山の修道院からの帰り、農村に咲く秋の花、コスモス。今年は花数が少ない。夏の天候の加減なのか。ちと寂しい。
★今朝、教会で、静かに黙して思った。心を落ち着かせると、まっさらな脳裏に、何やら思いが浮かんでくる。
★思いは、3つに、まとまった。
★第一は、私は、何か、大きな『いのち』の流れというか、『いのち』の源から生まれて、存在し始めたと思う。自然に宇宙の広がりのような思いに包まれる。古代からヒトは、それを感じていたのでないか。
★第二は、自分は、人と、人との『係わり合い』の中で、自分を見つけていく。人は誰しも、一人では生きられない。誰かに関わって、助けられて生きて行く。育ってきた。
★第三は、こうして『見つけた』自分は、弱さもあり、愚かさもあるが、それでも十分に生きていく価値がある。生きる意味もある。生きる力も与えられているし、才能も知識も努力もある。それらを伸ばして、今度は他者のために、お返ししていく。奉仕していく。そういう人生でありたい、そんな事を思った。
★終末医療を携わる医師の記事を新聞で読んだ。病者の最後を看取る。悲しみの家族。その時、医師が家族に、「今、この方の霊魂があなた達の周りに漂っています」と言い、「先に行って待っていて下さいね。私たちも後で行きますから。向こうでゆっくりお話ししましょう」と語りかける。家族は驚きながらも、「そうだね。向こうの世界でゆっくり休んでね。お疲れさま」などの声が帰ってくることが多い。題には「あの世」も家族には慰めになる、とあった。
★人びとは、それを素直に受け止める。人は、霊と霊の「つながり」を暗黙のうちに感じているのかも知れない。
★明日は、ホームで、午後から、室内運動会が行なわれる。楽しみでも、ある。