★写真の中央は、舎監のロムアルド修道士さん。雲仙・仁田峠から普賢岳まで登って、大変な豪雨に会う。
★讃美歌を歌って、いよいよ寝る。枕を汚さないために、紙を巻いて、その紙に「みこころ安らかにお眠り下さい」と書いてあった。目の細い同級生が、みんなの紙を集めて、鼻紙にした。炊事係のカシアノ修道士が持たせたポーランドの手製お菓子「フルスチィ」が残った。
★「もったいない。残り物だが、珍しいから旅館のお手伝いさんにあげよう」となり、クジを引くと、目の細い彼に当たった。「恥ずかしいなァ」と言いつつ、フスマの所へ持っていく練習を始めた。その時、さっとフスマが開いて、お手伝いさんが入って来た。細い目を開いて、おどろく彼。みんなは、その姿に笑いこけた。写真は、戦後まもなくの旅館街です。湯けむりが上がっている。硫黄温泉だった。
★高校3年の卒業試験が始まった。第1日目の、第1時間目は、国語・漢文の試験で、お年寄りの先生(写真)が担当だった。私たちは「じんじ先生」と呼んで親しんでいたが、老年のせいか、自慢話や昔ばなしが多かった。静かに、答案を書いていると、「ポン」と1発、屁を放った者がいる。目の細い彼の仕業だった。皆は「クス、クス」お互いが顔を見合わせ、ニヤッとする。先生、いわく、「祝砲だ」。みんなは、ドッと笑った。
★いま、ホームから眺める雲仙岳です。70年前の旅行を思い出す。同級生9人の内、生存者は、3人。トマ修道士。沖縄の稲国神父、兵庫の1人となった。目の細い彼は、ローマ留学して、神父になったが、運転事故で逝った。トマの親友だった。
なつめの大好きなロムアルド修道士さんと、
返信削除聖母の騎士小神学校の青年たち。愛があふれる
写真ですね。トマさんは、端に立って写って
おられますか。
経済的には厳しいさなかでしょうに、
夏制服に腕時計をして、お菓子を持たせて
もらって修学旅行に出かけられるなど、
学びを豊かにしようとする多くの努力の
現れと思います。
「みこころ安らかにお眠り下さい」の枕紙は、
修道院から持っていらしたのでしょうか。
心をかけて丁寧に準備されたから
存在しているとわかります。
そんな枕で横になれれば、
すべての疲れが癒えるように思えます。
じんじ先生のご指導も、学生との和やかな様子も、
すべて大いなる力がはたらいて形成された場ですね。
親友の神父さんが召された事故には、心が痛み
言葉がみつかりません。けれど、絶対に
天国へ一直線だったと信じます。
恵まれたホームの土地から有明海と雲仙を
見せてくださってありがとうございます。
諫早までの旅に出られるのは、まだ先かも
しれませんが、トマさんの記事と写真の
おかげで望みを繋いでおられます。
トマさん、写真に写る皆さん、ジンクーエン。