色紙や、カードに描いている絵と、言葉です。「どこから、この言葉が、私の心の中に出たのだろう」。いつも、そう思っていました。
★きょう、もう何十年も前に書いた記事を読んでいると、次の話があった。ある山中で、養豚業を営んでいる夫妻に出会った。ご主人は、ハンセン病の病歴がある。奥さんは、健常者。お互いに「詩」を通じて知り合い、結婚したそうです。詩人らしく養豚の豚にも「アルチュール」とか「ランボ」など、フランスの詩人の名を付けているといった。夫妻に襲い掛かる冷たい視線と、貧しさと、病気の後遺症の苦しみにも耐えながら、ほほ笑みを絶やさず、奥さんは上品な面持ちで、明るく「神さまが取り計らってくださいますよ」と前向きに希望を持っておられた。近くに小学生の男の子が2人いた。
★ご主人は、手足の神経がマヒする症状があり、この間など、長靴の底に釘が入っているのを感じないで、夜になって長靴を脱いだとき、足は血で真っ赤に染まった。そこから菌が入り、足が腫れて大変だった、と語った。
★その後で、ご主人が言った。「亡くなられたカンドー神父さまが見舞いに来られたとき、別れの際に、自動車のソバで右手を高く上げておっしゃった。『愛のあるところに、苦しみなし。たとえ苦しみありとも、のち喜びとなるべし』。この言葉は苦しいとき、いつも力づけ、前進する姿勢を保ちつづけてくれます」。ああ、この夫妻の言葉が、心に残っていたのだ、と出処が分かった。
★今朝の教会です。5時20分に写した。湯江教会のステンド・グラスが輝いている。中では修道者たちが祈っていた。こんなに朝、早くから、女性が手押し車を頼りに、お祈りへと入っていた。五島の女性だった。今日は、日曜日です。あの山中の夫妻は、お元気でおられるだろうか。カンドー神父さまには出会ったことはないが、当時は著名な司祭だった。お名前は今も覚えている。意味深い言葉も、大切にしている。
心に響くお話です。
返信削除この言葉、私も書いてみます。
湯江教会のステンドグラス、とっても綺麗ですね!