2019年9月12日木曜日

「マリア」み名の記念日。マリアの挨拶。聖コルベ、マリアで呼吸

今朝、ミサの前に、司祭が告げた。「きょうは、マリアさまの、み名の記念日です。私たちは、日ごろ、「イエズス、マリア、ヨゼフ」の、み名を唱えます。マリアの、み名を教えてくれたのは、コルベ神父さまでした。コルベ神父さまは、マリアを呼吸して生きておられた。私たちも、マリアの、み名を呼びましょう。元気が出ます」
★マリアの、み名の信心、記念日は、十六世紀、スペインで始まった。思い出します。昭和の初期の聖母の騎士修道院では、ポーランド人の修道者たちが、お互いが会う毎に、自然に、習慣的に「マリア」と挨拶していた。その「マリア」も、「マァ~リア」と抑揚をつけて言葉を発した。ポーランドのにエポカラヌフ修道院から始まった習慣だった。それが、そのまま「長崎」へ移った。
★コルベ神父は、本当に「マリア」「マリア」と、マリアを呼吸して生きておられた。マリアさまの、み旨を完全に果たすことが目標だった。マリアさまの、み旨は、どこで分かるか。それは長上に従うこと「従順」にある、と信じて実行した。信念に達したから、すばらしい愛の実行に至ったと思う。
★ポーランド人修道者たちが習慣にしていた「マリア」の挨拶は、いつしか、行なわれなくなった。寂しさを感じる。小長井のシスターの修道院では、私を見ると、「マリア」と挨拶するシスターが、まだ居る。マリアで呼吸するのは、忘れたくない。
★きょうは、長崎・聖母の騎士で、1人の司祭の叙階金祝が行なわれる。ミサがあり、お祝いがある。朝、8時半過ぎには出かけます。午後は、遅くなるでしょう。お祝いの様子は、あした、書けるでしょう。

1 件のコメント:

  1. こんにちは。お元気そうでうれしいです。コルベ神父が、挨拶に「マリア」と言っていた話は、もうず

    いぶん前、私が洗礼を受けた2003年ころ、勉強会の時に知りました。今日それを思い出しました。

    日々の暮らしの中で、困って、どうしようというとき、私は、心の中で、何度も何度も「アベマリア」

    と繰り返し、時を待ちます。10回20回、いつの間にか、困った状況もなんとかなったりして。不思

    議だと思います。神様は、私を悪いようにはしないよと、言ってくださっています。忙しい暮らしをし

    ていますが、歩いているときとか頭の隙間時間には、アベマリアと繰り返すようにしています。

    夏バテ、秋バテが出てきそうです。お体、お大切に。 クララ

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