2019年9月5日木曜日

蝶か、蛾か。蛾も尊い命。貧しい人も人間の尊厳を守る愛


廊下を歩いていると、「ああ、ムシだ。いや、チョウか、蛾か?」。ガラス戸にへばいている。蝶は、きれいだが、蛾は、一歩ひくね。誰でも、そうだろうよ。蝶は、「花よ、蝶よ」と喜ばれ、もてはやされ、蛾は、きらわれる。
★今朝、教会で、今日は、マザー・テレサの記念日だと知った。マザー・テレサを知らない人は居ないだろう。マザーは聖母の騎士にも来られた。聖コルべ館の特別サイン帖には、マザー・テレサの筆跡も残っている。
★教会の本に「ある貧困者が、自分は動物のように生きて来たが、マザーの愛のよって天使になって死ぬ」という意味の言葉があった。マザー・テレサは、蝶だけでなく、蛾のように生きている人にこそ寄り添い、人間としての愛を最大に示したのだろう。
★「主よ、あなたの平和をもたらす道具としてお使い下さい」。小さな存在、ほとんど無に等しい、無関心の人びとへ、1人、1人の意識が変われば、必ず平和につながる。マザー・テレサは、聖フランシスコの祈りから、憎しみのあつところに愛を、愛されていない人に愛を与えたい。宗教を超えて、助けた。
★愛を与えるには、犠牲が要る。なぜ世界に貧しい人が居るのか。愛を伝えるために、組織的にもっと広く、と勧められたが、テレサは、1人の人間として、1人ひとりの個人に、個々の人、1人ひとりに触れ合いたい。その1人、1人に出会うことが大切だ、と実行されていた。マザー・テレサの偉大な愛。私なんか、語る資格が有るだろうか。あまりに小さな私を感じるが、1人、1人の尊厳を守ることが平和につながる。
★貧しい人とは誰か。それは私では、ないのか。マザー・テレサの言葉。「助けた人を数えない。1人、また1人に、触れ合う」。ホームに生活する私に、何が出来るか。何が可能か。蛾は、やっぱり、きらいだ。好きになれない。それがニンゲンの現実だ。主の声がする。「病める時、わたしを見舞ってくれた」

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