戦争が終わって、2、3年の頃、神学生の、高一か、高二の頃であった。まだ、その当時は食料不足が、つづいていた。大勢の学生を食べさせるには、ポーランド人の修道士も苦労した。主食の米のメシは、小さなブリキのお椀に、摺り切りに入っていた。後は、サツマイモだった。
★ところが年に1回、6月13日になると、必ず遠足があり、聖母の騎士から、茂木まで歩いた。舎監のロムアルド修道士がいつも一緒だった。何キロ、何十キロあるか、わからない。それでも神学生たちは、喜んで歩いた。語りながら、しゃべりながら、笑いながら、とにかく歩いた。あの頃は、悩みなんて、少なかったなァ。
★茂木に着くと、ロムアルド修道士が、農家の人が作っている「びわ」を注文した。当時の「びわ」は、竹を細く、長くして、それで編んで、カゴに仕上げた。そのカゴに、ビワが一杯入っていた。ロムアルドさんは言った。「君たち、食べれるだけ、食べなさい」。そりゃ、喜ぶわね。「食った」「食べた」。腹イッパイ食べた。最高だった。こんな日が、1日だけ、あるんだよ。思い出すね。
★当時の「びわ」は、まだハウス栽培など、なかった。天然の樹木に熟した「びわ」だったから、その「おいしさ」は抜群だった。「びわを見ると、あの当時の事を思い出すね」。帰りは、びわで満腹になったハラを抱えながら、笑顔で歩くのだった。
★我が人生にも、幸せな時も、愉快な時も、あったな。
★「金持ちになったからと、いって、三バイも、四バイも、幸せに、なれない。金持ちも、ボタモチは、四つは、食えない」(マンガ家・水木しげる)
豊かな精神性の豊かな育成を画像で見るようです。
返信削除たとえ財務的には楽ではなくとも、生活・修道を
実り多いものにするよう努める惜しみない愛を感じます。
昨今は環境やつるしあげた誰かに責任を押しつけて、
自ら助くることを捨てたような発信をする方面も
あるようですが、どこか日本人の気質やカトリックの
心持ちには馴染まないように思えています。
6月13日に遠足に出かけるのは、何かの記念
だったのでしょうか。神学生にとっては、
歩みの祈り、歩く瞑想になっていたのかもしれませんね。
仏教の方々は行(ぎょう)と呼ぶのかもしれません。
枇杷をおさめていた竹篭もさぞ美しかろうと思います。
実に九州的です。季節に入ってきました。そろそろ
大分で求めた竹篭を出して使い始めようと思います。
トマさん、今日もジンクーエン。
6月13日は、フランシスコ修道会の聖人、イタリア・パドアの聖アントニオの祝日です。この聖人は、説教者と奇跡をおこす聖人で有名。イタリアでは、皆さんから愛されています。
返信削除トマさん、優しい返信をありがとうございます。
返信削除6月13日は聖アントニオの祝日。
東京のアントニオ修道院でお世話になったことを
思い出しました。私にもそっと教えてくれ、
豊かな奇跡を見せてくれるでしょうか。
その時を楽しみに祈ります。