2019年9月21日土曜日

小さな新聞記事が、38年前の教皇さまの訪問を思い出させた

教皇フランシスコの来日が決まって、38年前の、ヨハネ・パウロ二世の来日が思い出として語られる記事が目につくようになった。あのとき私は、長崎の聖母の騎士にいた。当時の事は、よく覚えている。ヨハネ・パウロ二世は、ポーランド人であり、長崎へ行けば必ずコルベ神父が創立した修道院と、当時は、まだコルベ神父と生活を共にしたポーランド人修道者たちが居たので、この場所を訪ねるはずだ、と私たちの間では語られていた。なぜなら、組まれていた予定時間25分が、1時間5分に伸びたのでも分かる。
★先日、朝日新聞に小さな記事を見つけた。「ヨハネ・パウロ二世の長崎訪問には、別の理由があった」と書かれている。そして「聖母の騎士修道院」と、「アウシュヴィッツ」と「餓死刑」、「収容所近郊のクラクフ出身で、長崎訪問にはコルベ神父の足跡をたどる意味もあった」と、かなり詳しい文章で書かれている。この小さな記事を読んだ時、私はひじょうに喜びを感じた。
★ポーランド人の修道者たちが、どれほど大きな期待のなかで、教皇さまを待っていたことか。私たちは、教皇さま・歓迎の言葉「オイチェ・シュウェンティ(教皇さま)」を練習した。東京では、ゼノ修道士の頭をなでたり、頬ずりしたりして愛情を示された。ゼノ修道士は「オイチェ」と、か細い声で言って、男泣きにないた。
★長崎・聖母の騎士での歓迎は、最高に達した。英語で「私はなぜ、この修道院に来たか」を長く説明され、自作の「無原罪の聖母に対する祈り」を長文、ポーランド語で称えられた。次いで「天にまします」をラテン語で全員で祈った。その後、念願のポーランド人修道者たちに、ポーランド語で会話された。写真には、サムエル神父、ロムアルド修道士、セルギウス修道士、グレゴリオ修道士、カシアノ修道士などの喜びの顔が見える。この時は、コルベ神父は福者だった。教皇訪問の翌年、聖人の位に挙げられた。涙を流しながら言ったセルギウス修道士の言葉を、今も覚えている。「ポーランド人にも、こんなに偉い人が居るんだな」

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