夫妻の人生で、苦楽を共に歩む中で、ご主人が、あるいは奥さんが死に別れたとすると、その悲しみは悲痛などん底に落とされることだろう。
★今朝のミサの前に、「このミサは、パウロ木村さんの為にお祈りします」と司祭の言葉があった。ミサが終わって、西山神父さんの車椅子を押して、教会を出る明子さんに声かけた。「ご主人の、命日?」「そうです」「何歳だったの?」「65歳」「いつ、だったの?」「2014年です。5年になります」
★ミサ後、自室に帰ると、写真を探した。午前中、歯医者に行く予定になっている。日記のために早めに探した。2014年6月は、まだホームに入っていなかった。長崎・聖コルベ館から、湯江教会に来て、葬儀で祈ったことを思い出した。ホームに入って、明子さんの自宅で撮った写真がある。ご主人とは、椿原・学校で、6年間一緒だった。深いご縁がある。新任の自分は、ご主人には、随分と助けられた。導きも受けた。
★ホームに入って、明子さんには何かとお世話になっている。入院の時のお見舞い、時々お宅へ呼ばれての食事、日記にも名前を載せる「明子さん」である。ある年の、桜が咲く季節だった。弱りゆく体力のご主人を支えて、この桜の道を歩いた。それが最後になった、と明子さんが教えてくれたので、その場所で、写真を撮った。その写真も探した。
★ご主人を、神のもとへ逝かせてから、明子さんは、信仰の勉強、体験をする積極的な女性になった。長崎や、他の教会の勉強会、司祭の講話に参加して、信仰豊かな生活を楽しんでいる。いまは毎朝5時半に、ホームの西山神父さんを教会へ連れて行くのが、奉仕の日課になっている。ご主人への熱い思いは、消えないだろう。「信仰があるから、強く生きる」。車椅子を押している明子さんを見ながら、そう思った。
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