★人生には、絶対、忘れられない風景や出来事が、幾つかある。上の絵が、そうです。原爆で生き残った少年は、母を失った悲しみは勿論だが、東洋一といわれた浦上天主堂が、一瞬に、壊滅した現実に唖然とした。
★出稼ぎで出た北朝鮮で、数万人が住む日本人の町で暮らしたが、カトリック信徒は、母と2人きりだった。教会も、ない。母の故郷、浦上に帰ってきて、天主堂を仰いだときの喜び、しかも天主堂の周辺に1万2千人の信徒が居るのを知って、喜びは倍加した。毎朝、ミサに祈る楽しみがあった。愛着のある天主堂が、瓦礫と化してしまう、その驚きと、落胆。しかも8千5百人の信徒が被爆死した。余りにも、大きな試練。立ち上がるために苦労した。泣いて、祈って、汗流して、信じて、希望を持った。
★今の、永井隆記念館の「如己堂」辺りの丘から、毎晩、毎晩、燃える天主堂を眺めて、泣いた。天主堂内の一部に、軍の食料倉庫があったため、米や缶詰などが、何日にも渡って燃えつづけた。
★浦上、全体は、灯もなく、真っ暗。天主堂の火だけが、燃えている。流れる涙を拭きながら、空を仰ぐと、満天の、汚れのない、美しい空に、星々が、輝いている。それを見たとき、「なぜ、戦争なんか、するんだ」と怒りが込み上げてきた。あなたは、原爆の丘の夜の暗さを知っていますか。天空の美しい星、星を知っていますか。地は、暗やみ。空は、輝き。「どうして、人間は、人間同士で、戦いを交えるんだろう」「平和という安心した世もあるじゃないか」
★今日は、午後から「登明さんの原爆体験を聞かせてください」と願う女性が面会に来る。それで早めに、日記を書いたし、天主堂を眺める少年の絵を描いた。
★17歳といえば、多感な少年。ナマイキな年ごろ。その少年が、原爆直後の廃墟の丘を歩いて、率直に、どういう心情がうごめいていたのか、語ってはイケない「原爆心理学」がある。まだ、まだ、それは、心の奥に、伏せたままです。午後、来る女性に、語っていいのかな。
★「90年、生きて、こんな体験をして、こんな事を学んだ。それを語るのです。それだけです」
稜線も、燃え落ちる浦上天主堂も、闇の色も、
返信削除天空の光も、学び取るところがたくさんの
作品をありがとうございます。
そんな惨状にあっても、天地の創造主は
確かにあられたのですね。
敏感な題材で、特にインターネット上では
表現が難しく、誤解もまねきがちなところでは
ありますが、長崎が受けたいたみは、特別の
いたみと思います。
何かをやったから受けたというのでは
絶対になく、人間の営みが生じさせる澱の
ようなものをカトリックらしく受け、
カトリックらしく進んだ歴史を、
トマさんが表出されるのは、希望です。
ご不快の念を持たれた方がありましたら、
お詫びします。今日もジンクーエン。