★夢を見た。自分が運転していた。確か、長崎駅から出て、電車の線路を越えてユータンして、カステラ屋の前を走り、慣れた道を軽々と、気分よく運転して、満足だった。夢の男は考えた。「まだ、まだ、やれるじゃないか」。目がさめた。ザンネン、免許は86歳で返納した。
★ミサを終わってホームの廊下へ戻ると、車椅子の女性がポツンと1人動かない。いつも見かける女性だ。白髪、目は遠くを見て動かない。言葉も、反応もない。何か愛(いと)しい気持ちになる。華々しい過去もあるだろう。家庭の事情もあるだろう。黙して語らない。慰める意味で時々、肩のところを軽く、2度、3度と抑えて、「ゲンキで、ね」と声をかける。「パワハラに、なるだろうか」。そんな思いも、よぎる。
★いま、直ぐ吐ける言葉といえば、3つ、ある。
「生かされて、今日も、祈る」。この心情は変わらない。その気持ちで生きている。すべては感謝しかない。
「苦しみは、神の喜びに、変わる」。苦しみ、一杯、あるじゃないですか。老いは、重ねるだけで、苦しみは増える。耐えて、受けて、神の喜びに変えて行きたい。希望は持ちたいのです。
★午前中、入浴した。たった1人で、広い風呂で、ああ、いい湯だったよ。生きているんだな。
★古い写真を見つけた。病気から健康を取り戻して、学園の中学生に理科を教えていた頃の、30歳代のトマ先生です。実験を行なって中学生たちの心をつかんだ。「やっぱり、やって、みせる、ことだよ。ウワー、ホントだ、だれもが、なっとくする」