見て、家族の男性が、『ホームでは、こんな事もしているんだ』と喜んでいたよ」。ああ、やっぱり写真の効果があったんだ、と私も嬉しくなった。昨日のお祝い日には、家族たちが沢山見えて、一緒に食事を楽しんだ。
★敬老の日を迎えて、2つのことを考える。
★1つは、「生きていること自体が有り難い」ことです。「生かされている」。自分のチカラで、生きているのではない。生きていること、呼吸していること、生かされて、それ自体に価値があり、意味もある。自分のチカラで91まで生きたのではなく、沢山の横の「つながり」があって、縦にも、大いなる存在と信仰があって、自分のイノチは「つながって」きた。それでも何か、人のために奉仕は出来ないか、尽くすことは、ないか、考える。だが、もう動く手足の働きが、もぎ取られていくのを感じる。これが、老いだ。振り返って、反省して、落ち込んだりは、しない。
★もう1つは、ボケないように、しようの決心です。ボケないためには、いかに成すべきか。それが最近は気にかかる。老いると、確かに、アタマの回転が遅くなる。それが進むと、ボケになる。「ボケない方法」で検索すると、まあ、いろんな方法が出てくる。ボケは、誰でもイヤだね。望まないよ。でも、老いと共に、やってくる。
★何度も同じことを聞いたり、月や日にちに無頓着になったり、人の名前や、物事の名前が全然出て来なかったり、ああ、イヤだ。手足は、なえても、アタマだけは、しっかりしておきたい。老人の日を迎える毎の、思いです。

3 件のコメント:

  1. トマさんの日記を拝見するようになって、毎日、本当に元気をいただいています。
    ありがとうございます。
    毎日パソコンに向かい書き続けるだけでもどれだけ根気のいることかと。

    以前のブログで「トマさんのことば」と言う本があることを知りました。
    ぜひ読んでみたいのですが、今でも葉書でお願いすることが出来るのでしょうか?
    図々しいお尋ねお許しください。

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  2. 日記を見て下さって、ありがとう。「トマさんのことば」は、1冊、手元に残っています。ハガキで、郵便番号・859-0131・諫早市高来町神津倉41-1聖フランシスコ園、小崎登明あて、送り先を教えてください。

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    1. ありがとうございます。
      すぐに送らせて頂きます。
      嬉しいです。

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