2020年6月7日日曜日

「赦せない」。だが悪と、悪を行なう人は区別する。回心を祈ろう

スズメが、しきりに鳴く。戸を開けると、3羽のスズメが、さえずっていた。スズメは、良か、な。日ごとの糧で満足し、恨みなく、憎みも、ない。
★今の世の中は、「許さん」「赦せない」ことばかり。人間の社会は汚れている。一昨日、「カトリック教報」の6月号の一面を読んで感激した。「回心と赦し」との表題があり、広報委員の記事で、全面に書いている。その中の、次の一文に強い感動を覚えた。赦しについてだ。「『赦し』とは悪を『許可する』という意味では決してない。『赦し』とは、たとえ自らが悪を被っていても、なおよいわざを行ない続ける生き方である」。これを読んだ時、「これは、すばらしい」と思わず叫んだ。
★早速、カトリック・センターの広報部の知り合いの女性に電話すると、教会の神父さんだという。夕食後に、思い切って、その神父さんに直接電話をした。「記事に感動しました。感謝します」。神父さんは、おどろき、よろこび、電話の話は、しばらく続いた。「例え、自分が悪を被っても、尚かつ、よい業を行ないつづける生き方」。心に染み入る、すばらしい言葉じゃないですか。
★神父さんは喜んでくれて、「人間には、よい業をしたい、美しさへの思いが、あるでしょう」。私も「根底には、愛の業をしたい、あります」。納得し、安どした。
★今日は、日曜日。朝食の後、瀧神父さんの部屋を訪ねて「赦し」について話し合った。教会は「悪と、悪を行なう人を、区別する」。悪は許さない。許容しない。しかし悪を行なう人、その人のためには、ゆるし、回心を祈る。
★私が原爆の丘で、赦せなかった重症の先輩工員を、あの時、助けてやったら、これは赦しになる。今、それが可能かと言えば、まだ、わからない。迷うだろう。
★コルベ神父の話をもちろん出した。コルベ神父は、ナチから、過酷な、ひどい仕打ちを受けた。それでも、反抗しない。回心のため祈る。回心して欲しい、そういう優しい目で見る。「なぜ、コルベ神父にそれが出来たのか」。英雄的な行ない、それがコルベ神父には、あった。普通の人は出来ない。そこに惹かれる。
★加害者と、被害者の問題だ。被害者は自分を守る。相手には、恨み、憎しみ、仕返し、到底、許せない。「許そう」と例え分かっていても、感情が付いて行かない。
★瀧神父さんは言った。「悪い行ないをする人は、アクマの手先になっている。アクマから取り戻す。回心のため祈る。誰にも出来ること、ナチの所長も回心したと聞いている。祈る、祈ったり、みんなのために祈っていたら、テキを愛しなさいに、つながりますよ」

3 件のコメント:

  1. がぶらってぃ2020年6月7日 17:19

    トマさんが苦しみや迷いを隠さずに
    書いてくださることで、
    読む私も深められます。
    お辛い作業でしょうに、
    ありがとうございます。

    がぶらってぃは、人的関わりの多い仕事の場で、
    赦しがたい行いや難しい対応が目の前に
    現れた時には、自分のところで自発的幸せ行動
    (業務上は別の表現でsatisfactionを用います。
    おおむね安全/安心/安定/安寧の意味として)により、
    その望ましくない状況をあるべき姿に転化・転華するよう
    努めてみましょうと伝えております。

    相手や環境、大きな意味の組織の幸せ/安定を目的において
    【心】で願い、願いを【体】で表して自分の行動で
    少しでも全体の善となるように努める。
    業務上行動の基本です。

    書いてくださった今日の日記により、自発的幸せ行動には
    祈りがあってこそと実感いたしました。祈りの行動だから
    伝わるのでしょう。

    業務を離れての暮らしの場面となりますと、どうしても
    自発的幸せ行動の切り替えが難しく、祈りが薄くなって
    しまっておりました。私は、ここをトマさんの
    十字架を背負う絵に救われたのです。

    もはや何がテキか、見失うところでした。
    自分が自分のテキなのでしょう。



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  2. がぶらってぃ2020年6月7日 17:39

    スズメ3羽は社会的距離が保たれていて、
    何ともユーモラスですね。
    さえずりと話し合いが聞こえるようです。

    この頃のソーシャル・ディスタンスを示す
    ポスターにも使えそうな写真に思いました。

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  3. マリア・フランチェスカ2020年6月7日 23:53

    悪と悪を行う人を区別する 回心を祈る
    トマさん、瀧神父様有難うございます。
    私の指針となりました。
    感謝のうちに

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