山の施設の教会。創立65年になる。よくぞ耐えたものだ。いつ訪れても、この堂内には、又この周辺には思い出が一杯詰まっている。森林も十字架を越えるまでに育ったが、65年前は林のような山林だった。ニワトリを小さくした『こ・じゅう・けい』という鶏が住んでいて、「チョッと、来い」「チョッと、来ーい」と鳴いた。近づいていくと、今度は「ビンボウ・ニン」「貧乏人」と鳴き変わった。今は居ない。
★教会の左手に2階建ての家が見える。山の施設の修道院である。病気で苦しんでいた私は、あの建物で療養した。25歳だった。当時の写真が残っている。教会の道の下に立っている私。下駄をはいている。ういういしい感じだ。こんな時代もあったのだな、そう思う。なつかしい。昭和28年、戦争が終わって、8年後だった。戦後の混乱で、修道院はお金もなく、食料もなく、貧しかった。それでもポーランド人の修道者たちは、この山には施設を作り、幼・小・中の男子ばかり140人の子ども達を養い、授業を行ない、育てていた。
★病む私もポーランド人ミロハナ神父から助けられて、この施設の修道院で療養するよう安心を与えられた。一番、働き盛りの年齢なのに、私の背中の脇から絶えず化膿した汁(ウミ)が出て、果たして、どうなるか、行先は本当に暗かった。それでもミロハナ神父は、「マリアさまにお任せしましょう。苦しみを喜んで受けていますか」と励ましてくれた。ニンゲンのカラダの生命力は強烈ですね。11年の年月を、ここで重ねて、ゲンキになった。もう下駄は履かない。クツで、あちこち廻るようになった。
★人生って、ホントに、ふしぎですね。その人に、どんな使命が与えられているか、わからない。