2020年6月18日木曜日

雲仙の思い出。70年前の修学旅行。いま、生存者は3人となった

昭和24年7月(終戦4年後)の写真です。聖母の騎士小神学校、高校3年、9人の修学旅行は、近場の島原・雲仙だった。今のように交通の便利はよくない。乗合バスで、長い時間をかけて、雲仙温泉に着いた。旅館へ2泊する。
★写真の中央は、舎監のロムアルド修道士さん。雲仙・仁田峠から普賢岳まで登って、大変な豪雨に会う。
★普賢岳や仁田峠(写真)の雨は大粒だ。ほうほうの体で、旅館に帰る。ロムアルドさんには着替えの修道服がなく、ダルマに浴衣を着せた姿が奇妙に見えた。
★讃美歌を歌って、いよいよ寝る。枕を汚さないために、紙を巻いて、その紙に「みこころ安らかにお眠り下さい」と書いてあった。目の細い同級生が、みんなの紙を集めて、鼻紙にした。炊事係のカシアノ修道士が持たせたポーランドの手製お菓子「フルスチィ」が残った。
★「もったいない。残り物だが、珍しいから旅館のお手伝いさんにあげよう」となり、クジを引くと、目の細い彼に当たった。「恥ずかしいなァ」と言いつつ、フスマの所へ持っていく練習を始めた。その時、さっとフスマが開いて、お手伝いさんが入って来た。細い目を開いて、おどろく彼。みんなは、その姿に笑いこけた。写真は、戦後まもなくの旅館街です。湯けむりが上がっている。硫黄温泉だった。
★高校3年の卒業試験が始まった。第1日目の、第1時間目は、国語・漢文の試験で、お年寄りの先生(写真)が担当だった。私たちは「じんじ先生」と呼んで親しんでいたが、老年のせいか、自慢話や昔ばなしが多かった。静かに、答案を書いていると、「ポン」と1発、屁を放った者がいる。目の細い彼の仕業だった。皆は「クス、クス」お互いが顔を見合わせ、ニヤッとする。先生、いわく、「祝砲だ」。みんなは、ドッと笑った。
★いま、ホームから眺める雲仙岳です。70年前の旅行を思い出す。同級生9人の内、生存者は、3人。トマ修道士。沖縄の稲国神父、兵庫の1人となった。目の細い彼は、ローマ留学して、神父になったが、運転事故で逝った。トマの親友だった。

1 件のコメント:

  1. がぶらってぃ2020年6月21日 15:58

    なつめの大好きなロムアルド修道士さんと、
    聖母の騎士小神学校の青年たち。愛があふれる
    写真ですね。トマさんは、端に立って写って
    おられますか。

    経済的には厳しいさなかでしょうに、
    夏制服に腕時計をして、お菓子を持たせて
    もらって修学旅行に出かけられるなど、
    学びを豊かにしようとする多くの努力の
    現れと思います。

    「みこころ安らかにお眠り下さい」の枕紙は、
    修道院から持っていらしたのでしょうか。
    心をかけて丁寧に準備されたから
    存在しているとわかります。
    そんな枕で横になれれば、
    すべての疲れが癒えるように思えます。

    じんじ先生のご指導も、学生との和やかな様子も、
    すべて大いなる力がはたらいて形成された場ですね。
    親友の神父さんが召された事故には、心が痛み
    言葉がみつかりません。けれど、絶対に
    天国へ一直線だったと信じます。

    恵まれたホームの土地から有明海と雲仙を
    見せてくださってありがとうございます。
    諫早までの旅に出られるのは、まだ先かも
    しれませんが、トマさんの記事と写真の
    おかげで望みを繋いでおられます。

    トマさん、写真に写る皆さん、ジンクーエン。


    返信削除