今年になって、4回目です。今のセチ辛い世の中、誰が、自分の時間を使って、自腹で、旅費を出して、列車に乗り、バスに乗り、徒歩で、ホームまで来て、ボランチア(お礼は一切受け取らない)で、他人の話を聞く人が居るでしょうか。それが居るんですね。もう、3年目です。3度、4度の奉仕じゃないですよ。つづいて、飽きもせず、来てくれる人が居るんです。聴く人は(ああ、この人、ホンネを話しているか)分かるでしょう。「話し合い」とは違います。ただ聴くだけ。最後の言葉を繰り返すだけ。マジメに向き合いますが、どこまで、心底、打ち明けられるか。
★何を話すか。やはり出来事から入る。①まず環境が変わった。部屋が変わった。気分も変わる。広い部屋、便利なトイレ、朝陽や、緑の山々の風景、有り難いことです。
★次に予定を語る。②来月初めに、中学校で、語り部を務めます。ただ気になる体調がある。声が出ない。足が弱い。いま声を出すよう、歩くように気がけている。おそらく最後の語り部になるでしょう。原爆死した母の50回忌から、原爆資料館の平和推進協会に入って始めた。12年勤めて、血尿で止めた。体力の限界、歳には勝てない。
★更に、③いまの生活。単調、責任もない、何事も起こらない生活。それでも心に残る出来事もある。④これから、どのように枯れていくのか。不安もある。周りで起こる死を見ているからね。老いや、死や、安楽死など、新聞記事が目に付く。
★生きることの意味があるのか。老人ばかりに接している。介護を受けて、世話をして貰って、それでも「有り難う」の一言も言わない老い人も居る。感謝の気持ちは忘れたくない。ボランチア女性は1時間ほど居て、帰った。
★いま突然、戸をノックした。「ハイ」。男性職員が(見回りで)「大丈夫ですか」「オーゥ」と、とっさに応答した。(シマッタ、有り難う、言わなかったな)
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